矢吹靖彦
セシリアの問い。
これに答えるのは少し勇気がいる。
しかしこの問い対する俺の答えは決まっている。なら今は勇気をだして自分をさらけだす時だ。
「俺の本当の名前は……矢吹靖彦です。ここより遠い、すごく遠い場所から来ました。日本って国の生まれですよ」
エリックとセシリアの視線が困惑に彩られる。
何それ? そんな感じか。
戦国時代の地方領主に、俺はイギリスからきました! と言ったらこういう反応するんじゃないか?
「ニホン……聞いたこともない響きだな。国名なのか?」
「不思議な響きね。そもそも言葉が違うのかしら?」
二人は初めて聞いた音を噛み締めるよう理解しようとしている。
「それと、その、なんだ? ヤブッキ……ヤシック? いや、違う」
「違うわお兄様、ヤブッキン・ヤッシコンじゃないかしら? もしくはヤブキン・ヤシコーン。ヤブキンの方は不思議な響きと可愛いらしい感じがするわね。ねぇ、これであってる?」
やはり俺の名前は正確に発音できないみたいだ。エドワードさんも最初に俺をヤブキン・ヤシコーンと言ったからな。でもセシリアはちょっと正解だ。俺も一時はこの名前でいいやと思ったからな。
しかし不思議な響きはともかく可愛いとは……このあたりはこの世界の言語の持つ性質なのか? というかこの世界の言葉を理解できるのがそもそも不可解か。まあここは考えても仕方ないな。
「エドワード様と同じような反応をしますね。正確な発音はヤブキ・ヤスヒコです。ヤブキの方が家名でヤスヒコが名ですよ。ただ呼び辛いならリーナのままで構いません。エドワード様に名付けてもらったこの名前も、俺には大切なものですから」
そうさ。俺はもうリーナだ。これは俺の名前なんだ。
「……そうか。なら今後もリーナと呼ぶことにする。それとヤブキン・ヤッシコンというほうも覚えておく。これまで俺たちを支えてくれたんだ。名前を覚えておくというのは最低限の礼儀だし、それにお前はもうアリオン家の侍女なんだからな」
「そうね! でもヤブキンの方はちょっと使いたいかも! この名前の響き、気に入ったわ」
エドワードさんと同じだ。この二人もこういう反応を返してくれる。
胸に湧き出たこの暖かさは、何物にも代えがたい。
だがここで話を終わらせるわけにも行かない。ここからが本番か。
「それと、今度こそ訳の分からない荒唐無稽な話をします。実は俺、違う世界からこの世界にやってきた男なんです」
そう言って二人を見ると、案の定困惑した表情が返ってきた。無理もないだろう。
「少し自分語りをさせてください。もといた世界では俺は成人した男でした。平凡な家庭で生まれ、平和な国で育ち、普通に大人になりました。あ、でも、家族仲が悪い家庭だったから、そこは普通じゃないのかな? とにかく、俺は男として生まれて男として生きてきたってことです。勉強を理解できたのも、そこでは学校に通ってたからですね。これでも色々と知ってるんですよ」
「……こんな時にお前が嘘を言うとは思えんな。そんな人間じゃないことは、これまでのことから分かり切っている」
その言葉にセシリアも小さく頷いた。
ここまで信用されているのはとても嬉しい。
「それに学校? つまり勉学を学んでいたのだな。それは分かった。それにまだ話の続きはあるんだろ? 聞かせてくれ」
エリックは眉をひそめながらも俺に促すように言った。
セシリアの顔にも困惑が見えるが、真剣な表情で俺を見ている。
こんな時に、か。俺もこんな事態にならなければ、こんなことは言わないさ。
皮肉なもんだ。この切迫した状況が、俺に自分の過去を語らせるなんて。
……よし、続けよう。
「はい。エリック様。それでですね。働き始めての7年目。29歳の時のことです。俺の人生はとても充実しているとは言えませんでした。結婚もしてないし恋人もなし。それに友達とはどんどん疎遠になっていく。人生に疲れが出始めたんです」
社会人あるあるだ。まさかこうなるなんて、大学卒業時には思わなかったけども。
「それに仕事が立て込んでて、きつくてきつくて。毎日死んだような目で仕事をしていました。そしてあの時は勤務先で寝てしまったんですよ。寝落ちってやつです。それで目が覚めると、この体になっていました」
今思えばあの時は軽い鬱が入っていたかもしれない。
こうして健康な体で思い返すとその心当たりがあった。
「その目を覚ました場所ってのが脱出の時に通った森でした。空が見える一画があるんですが、そこですね。この体になって慌てふためいているところで、エドワード様に拾われて今に至るってわけです」
とんだご都合主義的な展開だったが、あれはマジで助かった。あそこでエドワードさんに拾われてなきゃ、絶対ろくな目にあってないだろうからな。
「……さっきリーナは言ったな。セシリアが聖女の力を持っているのなら辻褄はあうと。これもまたそのような話か」
「そういうことですね。とりあえず今は俺の言っていることが真実であると仮定して聞いてください」
いきなり信じろと言ってもそりゃあねぇ……。
この二人なら話だけは聞いてくれそうだからそれでいいや。
「ではそのようにする。それならこれまでのことも色々と理解できる。強く印象に残っているのは模擬戦だ。あれだけ闘争心を持って戦いを続けたのは男だから。いや男の心を持っていたからという訳か?」
「一番はそれが理由ですが、勝機があったからってのもあります。あの後の先を取る打ち下ろしは俺の世界の流派でもある技なんですよ。あれが戦いなら頭を打たれてそれで死んでますけど、試合ですからね。それに何度もくらって柄頭で来るって確かめましたから。その隙をついたわけです」
「俺の技を知っていたわけか。面白い! その口ぶり、もっと色々と知っているんだろう? 他に何かないのか?」
「あるはありますけど、技の原理までは分からないですよ? それでよければ」
「かまわんさ。新たな剣技を知る機会なんてそうはない。リーナがそのさわりでもいいから知っているなら、それを参考にして色々と――」
そんな感じに話が盛り上がり始めたその瞬間。
「お兄様! 今はそれ所じゃないわ! 剣術馬鹿はやめてください!」
と、セシリアの怒鳴り声で中断された。
正論だ! こんな後でもできる話を今するべきじゃない。
エリックはばつが悪そうに口を閉じた。流石のエリックもこうなるとセシリアにはかなわないな。
「違う世界と言うのはこの際どうでもいいわ。でも今のお兄様との会話でさらに確信が深まったけど、確かにリーナは男なのかもね。もし男を騙っているだけなのだとしても、こうも男っぽくなれるのなら、それはそれで天晴れだわ。でも男ってだけじゃ説明できないんじゃないの? あれだけの戦いができるなんて」
「それはその通り。いままで喧嘩すらしてこなかった人生でしたからね。荒事なんてここに来てからが初めてです」
「ならどうしてあそこまで戦えたの?」
それは勿論。この体のおかげだよな。
「どうやらこの体ってなかなか性能が良いようで、戦いだけに集中すると極限の集中って言うんですかね? それに自分の意志で入ることができるんです」
「そんなのあるの? お兄様?」
セシリアがエリックに確認する。
「そういう時も有りはするな。しかし簡単にできるものじゃないぞ。少なくとも俺には自分の意志でなんて、とてもじゃないが無理だ」
「俺も男の時なら絶対無理でしたよ。なのでこの体特有の能力なんでしょうか? あと疲れづらいとか、痛みが感じにくくなるとかありますよ。こんな女の子の体なのに、戦い向きなんですよね」
「そういうこと……でも荒事なんてした事ないって言ったじゃない。なのにどうして戦う意志を持てたの? 戦うって言うほど簡単じゃないわ。普段は調子のいいこと言ってても、いざという時に逃げ出すなんてよく聞く話よ」
それはそう。戦うのなんて普通なら絶対に嫌だよ。
でも俺は……。
「エドワード様に恩があったから。一言で言えばそれです。でも決定的だったのは……エドワード様が俺の名前を覚えていてくれたからですよ。リーナとして生きるしかないって思った俺を、矢吹靖彦だって認めてくれたんです。あれには感動しちゃって」
今思い出しても心が熱くなる。それに少し照れくさい。
あそこまで人の想いに心を打たれたのは人生で初めてだった。
「その時に決めたんですよ。俺は、この世界で生きてアリオン家に尽くそうって。それに、エリック様やセシリア様とも出会えた。マリア、侍女長、カイルさん、屋敷のみんなも……俺を認めてくれたから、この人たちのために生きたいって、そう……思ったんです」
あと言う必要はないけど、どうせ帰れないと思っているのもある。異世界転生だからなぁ……。
俺の言葉にエリックはゆっくりと頷いた。
「お前がそこまで考えていたとはな。だが、それなら納得がいく。」
エリックが少し微笑みながら背筋を正した。
「それがお前の決意だったんだな。アリオン家に尽くそうとしたリーナの決意だ。だが、決意があるという理由だけであそこまで戦うのは男でも難しいものだぞ。あの状況で、俺たちと一緒に戦い抜いたのは並大抵のことじゃない。だから自分を誇れ。容易ではないことを成し遂げたんだと。アリオン家の嫡男として、お前を誇りに思うぞ、リーナ」
エリックのその言葉は、少ない声量ながらも大きく俺の胸に響いた。
また、胸の奥に熱が灯ったような気がする。
「それで、リーナ」
そんな気持ちの中にいる俺に対してセシリアが唐突に口を開いた。
セシリアからも俺を認める発言が出てくるかと思いきや、その声には何か含みがある。
「だから私の側付きになった日の仕事で、あんな感じだったのね。女になって二週間くらいだったのかな? なら緊張もするわね」
セシリアとの初仕事、そして緊張って言えば……ああっ!
胸に灯った熱は急速に冷え、代わりにあの時に感じた嫌な緊張感が戻ってきた!
うっ、これは、き……きつい……。
「えっと、別にそこまで責めてないのよ? 気にしてないって言うと嘘になるけどね。だから目を逸らさないで私を見て」
言われた通り逸らした顔をセシリアに向ける。
包み込まれるような優しさをもった笑顔がそこにはあった。
「リーナは私の騎士様なんでしょ? これからも私を守ってくれる?」
俺はその言葉に深く頷いた。
「もちろんです、セシリア様!」
この後さらにひと悶着あったが有意義な会話ができたとは思う。
一通り話が済んだことを確認してからエリックが口を開く。
「なら直近の予定を確認しよう。まず、近い内に寄子を集めた軍議がある。これは俺が出席することになるだろう。その後には親睦を深めるための会合が開かれる。二人が意識しなければならないのはこれだ。各家が互いの意志を確認し連帯をするための場だ」
決起集会のようなものだな。宴会を行い英気を養うと言う意味もありそうだ。
「アリオン家の人間はこの場に三人しかいない。だからこそ、他家に侮られるわけにはいかない。寄子同士には長年の派閥や争いもある。その中でどう立ち回るかが重要になる」
つまりは外交。なかなか難しい話になってきた。
「戦時だから会合の場に来る女は少ないだろう。だがそれ故に、セシリアの働き一つでアリオン家の立場を大きく左右するかもしれない。女衆の発言権も馬鹿にならないものだからだ」
セシリアは真剣な顔で頷いた。その瞳には決意の色が浮かんでいるようにも見える。
この話はエリックとの雑談で聞いたことがある。ヴァリエンタ帝国は魔法の練度次第で女も騎士身分として扱われるらしい。おそらくそのことだろう。
となると確かにセシリアは重要な役目を負っていることになる。女同士の社交はまさに女の戦いの場だからだ。
「セシリアもリーナも、それを踏まえて心の準備をしてくれ。こんな状況だからこそ胸を張る必要がある」
エリック瞳には、これから迎える戦いへの覚悟が宿っていた。
「分かったわ、お兄様」
「承知しました」
俺たちは深く頷き、この新たな戦いに向けて動き出す準備を始めたのだった。