夢と現実とその狭間 12
順調な結婚生活だった。
愛さんとは相変わらずすれ違いの生活だけど、愛さんは土日を休みにすることが多くなって、僕たち三人は結婚当初より時間が合わせやすくなった。いろんなことを乗り越えて行くほどに距離も信頼も強くなっていくわけで、夫婦の絆ってそうやって強くなるもんなんだなって知った。僕たちの場合はそれが三人って言う不思議な人数なんだけどね。
出会ってもう1年になるんだね、あの衝撃的な日は僕の生涯の記念日だ。
「愛さん行ってきますね!!!」
「はーい、ごゆっくりー」
今日の愛さんは遅番の様で、僕は渉さんとデートの日だ。
明日から渉さんはしばらく海外取材でいないもんだから今日は貴重なデートの日。車を飛ばして渉さんのマンションまで行き、渉さんを回収。今日は下町巡りをするんだって言うから僕はそのお供をする。カメラを持って歩いている渉さんの横を歩きながらたわいもない話をして、ファインダーを覗いている渉さんを誰よりも近くで見ることが出来る、それだけで僕は満足だった。楽しそうな渉さんの姿を見ているだけで、幸せだって思えた。そんな気持ちは愛さんといるときには起こらない気持ちで、やっぱり僕にとって渉さんは特別なんだって思い知る。
カメラを覗いている渉さんが好きだ、子供の様に楽しそうで、良い男だ。渉さんは僕の事を言い男だというけれど、渉さんの方がいい男だと僕は思うけどね。
「あんまし見とれてると撮るぞ?」
渉さんのそんな声に僕はふと我に返る、カメラを僕に向けて構える渉さんに笑ってしまう。
「僕を撮ってもお金にならないですよ?」
「俺の貯蓄にはなるな。」
男らしいよね、渉さんって。
街歩きは早めに切り上げて僕たちは僕のマンションに行って一通り遊んで、この1年間を振り返って笑っていた。1年間無事に乗り切れたこと、そしてこの先も無事に乗り切れそうであることを笑い合っていた。
「お嬢様々だな。」
「愛さんが声をかけてくれなきゃ僕はノイローゼになっていたかも・・・渉さんの所に逃げ込んでいたかもね。」
「それはまた、惜しい事をした気分になるな。」
「全部投げて渉さんの所に行った僕には何もないからね、敷かれたレールしか知らない僕はこのレールを降りてしまったら本当に無力だ。渉さんの邪魔になるだけ、それは嫌かな。」
そう言う僕を抱き寄せる渉さん、あったかいなぁ渉さん。
「そんときゃ俺が養ってやるって。」
その時は、主婦します。
「今の僕は渉さんと愛さんが楽しそうにしているのを見ているのが楽しいかな、二人がお酒飲みながら言い合ってるのを見ながらキッチンに立っているのがちょっとした幸せかも。」
「お前はいい嫁になるよ、お嬢に教えてやれ。」
「それは、無理だと思いますよ?」
愛さんをキッチンに立たせるなんて怖くって僕が落ち着かない、僕ってこんなに家政婦気質だったかな。
「しかし、まぁ・・・お嬢には一生頭上がらねぇな。」
「足を向けて寝たら殺されちゃうかな。」
本当、愛さんには感謝してます。
日高さんにも感謝してます。
「日高さんがちゃんと意識を取り戻したら飲みに行きたいね。今までの事、日高さんが知らないだろう全部の事件を教えてあげなきゃいけないから。」
「あぁ、でもその場にお嬢いたら大変だ、俺かお前が殺されるかもしれねぇからな。三人で行こう。」
そうしよう、男三人で最強女医の事を語り明かそう。
きっと、楽しいはずだ。
「なぁ樹、日高さんはどうなんだ?よくなってるのか・・・?」
渉さんには日高さんへの融資の内容も話も全部してある。まぁ、元々渉さんのいる前でこの話は成立したわけだから全部知っているんだけど。で、僕が知り得ている情報の全ては共有できているんだけど、愛さんの口から日高さんの事はあまり出てこない。あまり出てこないと言う事は現状が変わらない事なんだろうと思っている。
あえて聞くことでもないとは思うけど・・・
ぼちぼち融資から半年だ、契約に従い現状の確認をしないといけない時期。この話をしないといけなくなるなぁ・・・
「俺に何かできることがあれば言えよ?お嬢一人じゃ抱えきれねぇだろうし・・・」
「そろそろ経過報告の時期だから、何かわかったらすぐ伝えます、僕だけじゃどうにもならないと思うから。」
「ただいまー。」
まぁ当然誰もいないんですけどね、愛さんは遅番だから帰って来るのは明け方だね。融資後の会議の話をしないとだけど、そもそも次愛さんと会えるのっていつかな?
って、別にそんな会議必要ないんだけど。
ただ、結構な金額が動いているから議事録は残さなきゃならないから、それが作れるぐらいの内容は話さなきゃならない。場所はまぁ、ここでもいいんだけどね。
愛さんとまともな会話ができたのはそれから十日後だった。
「愛さん、少し話いいですか?」
僕は夕食を並べながら愛さんを呼ぶ、愛さんは着替えを済ませて部屋から出てきて、僕の声に反応してテーブルまでやって来た。
「何、痴話喧嘩?」
いや、違います・・・。
ダイニングキッチンから渡すお皿を受け取り並べながら興味なさげに返事を返す愛さん、この流れを作られると真面目な話がしづらいんですけど。
「ちょっと、ビジネス的な話が・・・」
そう切り出した僕に、愛さんは一言。
「食べ終わったらね。」
はい、承知いたしました。
一言で完敗です。
愛さんがちゃんとご飯も食べると言う事を結婚してから知った。あれだけ飲むからあんまり食べないのかと思いきやちゃんと食べる。そして結構何でも食べる、パスタやパンやピザみたいなのが好きかなって思ったけどお米もちゃんと食べるし和食も好きみたい。今時期はだいぶ暖かいけど冬場は鍋とかよくリクエストが来たもんね。
ようは、普通だ。
まぁ、自分が作らないから、文句を言わないだけかもしれないけれど。
食べ終えて、愛さんはソファーに座って当然の様にチューハイを飲んでいて、ふと何かを思い出したように片づけをしている僕のところに来た。
カウンターに腕を載せて缶チューハイ飲みながらじっと僕の事を見るけど・・・何だろう、怖いじゃないですか。
「で、何の話だった?」
ん?何の話だった・・・?
何でしょう?という僕の表情を見ながら、愛さんはやれやれというような顔をする。
「さっき、なんか話があるって言ってなかった?」
あぁ、言いましたね、そういえば。
「大方想像ついてはいるけど、言って見て。」
姉さん女房だなぁ、ほんと。先に全部読まれちゃってるんだもんねぇ。
僕は洗い物を終えて、同じように缶チューハイを取り出してフタを開ける。ちょっと真面目な話だから、お酒の力を借りたいなって思って。
ソファーじゃなくって椅子に腰かけて、僕たちは向かい合って話を始めた。
「こんな話をするのはあまり得意じゃないんだけど、やがて融資から半年が経過します、僕は議事録が取れる様な内容を聞き入れなければならない。でも別に実際に会議をする必要はないと思っているし改まる必要もないと思ってるんで、家で話してもらってもいいし要望があれば機会を延期しても構わない。どうします?」
「そろそろそんな時期だなーって思っていたところよ。」
愛さんはにっこり笑って缶を飲み切った。そしてもう一本を取りに行きながら話を続ける。
「契約は契約よ、そこはちゃんとした方が良いわ。家で話しても構わないけど病院で一席は設けた方が良いと思うの、もちろん赤谷先生も一緒で。あなたは融資企業よ、きちんとした形はとるべきだし、日高さんのこともちゃんと見るべきだわ。そこを中途半端な状態にしてしまって、どこの誰かが変な噂でも流そうものなら、めんどくさいしね。」
そうだね、親族同士でもきちんとした形式をとっていた方がいいかもしれない。
「じゃぁ、日程調整して病院に行きます。愛さんはいつなら時間取れますか?」
僕のその問いに愛さんは僕を真っ直ぐ見る。
「明日。」
「明日!?」
そりゃまた早い!
「えっと、僕はいいけど、愛さん準備とか必要ないの・・・?」
僕のその問いに、愛さんは何だか膨れっ面だ。
「だって、変わったことは何もないもの。」
なるほど・・・変わりなしなのか。
そんな現状をきちんとした形式で聞くの、ちょっと辛いなぁ・・・。
朝いちで赤谷先生に今日猫ちゃんが来ることを伝えた。午後は特に何もないし、猫ちゃんと一緒にはけるのもありね。気分次第じゃそうさせてもらおう。
成果が上がらないことを口にするというのは、敗北を認めているようで結構つらい。まぁ実際、何の変化もないのだから敗北には違いないのだけれど、改めてそれを認めるってのも落ち込むなぁ。
まぁ、いい機会だと思おう。今まではただただ時間を使って来ただけだ、決められた期間で一定の成果を出す、それが研究だもの。その方が怪しまれない。
赤谷先生の部屋からエレベーターに乗って1階に向かっていたとき、タイミング悪い事にジジィ集団に鉢合わせたよ・・・まさかのこんな個室で。あー息苦しい。
「これは高杉部長、今からどちらへ。」
すっごいめんどくさいんですけど・・・、これ、答えないとダメなの?
「今日はオペも外来もないので研究室ですよ。」
めっちゃ笑顔で言ってやったけど、不自然じゃないかしら。
「あぁ、そうでしたか。あの私的研究の成果の程はいかがですか?」
めんどくせーなぁ・・・聞いてどーすんだか。
「研究ですからね、そう簡単に成果が出るものじゃないですよ。」
「前回出した論文で、とても大きなスポンサーが付いたようで素晴らしいですね。」
背後にいる親父たちはきっとニタニタ笑ってるんでしょうね、気持ち悪い。
「我々も読ませていただきましたが、失礼ながらそんなに大きなスポンサーか付くような成果ではなかったと思いますが、どのようにそんなに大口スポンサーを?」
あぁぁぁぁぁ!!!!めんどくさい!!!
「さぁ、お気に召していただいた理由をいちいちうかがうほど子供ではないもので。」
「その若さにその肩書、女性は得ですなぁ」
くすくす笑うジジィども・・・もう限界来た!
「年老いて尚何もお持ちになられていない方々はさぞご苦労でしょうね、人の論文ばかり読んでケチつけて、ダサい嫉妬ばかりしてよほどお暇なのでしょう。私はこの若さでこの肩書を持った女で本当に良かったです。」
言い切って振り返ってにっこり笑って、エレベーターから出てやった。
ほんと、暇な奴ら。
でもまぁ、こんな病院にも何人か信じられる部下はいる、看護師たちは大抵私に同情的で私に協力したがる。でもそんなところをジジィ共に見られたらどんな仕打ちを受けるかわからないから、関わらなくっていいと言っているの。
彼女たちは優秀、いなくなっては困る。
だから私が休みの時に日高さんの事をお願いするだけでそれ以外は仕事上の付き合いだけにしていた。
「高杉先生、こちらが看護記録です。」
「ありがとう、いつも助かるわ。」
女の方が本当によく働くし気が利くし、何より賢い。
何であんなジジィ共の方がナース達より給料がいいのかしら・・・私がこの病院の院長になったらあんなジジィどもみんな辞めさせてやる。
「何か変わったことは?」
「いいえ、ありません。」
そっか・・・それもまた、いつも通りか。
「あっ、高杉先生、ちょっと・・・」
ナースステーションの奥から婦長が声をかけてくる、私はさりげなく周囲をうかがって廊下の奥に足を向けた。婦長もそんな私の後を周囲をうかがいながらついて来る。
そんな時、女たちの集団意識は強くって、全員が一斉に周囲に気をはせるのよね、本当にできたナースたちだわ。
「どうかしましたか?」
婦長は私よりも年上、ここの全部を知っているベテランさん。
「最近、松尾先生がやたらと先生の事を聞いてくるんです。日高さんの状態はどうかとか・・・」
クソジジィ、金が動いているもんだから情報収集に動き出したな!?
「何も知らないと言って下さい、いつも通り個人情報だからと言っていいから。高杉に直接聞いてくださいと返したらいいわ。」
「いつか、私たちの見てないときに高杉さんに何かするんじゃないかと気になって・・・」
そんなことしてみろ・・・殺してやる。
「大丈夫よ、監視カメラはつけてある。それはジジィどもにもちゃんと言ってあるから手出しはしないと思う。あの部屋に出入りできるのは婦長を含めてナースの数人だけ・・・あなたたちの事は信じています。」
「もっと高杉先生のお役に立てればいいのですが・・・」
婦長は本当にナースの鏡、だからこそここのナースたちはみんないい子なんだわ。
「ありがとうございます。でも、あなたたちまで巻き込まれては大変。今まで通りで十分、本当に助かってます。さぁ早く戻ってください、私も行きます。情報ありがとう。」
私は婦長に頭を下げて日高さんの所に向かった。
「日高さん、今日猫ちゃんが来るの。」
点滴や薬の準備をしながらいつも通り話しかける、そしていつも通り返事を返してはくれないけどそれはそれでもう慣れた。
「猫ちゃんに、会ってもらおうと思うんだけどかまわないよね?」
猫ちゃんには、現実を話さなきゃいけない。それはもちろん、融資してもらっているとか共犯者だからとか、そんな理由もあるんだけど、一番の理由は、私が現実を認めるためかな。
夢ばかり見て、現実を無視するわけにはいかないから。
正面玄関から入って来た猫ちゃんを私は受付で迎える。
互いにビジネスモードであるために、私たち二人を見て夫婦だなんて誰も思わないだろうね。
「ご無沙汰してます、本日はよろしくお願いします。」
私が笑顔でそう迎えると、猫ちゃんも笑顔で答えてくれる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
横にいる受付の女の子たちの視線が熱いわねぇ、さすが猫ちゃん、相変わらず完璧な容姿だよ。
私は猫ちゃんをエスコートして赤谷先生の部屋へと案内する、エレベーター内は二人きりだけど、どこで誰が聞き耳を立てているかわからないからね、私たちは言葉を交わさなかった。
猫ちゃんの左手薬指には結婚指輪、猫ちゃん曰くこれは虫よけなんだって。さっきのガールズたちの視線を見る限り、十分効果はあるでしょうね。
私の指輪は部屋のリングピローに乗ったまま。もうだいぶ長い事装飾品を付ける習慣がないから家で眠ってもらってる。ネックレスで付けるって手もあるんだけど・・・内側の文字が薄れて消えたら嫌だから、私なりに大切にしてるつもりなの。
もちろん猫ちゃんはそれを理解してくれている。周囲は、なんて思うかわからないけどね。
「失礼します、相良様をお連れしました。」
相良様だって、自分で言っていても笑っちゃいそうになる。
ドアを開けてみると、赤谷先生はいそいそと書物を片付けていた。私は猫ちゃんを、もはや自由に使っているソファーに誘導し座らせる。にこにこと黙ったまま、猫ちゃんは腰を下ろした。
「すまないすまない、お待たせしてしまった。」
そう言って赤谷先生がやって来ると、腰を下ろしたばかりの猫ちゃんは立ち上がって頭を下げた。
「お忙しいのにすみません、形式だけですのでお気遣いなく。」
猫ちゃんはそう言って、私に笑う。
今回のこの場は形を残すだけの集まり、猫ちゃんは融資を止める気はないと言う。ありがたい話。そんな猫ちゃんのためにも何とかして結果を出したいと思うし、日高さんを起こしてあげたいって思うんだけど、なかなかそうもいかなくてなね・・・
「日高君の事は高杉に任せているから、後で聞いたらいい。わしのいる前じゃ話しにくい事もあるだろうからな。」
そうね、結果が出せていない以上、赤谷先生の前で言うのは忍びないわ。私的研究だからね。でも、病院業務には一切穴は開けてないんだから、文句を言われる筋合いはないんだけどね。
「先生にはいつもお世話になっております。」
猫ちゃんはにこやかにそう言った。
その後しばらく世間話のようなものが続き、ふと赤谷先生が口を滑らせる。
「相良君はまだ若いからいいが、高杉はいい年がからなぁ、子供を設けるんだったら早めがいいぞ?」
出たな、年寄め。
この、早く孫を見せろと言う無言の圧力。
「お前の事だ、産む前日まで働いて、産んだ7日後ぐらいには復帰するんだろ?」
7日じゃいろいろ元に戻ってないわよ。
「それはまたタフですね。」
猫ちゃんが笑っている、私なら本当にそうすると思っているんだろうね。
私、この手の話には乗りませんよ?
この手の話を返すのは猫ちゃんの仕事ですからね。
「まぁ、こればかりは授かりものですから、いただけるならいただきます。」
波風を立てないところが猫ちゃんの素晴らしい所、いつも無難に受け答えてくれる。
ここで「いりません」だの「作りません」だの言えば話は長くなるだけだからね。ましてや年上女房の私が言えば反感は必死、だから言わないの。猫ちゃんが言えば、年上女房に気を使っている思いやりある優しい年下夫で済むんだから。
実際はベッドは別で肉体関係なんて当然なし、結婚自体が偽装なんだからね。
「さっ、相良君も忙しかろう。高杉、相良君を日高君の所に連れて行ってやりなさい。これはさすがに必要だからな。」
「わかりました。」
私が立ち上がると猫ちゃんは立ち上がり、赤谷先生に丁寧に頭を下げた。
「先生、今後ともよろしくお願いします。」
「こちらこそ、こんな荒くれ者だがよろしく頼むよ。」
「僕はもう慣れてますので。」
「さすが賢いなぁ。」
「ちょっとあなたたち、いい加減にして。」
やれやれと思いながらもどこか笑ってしまう、猫ちゃんの緩くて穏やかな空気が私には居心地が良くて、神経が磨り減る命の現場において唯一の癒し。この子と一緒になって良かったって、どこかで思う。この自由な関係も含め、本当にこの結婚を行ってよかったって思う。
日高さんが目を覚ましても、この関係は、続けたいって、どこかで思ってる。離婚した後もペットとして飼育するっての、ダメかしら。
エレベーターの中、愛さんが何だか笑顔だ。その笑顔は、企んでいると言うよりはどこか優しい笑顔で、でも何か考えている。
「何を考えてるんですか?」
僕の問いに愛さんはハッとした顔で僕を見上げて。
「後でね。」
笑って、そう言った。
お酒が必要そうだなぁ・・・
ナースステーションの横を通ればいくらか視線は感じるわけで、でも僕はあえてそっちは見ない。目に入る誘惑は少ないに越したことはないからね。もしナースに浮気なんてしたら後が怖いよ、若いドクターでも・・・絶対に根にもたれるよね。
もう何度目かだけど、何度目かだけど、毎回見る景色は全く同じだった。
6畳程の部屋の中央にはベッドがあって、日高さんが寝ていて、たくさんの器具とチューブとコードが伸びていて、人工呼吸器の音が聞こえる。
最初にこの光景を見た時は、正直どうしていいかわからなくって、日高さんの事、死んでいるんだって思った。僕はこんな光景を見たのは初めてだったから、だいぶ面食らった。何度か通って少しは見慣れたけど、医療に心得のない僕にとって日高さんの『生』とはどこかわからないもののまま。
「何か変わったように見える?」
愛さんがそう言って、白衣のポケットに両手を入れた。
前回日高さんに会ったのは、式の後の写真撮影の時で、それからだいぶたっている。でも、日高さんは、変わっていない。
「いいえ・・・」
そう、言うのが、辛かった。
「正解よ。」
愛さんはそう言うと、日高さんの方に足を進めて、僕もその後をついて行った。
「日高さん、猫ちゃんが来たわよ。」
このモニターの中に描かれている線が動けば、日高さんの脳が反応しているってことで、愛さんが言う『起きている』ってことなのは知ってる。でも、今日の日高さんは、眠っているらしく、波形は動かない。
「認めたくないんだけどね、最近、起きている時間が減っているの・・・」
愛さんはそう言った。
手は、ポケットに入ったまま。
「あと何年かしたら、何か良い方法は出そう?」
「さぁ、どうかしらね・・・」
医療はものすごいスピードで進歩している、それは僕にだってわかる。京大の教授が万能細胞を作り出して再生医療がどんどん進んでいる。薬も手術もどんどん進んで、つい数年前まで不治の病だったものが治るようになっている。
だったらきっと、日高さんだって・・・
「私がおばあちゃんになっても、もらってくれるかな。」
近いうちでは、無理と言う事なのだろうか。
僕には渉さんがいる。愛さんと言うパートナーを利用して渉さんと堂々と逢瀬を楽しんで、仕事もプライベートも何も問題なく過ごしている。むしろ、怖いくらい順調だ。でも、愛さんは少し違う。確かに僕と結婚することで日高さんの研究に没頭できるかもしれない、僕を利用しているのかもしれない、でも、日高さんは、愛さんに答えてはくれない。愛さんは僕たちが思っている以上に、孤独なのかもしれない。
二人きりで会っていても、一人なのかもしれない。
「援助は惜しみません、どうか、日高さんを起こして差し上げて下さい。」
僕は、ビジネス用語だけど僕の気持ちを伝える。
「たとえ何年かかっても、先が不透明であったとしても、高杉さんに行っている研究は求められているものであると僕は思います。ですからどうぞ、彼の事だけを想ってあげてください。どんな事でもお力になります。」
「ありがとうございます、感謝します・・・」
愛さんの手は、ポケットのままだ。
しばらく黙っていた愛さんが突然、大きく伸びをして、大きく息を吐いた。
「さぁて、久しぶりに昼から飲むかな!」
はいっ!?
なんだって!?
「私、今日この後何もないの。だから帰ろうと思って!」
あの、それって、職務放棄では・・・
「猫ちゃんはいとも通りでしょ?」
「えぇ、17時までですけど・・・」
「じゃ、先に帰ってるから。飼い主も暇だったら呼んでおいでよ、また後でね!」
えぇ・・・はい。
愛さんは僕に、しっしっっと手を払い帰るように促した。僕は愛さんと日高さんに頭を下げて部屋を出た。うーん、渉さん、来るかなぁ。
帰った時にはすでに出来上がっている可能性があるから、渉さんがいてくれたらありがたいんだけど。
結局その日、渉さんは仕事の都合がつかなくって来ることはできなかった。そんなわけで愛さんのお相手は僕一人だった。先に飲んでいた愛さんは終始ご機嫌に見えていたけど、なんとなくだけど、寂しさの裏返しのように感じて、僕は、明日の仕事を全部潰す羽目になっても付き合うべきだって思った。
愛さんへの、基、日高さんへの融資は難なく継続された。まぁ、僕の判断なんだから文句を言うとしたら父ぐらい。父さんが文句を言わないことぐらいは僕にも読めている、利益の一部を寄付という形にすれば社会的に受けがいいからね。しかもちょっとした税金対策にもなるし、その辺は僕だって心得ている。
会社に不利益なく大切な人に利益をもたらせる。
きっと今初めて、自分の事をSGRグループの相良樹で良かったって思ったと思う。




