過去より来たる幻影
カステリスの中央に位置する堅牢な城塞。
その一角にある辺境伯の執務室は、石造りの重厚な壁と丈夫な木製の扉、無数の地図や報告書が並べられた机で占められていた。壁には過去の戦の戦果を示す古びた旗が掛けられており、そこには長い歴史の重みが漂っている。
エリックがその部屋に足を踏み入れると、ラナルド・ベインズ・エクス・ヴェリウスは椅子に深く腰を掛け、静かに待っていた。その瞳は鋭く、彼の顔に刻まれた皺は、長年の経験と知恵を物語っていた。
「久しいなエリック。しばらく見ないうちに良い顔つきになった。しかし今は昔話に花を咲かせる暇はない。さっそく本題に入るとしよう」
エリックの顔を見たラナルドは厳しい顔つきを緩めたがそれも一瞬だった。すぐに鋭い視線をエリックに向ける。
「アリオン男爵領が襲撃されたという報告は受けている。そしてエドワードが敗れたということもだ」
ラナルドの声は低く、重々しい響きを持っていた。歴戦の貴族にしか出せない威厳がそこに存在した。
「詳しく聞かせてもらおう。本人の口からな」
エリックは一礼し、深呼吸をしてから話を始めた。
「襲撃は突然のことでした。高地人傭兵団の『銀狼』が屋敷を直接狙い、その中に黒いローブを纏った男がいました。そいつは悪夢を見せる力を使い、単独で屋敷に侵入しセシリアを狙ってきました。そして敵の傭兵の話ではありますが、その男が父上を無力化したとのことです」
ラナルドは顎に手を当て、深く考え込む。
「エドワードを無力化する力を持つ……黒いローブの男か。そして高地人傭兵だけで貴族の本拠を襲撃するというのも異常だ。後続に占領のための軍がいたのではないか?」
「いえ、屋敷を脱出するその瞬間まで、ルミナシアの軍勢は確認できませんでした。私たちの目から見える範囲では一切その兆候はありません」
ラナルドの目がさらに鋭くなる。
「では、黒いローブの男が傭兵を率いていたのか?」
その問いにエリックはしばし黙り込み、時間をおいてから答える。
「おそらく閣下の推察の通りです。あの黒いローブの男が屋敷に侵入している間、傭兵たちの攻撃は一時的に止みました。さらに、奴を撃退した直後に攻撃が再開されたことから、直接的な指揮権を持っていた可能性が高いと推測されます。」
「そうか……分かった。では屋敷を脱出してからの話を聞こう」
ラナルドが少しの間だけ視線をエリックから外し考えるそぶりをみせる。そして何か答えが出たのか視線をエリックにもどし話の続きをエリックに求めた。
「隠し通路を使い脱出し、街道沿いの森を進む中でフォクスフォード氏族の傭兵と交戦。彼らの話から、ルミナシアが『銀狼』を全動員するほどの大金を投入していたことを知りました。そして自分たちを森の中で分散配置して逃げる貴族を待ち伏せしていた……と」
「『銀狼』の全動員とはな。今の『銀狼』はゼイガイトの紐付きではない。故に高額の依頼料がいるはずだ」
エリックはその事実に驚愕した。そしてそれはエリックの考えをさらに補強するものであった。
「そうなのですか? ではなおのこと確信をもって言えます。奴らはアリオン領ではなくセシリアを狙っていたと。それと最後に俺たちを追い詰めた傭兵の話もあります。奴は言っていました。セシリアを連れて行くのが自分の仕事である、と。それが一番重要で、嫡男の俺は見逃すことを許容できるとも」
「それほどまでにセシリア嬢を狙うとはな。何が理由かは分かるか?」
「私たちが絶体絶命となった時にセシリアが放った光……おそらくそれが理由かと。あの光によって高地人傭兵に傷を負わせ退ける事ができました。あの傭兵も「これが理由か、契約違反だぞ」と言って撤退したことからも、あの光が理由であることが推測できます」
ラナルドの眉がわずかに動いた。彼の瞳には、深い思索の色が浮かんでいる。
「光、だと?」
「はい。詳しいことは分かりません。ただ、魔法とはまるで別ものだと感じました。以前中央から派遣されてきた魔導士の高位魔法を見る機会がありましたが、そのどれとも違う。発動してから敵に至るまでの時間が一切なく、一瞬で効果を発揮する。そのような光の線が現れたのです。敵を褒めることになりますが、あの高地人傭兵は攻撃を読んでいたかの如くそれを避けましたが。逆に言うならそれほどの戦感を持たねば避けられぬ攻撃であるということ……今言えるのはこれくらいでしょうか?」
ラナルドは椅子の背に体を預け、重い息を吐いた。
「その光……」
ラナルドの脳裏に、古い記憶が蘇った。
自身が子供の頃に起こった長年の敵手たるノヴァリス辺境伯陣営の強引な国境地帯への派兵。軍事的緊張の高まり。
それが起きたのは前聖女イルミナが赤子の時に起こった事故が発端であると、あの時は結論付けられた。
ラナルドは一層顔を険しくしながら思考を続ける。その脳裏には様々な可能性が浮かんでいた。
「ヴェリウス閣下?」
エリックの声にラナルドは思考をいったんやめてエリックに視線を向けた。
「少し考えることができた。すまぬが話は打ち切らせてもらう。まだしていない要件はアリオン領の件だな? 私の副官が現在戦争計画の策定をしているところだ。彼に聞けばどのような状況か分かるだろう。決して私がアリオン家を軽視していない事だけは分かって欲しい。それに寄子勢を集めた軍議も近い内にある。軍勢の戦闘序列を決めるためにも重要なものだ。今はそちらを優先するといい。では下がれ」
そう言って少々強引だがエリックを下がらせた。
扉が静かに閉じられた後、ラナルドは一人、静寂の中で考え込んだ。
そして今後の未来の可能性が口から零れ落ちた。
「エリシャ機関の暗躍。そして此度の戦い。これは想像を超えた大火になるやもしれんな……」
破滅的な戦火が燃え広がる可能性。それが思考をよぎるたびにラナルドの顔はさらに険しくなるのだった。
その言葉は、まるで遠い未来を予見するように、夜空に鳴る聖堂の鐘の音と共に静かに消えていった。
俺とセシリアが暇を持て余しながら宿の一室で待機しているとドアが開いた。
エリックだ。辺境伯との話が終わったみたいだな。
しかし表情からして何か難しいことが起きたようだ。一体何が?
「お疲れ様です、エリック様。それでどうなりましたか? なんか微妙な顔してますよ」
「アリオン領奪還の件に問題はない。まずはヴェリウス辺境伯領の守りを固め、敵の攻撃を跳ね返す。そして敵の野戦軍を打ち破り、その後に占領された地を奪還する計画だ。後回しにされることにはなるが、そこに異議はないさ。だが……」
エリックが眉をしかめる。どうやら面倒なことになったみたいだ。
「ヴェリウス閣下はセシリアのあの光について何か御懸念があるようだった。どうやら俺たちの想像もつかないところに今回の件の真実がある。俺にはそう思えてならない」
エリックのセシリアを見つめるその目には、言葉では言い表せないような様々な感情が渦巻いているようだった。
セシリアもエリックにそのような目で見られて表情を強張らせる。そして悲しそうに眼を伏せた。
「……あの時のことは朧気ながら覚えているわ。ここに来るまでにも何度も考えていたの。それに不思議と確信もあるのよ。あれは私の『力』なんだって、どこか心の奥で感じているの」
「そうなのか? ……だとしても俺には良く分からん。見たことも聞いたこともない力だからな。分からないことを真面目に考えても仕方ない。リーナはどう思う?」
「俺ですか? そりゃあ……」
深刻そうな表情をする二人に言うべきなのか? ありゃあ覚醒イベントなんですよ! って。
まあそれも俺が勝手にそう思っているだけなんだけどさ。
とはいえ確証はないし、二人を混乱させるだけになるかもしれない。
けど……。
「俺の勝手な推測ですよ。だから真に受けないでください。セシリア様の力って、聖女の力なんじゃないですか?」
「……はっ?」
「えっと、リーナ。何言ってるの?」
二人の顔はまさに鳩が豆鉄砲を食ったようという表現にぴったりだった。
まあそうだよな。これは俺が異世界人だからたどり着ける発想だ。日本の創作文化じゃあありふれたものだからな。
でもこんな状況で俺だけしたり顔になるのを押し殺して二人と話すのか? 馬鹿馬鹿しい。共有できる情報があるなら共有するべきだ。
もし間違っていても俺の赤っ恥ですむんだからな。
「ここは可能性の一つとして聞いてください。聖女の力がどんなものか知りませんけど、すごい力なんですよね? 俺は直接見てませんが、エリック様は普通じゃないって評価しました。ならセシリア様が発揮した『力』が聖女の力だったとしてもそれほど変じゃありません。それにセシリア様がルミナシアに狙われる理由もそれで説明できますよ。自分たちの管理していたものが他の所にあるんですからね。絶対に対応はするはず。と、ここまで話しましたが、まるで絵空事のように聞こえるかもしれませんね」
一気に話したけど二人は付いてこれるかな? それとも全否定されるのか。さてどうなる?
「いきなりそんなこと言われてもな。だが無理やり納得すれば辻褄が合う……のか?」
「信じる信じないはともなく、普通ならそんな結論には至らないわ。なんでそんな発想ができるの?」
おっと! 反応は上々かな? 頭越しに否定されないのは有難い。
流石に若いからか頭に柔軟性があるみたいだ。俺が逆の立場ならこうはならないだろう。
「俺も色々とありますから。それで話の続きですけど実際どうなんですか? 血縁者に聖女の血筋があったりとか?」
「そんなわけないじゃない。お父様はアリオン家の人間だし、お母様は騎士家出身のはずよ。そうよねお兄様。お兄様?」
セシリアの問いかけにエリックは黙り込んだ。やっぱり何かあるのだろうか?
「……セシリアが知らないのも無理はない。これは嫡男の俺にだけ伝えられた話だ。母上は騎士家出身ではなく出生不明の私生児だと聞いている。父上との婚姻は、母上が養子として騎士家に迎えられたことで認められたそうだ。そして当時はヴァリエンタ帝国の内乱が最盛期で、祖父や伯父たち跡取りが次々に戦死し、三男だった父上が急遽アリオン家を継いだ。その時点で母上は父上と婚姻を結んでおり、俺を身ごもっていたらしい」
「本当……ですか? そんなことって……」
セシリアが目を見開いて驚いてるが、これには俺も驚きである。
聖女の血うんぬんではなく、一族がほぼ壊滅している事実に驚きを隠せない。
やっぱりやべぇ世界だよこの世界って!
「母上が聖女の血を引いているとは流石に俺も思わない。しかし完全なる否定はできないということだ」
「……リーナの言った通り可能性だけならあり得るという訳ね。でも、それならなおさら気になることがあるわ」
エリックとセシリアが俺を凝視している。
その目に映るのは困惑なのか、それとも疑惑なのか、それはまだ分からない。
「……父上にお前のことをもっと聞いておけばよかった。結局、どうしてお前がアリオン家に来たのか、詳しいことを教えてもらえなかったからな」
「私もよお兄様……あまり詮索するなと言われたからこれまで追求しなかったけど……ねえリーナ」
ここからセシリアが何を言うか想像はつく。でもこれは必要な事なんだ。
エドワードさんには俺の話を聞いてもらう約束をしていた。それはもう叶わないのかもしれない……いや、もう叶わない。
俺はエリックとセシリアを信頼しているし、自惚れじゃなければ俺も二人から信頼されているはず。だから俺の正体を二人に打ち明けるべきなんだ。
たとえそれがエドワードさんに伝えられなかったことの感傷にすぎなかったとしても……。
「あなた一体、何者なの?」




