弟子入りとフラン
エリックとヴィクターが恭しく礼をする。俺もあわててそれに倣って頭を下げる。
グレンと言う名の剣術指南役の男は静かに場を見回し、ヴィクターに向けて口を開いた。
「どうやら熱心に試験をしていたようだな。だが物足りなかったのか? だからエリック殿とそのようなことをしている」
グレンの目に何が映っているかは分からないけど、どうやら内弟子の試験をしていたことも、エリックを試合に誘った理由も把握しているらしい。
「あいつらの腕前も悪くはない。でも先生に直接教えを授かるにはまだ基礎が足りていません。それとエリックとやった件については俺は悪いとは思っていません。久々に会ったんだ。腕試しくらいはしたくもなりますよ」
ヴィクターは否定しなかった。つまり内心を正確に言い当てたということ。
しかしこれはあれだ。師匠キャラの神秘性というか達人の持つ風格というか、そういうやつだ。
本当にこの世界は漫画みたいなことがたくさん起きる。
「君たち二人の関係を考えれば問題は起きないだろうがね。だがそちらの侍女は? 流石にそれは私でも分からんよ」
グレンの視線が俺に向く。
その目は厳しいものではなく、優しさすら感じるものだった。
でもなんだこれは……まるで心の中まで見透かされるような感覚がある。
「エリックんとこの侍女ですよ。今日は剣を帯びていないようだが、護衛なんだよな?」
「ああ、父上から与えられた役割はセシリアの護衛だ。しかしそれも曖昧なものだ。リーナなら俺と肩を並べて戦うこともできる」
ヴィクターの説明をエリックが補足する。
まあ、間違ってはいないか。エリックと肩を並べて戦う自信はないけどさ。
そんな俺たちの反応を見てグレンは納得するような顔をした。
「実戦を経験しているようだね。それも激戦だ。エリック殿の信頼はそこから来ているように見える」
俺には背筋を伸ばして立ち尽くすしかできない。
なんか空気が重いというか、俺には合わないというか。
この緊張感は少し辛い。
「はい、これは今日ヴィクターと話したことですが、ヴァルガという傭兵とやり合いました。グレン殿の甥と聞いております。我らは敗北しましたが、なんとか生き延びました」
その言葉に、グレンの目がわずかに細まった。
「ヴァルガか。口ぶりからして集団戦ではないな。エリック殿の実力では敗北は必定、となれば何かありますな? ふむ。そしてそれは言えないと来た。中々に難儀なものですな」
エリックの雰囲気だけでここまで見抜くか。
確かにこりゃあヴァルガって奴の叔父さんだ。心を読めるとか察するとか、そういう技能持ちってやつか。
「してリーナとやら」
「えっ! あ、はい! なんでしょうか!」
何故か俺がグレンに呼ばれた。
俺の何が気になるってんだ?
「一試合してみるか。ヴィクター達の戦いを見て滾るものがあったように見える。ヴィクター、剣を」
「はい! 先生! エリックはそれをリーナに渡してやれ」
突如としてそんなことになるが、一試合してみたいって気持ちは確かにあった。
なんか全て見透かされているような気になるが、それも今は好都合か。
エリックから木剣を渡される。いつも訓練で使っているものより若干重いが振れなくはない。
「グレン殿に直接稽古をつけてもらえるとは運が良い。リーナ、思いっきりやってみろ」
「分かりました」
ということで俺の準備はできた。
そしてグレンが訓練用の木剣を手に取り、俺の前に立つ。
「合図は俺がする……では始め!」
ヴィクターの掛け声で試合が始まる。
グレンもヴィクターと同じく自然体だった。違うのは剣をだらりと下げているのではなく中段に置いているということ。
見るからに隙しかないように見えるのだが、隙じゃないんだろうな。
そもそも隙があってもその小さな隙を見定める力が俺にあるか? 答えはノーだ。だからここは真っ直ぐにいく!
体に覚えこませた剣撃、流れるように出せる技に絞って攻撃を繰り出す。
そして意識を集中して極限の入り口くらいに入り込む。これが今の俺の全力。試合で出せる精一杯だ。
だけど当然のように全てを防がれる。
「気迫は良い。技ばかりに気を取られるよりもよほど効果的だ。いいぞ。もっと打ってきなさい」
「はい!」
これって褒められているのか?
つっても関係ないか。俺にできるのは真っ直ぐに行くだけだ。
そうやって何度か剣を合わせるように打ち合いが続く。
そしていきなりグレンが「分かった」と、そう言った瞬間に俺の持つ剣の側面が激しく叩かれた。
「参りました」
「うむ。良い試合だった」
剣を弾き飛ばされて俺の負けだ。
ほんの少しの時間の試合だってのに息は切れて汗びっしょり。下着まで濡れているのを感じる。
確かにこれは強い。少なくともエリックの数段上の腕前なのは確実だ。
「筋は悪くない」
グレンがそう言いながら木剣をヴィクターに渡す。
「それに目が良い。刹那の心域にも足を踏み入れていたようだ。それも意図的にかな? 中々に面白い」
刹那の心域。これは極限の集中のことだな。
この先生はなんでもお見通しか……でもそれなら。
「グレン先生! どうか俺を鍛えてください!」
俺は直角に頭を下げて頼み込む。
俺のこの力の有効な使い道。この人ならそれを知っているかもしれない。
極限の集中ができたって俺は依然として弱いままだ。
だからこうして頭を下げる。この世界では強さは幾らあったって困らないのだから。
「理由は?」
「俺はアリオン家に仕える者として、もっと強くなりたいんです。そして……少しでも剣の頂に近づきたい。グレン先生のようにはなれなくても、自分に自信を持って剣を振りたいんです」
俺の言葉にグレンはしばらく黙っていたが、やがて静かに微笑んだ。
「いいよ」
「え、いいんですか?」
拍子抜けするような答えに、俺は目を見開いた。
これにはエリックもヴィクターも驚いているようだ。
「フランチェスカの相手としてもちょうど良さそうだからね。君と彼女なら実力も近そうだし、良い競争相手になる」
その言葉に、俺はあの会合の場の出来事を思い出した。
そういえば、フランチェスカは門下生だとか聞いたな……俺があの子の相手? マジ?
色々と困惑はあるが、俺はこの訓練場に通って指導を受けることができるようになった。
この際細かいことは考えないようにしよう。実力を伸ばす。それが最優先だ。
あれから数日後、エリックがカステリスを出立する日が来た。
寄子勢とヴェリウス辺境伯軍の調整が終わり、前線へ向かう時が来たのだ。
「お兄様。どうかご無事で」
「武運長久をお祈りしております。エリック様」
「屋敷に閉じ込められるのはセシリアとしても不本意かもしれんが今は耐えてくれ。そしてリーナはセシリアを頼む。では行ってくる」
俺とセシリアは屋敷の表門からエリックを見送る。
エリックは予定の通り辺境伯軍の本営に配属となった。その剣の腕前から軽歩兵を率いる騎士待遇として扱われるらしい。
一度背を向けたエリックは二度と振り返らずに歩いて行った。これからカステリスの兵営に向かうのだ。アリオン家の嫡男としての責務を果たすために。
セシリアが不安そうに体を寄せてきた。エリックと顔を合わせている時は気丈に振舞っていたようだけど、内心は当然違うよな。どうやら俺と同じような気持ちになっているようだ。
そっか。女が男を見送るってこういうことなのか。この感覚。多分俺には一生慣れる時はこないと朧気ながらに思った。
セシリアを抱き寄せて安心を与えるように手を握る。そしてエリックの背中が完全に見えなくなるまで、俺たちは見送り続けた。
エリックを見送った後の側付きの仕事はどうもしんみりして、セシリアといつものような軽妙な会話はできなかった。
それも仕方ないと割り切って仕事を終わらせ、午後には訓練場に向かう。
こんな気分でも稽古をつけてもらっている身だ。剣に真摯に向き合わねばならない。
ヴェリウス辺境伯の寄子であるなら訓練には参加でき、それは主に午前中に行われる。
午後になると内弟子を中心とした門弟に対しての稽古になるけど、この戦争が始まったことで今いる内弟子はヴィクターだけらしい。
だがこの日は違った。訓練場には会合で見た顔があった。
「フランチェスカ様?」
「たしかリーナだったわね。話は聞いておりますわ。あなたもここで剣を学ぶそうね。私は父上と兄上が出陣している間はここに通うことになったの。これからよろしくお願いしますわ!」
フランチェスカは満面の笑みを浮かべながら言う。
それにしても印象ががらりと変わるもんだ。何せ今はあの縦ロールじゃなくポニーテールだ。稽古着も似合っているし、見た目は完全に剣術美少女って雰囲気だよ。
「それでリーナ。実は遠目ですが、あなたとエリック様が親しそうにしているのを見たことがあるの。あんなに楽しそうなエリック様を、私は初めて見ましたわ! どうしてそんなに信頼されているのか、その秘訣を教えてくださらないかしら!」
ぐいぐいと距離を詰めてくるフランチェスカ。
まさかそんな理由で俺にもこれが来るとは! 仮に教えるとしてどうするよ?
エリックは心が男の女の子が大好きなんだぜ! ……言えねぇよそんなこと!
こうなったら頼れるのは兄弟子だ! ということでヴィクターに助けを求める。助けてお兄様!
「ヴィクター様! ……なんとかしてください!」
だが、ヴィクターはちらりと俺たちを見て一言だけ。
「頑張れ」
そう言い残し、ヴィクターは黙々と素振りを続ける。
ヒートアップしたフランチェスカは俺の肩を掴んで、交互に揺さぶってくる。
「早く! 早く教えてくださいまし!」
「ちょ、ちょっと待ってください! フランチェスカ様!」
さらに距離を詰めてくるフランチェスカ。
ああーもう! どうすんだよこれは!
「ここでは身分は考えなくていいわ。同じ師に学ぶ者だもの。フランと呼んでちょうだい」
「え、でも……」
「あなたと気軽な関係で接する方が、エリック様の心を知る手がかりになるでしょう? ほら言いなさい! フラン! フランですわ!」
その言葉に、俺は少し戦慄を覚えた。
恋のためなら身分の差すら気にしないなんて! そりゃあモラント子爵も苦々しい顔をするよな!
「えっと、フラン。これで良いですか?」
「言葉遣いももっと砕けたもので良いわ! はい! もう一度!」
「分かりました! 分かったから! これでいいよなフラン! 訓練場だけだぞ!」
「それがあなたの素なのね! いいじゃない! これからよろしくお願いしますわ!」
半分やけになってフランの提案を受け入れることにした。
こうして、恋に全力なフリーダムお嬢様が訓練に加わり、俺の剣術修行は新たな局面を迎えたのだった。