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AKANE  作者: 木と蜜柑
番外編
63/63

     地上で最も罪な出会い

長らくお待たせ致しました・・・。


ここで、本編では明かされなかった謎が明らかになります。

 

 暗黒の雲に覆われ、空に怒りの雷の光が走り抜ける。吹き荒れる雨粒は肌にを叩きつけるような大粒のもので、強風は二人の旅を阻む程のものであった。

 視界はひどく悪く、目を開けていられない程・・・。互いの声は雨と風の激しい音に掻き消され、互いに聞き取ることさえできない。

 これは、父なる創造主が無断で地上界に舞い降りたルシフェルに対する、忠告の標であった。

 この一ヶ月、彼と血の契約を交わすことで自由に飛ぶことのできる風の力を手に入れたシモンと、そして天上人ルシフェルは、人間界を歩いて回るという奇妙な旅を続けていた。

 ルシフェルの不在に気付いた創造主は、ルシフェルを捜したが、彼はうまく人間の姿に化け、そして一切の魔力を抑えることで人間に紛れることに成功していた。その為、二人は魔力無しの徒歩の旅をしなければらなかったのだ。

「この雨じゃ、当分歩けないよ、どこかで雨宿りをしよう」

「え、何!?」

 大声で叫ぶシモンの声に、ルシフェルは叫ぶようにして返した。

「あ! ま! や! ど! り!」

 一音一音の唇を読むことで、何とかシモンの提案を理解したルシフェルは大きく頷いて見せた。

 しきりに空に青白い雷の筋がいくつも走り、そして間髪入れずに轟音が地になり響く。

 すぐ近くの地面に雷が落ちたらしく、燻ったような煙が上がっている。

(これはちょっと拙いぞ・・・)


 シモンは、視界のきかない中で、何とか洞窟を見つけ出し、その中で雨と雷をやり過ごすことにした。

「父が相当苛立ってるみたいだ」

 衣服の水分を絞り落としながら、ルシフェルが洞窟の穴からちらりと真っ黒な空を見上げた。当分雨は止みそうに無い。

「父って、創造主様ですか?」

 シモンは、火を起こそうと発火石をカチリカチリとぶつけ合いながら、火花を起こしている。

「ああ、そうだ。父はどうやらわたしに天上界へ戻って来いと言っているようだ」

 困ったように、ルシフェルは苦笑した。

「創造主様がお怒りなら、一度戻られてはどうなんですか?」

 なかなか掻き集めた湿気の無い枝になかなか火が付かず、シモンは手を焼いている。

「それはできぬ! 父に見つかれば、強制送還だ。そうすれば、わたしはもう二度と地上界を訪れることはできなくなるではないか」

 急に不機嫌になったルシフェルに、シモンは肩を竦めた。この一ヶ月、共に旅を続けてきたが、どうもこの天上人は見た目は麗しい立派な男性姿をしているが、中身はとても好奇心旺盛な子どものような性格をしていた。

「けれどルシフェル・・・。この世界をお創りになった創造主様です、きっとすぐに見つけられてしまうんじゃないですか?」

 ルシフェルが、”地上界では友というものがあって、友というものは互いに名前で呼び合うものだと話しに聞いた!”と目を輝かせて言うものだから、シモンはルシフェルを名前で呼ぶ羽目になっていた。それは、シモンにとっては、天上人である彼を呼び捨てにすることで、罰当たりなことのように思えて仕方が無かったのだが・・・。

「魔力を使用しなければ大丈夫だ。父は魔力の発動地点を頼りにわたしの居場所を見つけ出す」

 やっと引火に成功したシモンは、ふうと一息をついた。こんな火だって、ルシフェルの力さえあれば、簡単に起こすことができるというのに・・・。

「このまま隠れ続けるには無理があるようにも思いますけど・・・」

 心配そうなシモンに、ルシフェルが自信満々に返す。

「君は何も心配しなくたっていい、シモン。わたしだって、一通り地上界を見て回ったら自分から天上界にちゃんと帰るさ」

 美しく透けるような白い肌に、蒼黒の髪をしとどに濡らしたとても神秘的なルシフェルの姿に、シモンは何度も目を釘付けられる。それはまさに、神懸りの美しさと言えた。

 けれど、彼はその美しい顔で子どものように唇を尖がらせたり、頬を膨らませたりと、その姿に不似合いな仕草をした。

「ルシフェル、あなたって、一体何歳なんですか・・・?」

 シモンの純粋な疑問だった。

「何歳? 天上人にはそういった概念は無いんだけれど・・・・。わたしは兄上や姉上達に比べるとずっと若い。父が一番最近にわたしを生み出したと言っていた。と言っても、この地上界で言えば何千年という時が経過しているんだろうけれど」

 ルシフェルは興味深々なシモンに天上界でのあらゆることを話して聞かせた。

 

 月の女神アルテミス、太陽神アポロン、大地の女神ガイア、天空の神ウラノス、彼らはルシフェルと同様に創造主が生み出した兄弟達であること。他の多くの天上人達も、生まれた時から大人の姿をしていること。そして、その誰もに”欲”というものが存在せず、誰もが勤勉で、誰もが慈愛に満ち、そして父である創造主に従順であること。

 けれど、一番年下のルシフェルだけが彼らと少し毛色が違っていた。

 創造主は、完璧を求め、限りなく神に近い存在である天上人を創りだすことに成功し、そこで生まれたのがこのルシフェルだったのだ。

 ”欲”が無く、そして慈愛に満ちた天上人達には欠落している部分があった。それは、感情というものの・・・。それが無ければ、彼らは創造主の子ども達という名の、ただの操り人形でしかなかったのだ。

 創造主は、操り人形でな無く、自らの意思を持った者を生み出そうとしたのだ。感情と意思を持ったその者に、いずれは神として世界を預けようと密かに計画していたのかもしれない。

 

「わたしは、いつも父から地上界の話を聞かされていた。そこに住む人間達の話はすぐにわたしの心を虜にした。やがて、人間界のことをもっと知りたい、人間界の言葉を学びたい、人間界での暮らしを見てみたい、人間と接してみたい、と強く考えるようになった」

 ルシフェルの好奇心と、”もっと知りたい”という欲は、やがて創造主の手を煩わせる程のものとなっていったらしい。

 そうして、彼は創造主の目をすり抜け、こうして無断で地上界を訪れることを決行したのである。

 

 ここでシモンがルシフェルから直接聞いた話は、後にゴーディアの魔王降臨の際の伝記物語として伝えられていくこととなる・・・。





 明け方、雨が止んだ洞窟から、シモンが食料調達に出掛けてからのことである。

 一刻程経過した頃、洞窟のすぐ側で何やらかさかさと葉がこすれる音と、足を引き摺るような音が聞こえ、ルシファーはシモンが帰ってきたと思い警戒心も何も一切無く洞窟の外に飛び出して行ったのだ。

「シモン、戻ったのか?」

 きょろきょろと周囲を見回しながら、洞窟の入り口のすぐ脇に立っていたルシフェルは、突如後ろから羽交い絞めにされ、その首にひやりと冷たい硬い何かを突きつけられ、驚きで身体を固くした。

「何者だ」

 中性的な声に、ルシフェルは返した。

「君こそ誰だ?」

 予想外の反応だったのか、その者はゆっくりと羽交い絞めにしていた手を緩め、硬く冷たい物を引っ込めた。ルシフェルから一切の殺気が感じ取れなかったからだ。


「賊ではないみたいだな」

 ルシフェルの眼の前に、吸い込まれそうな不思議な碧い髪が靡いた。

 それは、彼が今まで一度も目にしたことの無いとても珍しく美しい色・・・。

「おい。口がきけないのか? なぜ何も言わない」

 呆けたルシフェル、その者は不機嫌に言った。

「わたしは・・・、ここで友を待っていたのだ・・・」

 なんとかそう言ったルシフェルの神懸かった美しい容貌に気付き、その者が驚きに満ちた声で質問した。

「お前・・・、人間か・・・?」

 その一言は、ルシフェルに十分すぎる動揺を与えた。なぜなら、彼は魔力を一切抑え込み、完全に人間の中に紛れ込んでいる筈だったからである。

「わ、わたしは、に、人間だぞ! あ、怪しくなんてないぞ!?」

 明らかに挙動不審な美麗な男に、その者は訝しげな碧い目を向ける。その瞳は、髪と同じ色で、ルシフェルは思わずじっとその目を見つめていた。

 そして、あることに気付く。

「怪我を・・・しているのか?」

 薄汚れた旅装束に腰に剣を携えていることから、この者は旅の剣士と伺えたが、その腿をぐしょりと赤黒い血液が衣服を濡らしていることにルシフェルは気付いた。

「大したことはない。ただのかすり傷だ」

 剣士がさして興味もなさそうにそう言ったものの、ルシフェルはその足元を転々と血の痕がずっと森の向こうから続いていることに目を留めた。

「わたしにはそうは見えないが。かなり痛そうだ」

 まるで我が身のことのように、眉を顰めるルシフェルに、剣士は顔には出さずとも、心の中で小さく安堵の溜息をついた。

(追手ではないようだな・・・)

「・・・! おい、何をするっ」

 急にふわりと浮き上がった感覚に、剣士は反射的に剣の刃をルシフェルに突き立てかける。

 今、怪我を負った碧き剣士は森の中で出会ったばかりのこの男に抱き上げられていたのだ。

「洞窟の中で傷の手当をしよう。怪我をした女の子を放ってはおけまい」

 驚きに目を見張った剣士は、思わず突き立てていた剣の手を緩めてしまった。

「わ、わたしは男だ! 放せ! 放さなければ叩き切るぞ!」

 ずっと張り詰めた空気を纏っていた剣士が思いも寄らないルシフェルの行動に少し緩む。

「男? 君は女だ」

「なぜそう思う!? わたしは正真正銘の男・・・」

「君は美しい。男は逞しく、女は美しいと父から教え学ばされた。よって君は女だ」

 呆気にとられたようにぽかんと口を開けた剣士だったが、すぐに正気を取り戻し、またルシフェルの腕の中で暴れ始めた。

「美しいだと!? よくもその顔で抜け抜けとそんなことを言えるな。そう言うなら、お前自身も女では?」

 剣士は、これ程までに美しい容貌の人間をこれまで目にしたことは無かった。腹が立つやら調子が狂わされるやら、何やら訳の分からない感情で、嘗て無い程に取り乱していた。

「わたしは男だ。何故なら、わたしは逞しい」

 恥じらいもせず、もがく剣士をなんなく抱いたまま、ルシフェルが自身ありげに頷いた。

「お前っ、頭がどうかしているんじゃないか!?」

 剣士が呆れ半分で美しすぎる男の顔をまじまじと見つめる。名も知らない謎多き男。殺気の一切が感じられず、成熟した肉体とは反した少年のような真っ直ぐで迷いのない物言い。一体どういう経緯で、この男がこんな山奥の洞窟にいるのか、全く想像もできない。

「失礼な。わたしの頭は正常だぞ? 君は女だ。そして君の瞳は・・・とても優しい」

 剣士は顔にかあっと血が集結するのを感じた。

 暴れるのをやめた剣士の身体をそっと洞窟の奥に降ろすと、ルシフェルは剣士の腿に走る傷跡を見つめ、そっとその手を宛がった。

「何をする気だ・・・?」

 不審そうな目を向け剣士が剣の柄を握りしめる。妙なことをすれば迷わずばっさりといってやる気だった。

 じっと見つめてくる黒曜石の瞳は大丈夫とでも言わんばかりに、じっと剣士を見つめ返した。

 剣士は吸い込まれそうなその瞳に、思わず呼吸を忘れてしまっていた。


 逸らすことのできない瞳に金縛りにあったかのように釘付けられている間に、先程まで痺れるように感じていた腿の痛みがいつの間にか消えていることに剣士は気付いた。

「・・・傷が・・・」

 慌てて傷口をまさぐるが、確かに血に濡れた衣服が不快に足にくっついてはいるが、どこにもその傷跡が見当たらない。痛みどころか、まるで最初からそこに傷などなかったかのように脚も何不自由なく動かすことさえできる。

 驚きの目で、剣士はルシフェルの胸倉を掴んだ。

「お前、一体何者だ!!」

「わたしはルシフェル。天上人だ」

 眉を顰め、ぐいと剣士は美しい彼の顔を引き寄せた。

「馬鹿を言え、そんなものがこの世に存在する筈が・・・」

 掴まれた手に優しく手を添えたルシフェルは、しっと指を唇の前で立てた。

「拙い、非常に拙い・・・。父に居場所が見つかった・・・」

 うんざりしたようにそう言うと、ルシフェルは剣士の耳元で囁いた。

「ねえ、少し父をからかってやろうか?」

 悪戯を思いついた子どものように、ルシフェルは剣士に微笑みかけた。

「は!? お前は一体何を言って・・・」

 

「!!!!」


 そう言った瞬間、周囲の風景が飛ぶように流れた。

 一体何が起こったのか全く理解できないでいる剣士は、大きく見開いた碧い瞳で、ゆっくりと周囲を見渡した。


「・・・ここは・・・」

 今、目の前で常識では考えられない事象が起こっていた。

 二人は、さっきまでいた場所とは全く別の場所へと瞬時に移動していたのだ。

 

 手を宛がっただけで完治した腿の傷跡に、瞬きする間に身体を移動させる能力。神懸った美しい姿。

 明らかに彼が人間ではないことは一目瞭然であった。

「さすがの父も、すぐにここを探し出せないだろう」

 嬉しげに空を見上げる男は、してやったりと手を腰に宛がった。

「ルシフェル、お前は一体・・・」

「ここはセレネの森と言うそうだ。どういう訳か、この場所だけは父の千里眼さえも干渉しにくい特別な力を持つ場所のようだな」

 満足気に辺りの木々を眺めながら、ルシフェルはそう呟いた。

「おい、聞いているのか!?」

 剣士は暢気な彼に苛立ちを感じ、駆け寄って彼の胸倉を再び掴む。

 そんな剣幕にもまるで怯む様子もなく、ルシフェルはにへらと笑った。

「父から聞いたことがある。父が創り上げてきたこの世界とはまた別の世界をすぐ近い時空に存在すると・・・。この場所で少しばかり細工すれば、ひょっとしてその世界に行けるかもしれないとは思わないか?」

 彼の言っていることの意味が全く理解できないが、剣士はこの男が何やらとんでもないことを考えている気がした。

「よくわからないが、わたしを今すぐ元の場所へ返せ!!」

 この謎めいた美しい男に関われば、なぜかとんでもないことに巻き込まれかねないと感じ取った剣士は、一層強く胸倉を掴み、強く揺さぶった。

 ルシフェルは気にした様子も無く、そっと近くの地に手の平を翳した。


『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ』


 瞬間、地が小刻みに揺れ、何か岩がぶつかるような不気味な音が周囲に響いた。

 森がざわざわとざわめき、鳥達が木々から一度に飛び立ってゆく。

 バランスを崩しかけ、剣士は掴んでいた手を緩め、咄嗟に辺りを見回した。何か危険な生き物が今にも飛び出してくるのではないかと剣の柄に手をかける。


 ひとしきりの揺れと音が止んだとき、剣士は自分のすぐ背後に小さな洞窟が突如出現していることに気付いた。

「・・・お前・・・、今度は一体何を・・・」

 信じられないことばかりをするこの美しい男に、剣士はこれまで無い程に振り回されていた。それも、初対面の者にだ。

「この洞窟は少し特殊なつくりにしてみた。蝋燭の火を囲って安定させるのと同じように、時空の歪みを囲うことで安定させてやるという訳だ。さ、父が勘付く前に行ってしまおう」

「は!? 一体どこに行くというんだ!?」

 ぐいと剣士の腕を掴むと、ルシフェルは好奇心で輝く目を向けた。

「もう一つの世界、アースに」

 そう言って振り返った創り出されたばかりの小さな洞窟の中には、金色に輝く眩い光が輝いていた。

「わ、わたしは行かないぞ!? 行きたければお前一人で行けばいい!!」

 掴まれた腕を振り払おうとするが、思いの外この美しい男は力が強いらしくそう簡単には離れない。

「さ、行こう。君はその証人という訳だな」

 にこやかにそう言ったルシフェルの耳には、既に剣士の抗議の声は届いていない。

「お、おいっ! 聞いているのか!? なんて強引な男なんだ、お前はっ! おい!」

 半ば引き摺られながら、剣士はルシフェルが好奇心に輝く黒曜石の眼で見つめる金色の光に今にも連れ込まれかけていた。

「一体なんなんだ、お前は!? わたしの話を聞け!!」

 光に吸い込まれる瞬間、ルシフェルはとぼけたことを口にした。


「あ、そういえば君の名を聞いていなかった。君の名は?」

「わたしは行かないと行っているーーーー・・・」


 光の中に消えた二人の姿。

 この後、シモンが跡形も無く突然消えてしまったルシフェルを必死で探し回る羽目になり、そして父なる創造主さえも二人を追跡できなくなったのは言うまでもない。

 

 二週間後にこの場所から再びこの世界へと帰還を果たしたルシフェルは、二週間たっぷり異世界旅行を楽しんだ上、天上界ではきつく禁じられている禁忌をすでに犯していた。心の傷を負った剣士は、このときからルシフェルの特別な存在となってしまったのだ・・・。

 強く美しい剣士の正体は、賊の手にかかり滅ぼされてしまった、水の精霊を奉る少部族の唯一の生き残りの娘だったのだ。彼女の名はアザエラ。彼女はその仇をとるがため、たった一人旅を続けていたのだ。


 元の世界に無事戻った美しい男装の剣士は、再び仇をとる旅に出る。そして、彼女と別れた後ルシフェルはシモンに挨拶だけ済ませた後、すぐに天上界へと引っ込んでしまった。心に焼きついた彼女があまりに大きく、そしてルシフェルの心を苦しめたのだ。産まれて初めての恋だった。彼女をずっと傍に置いておきたいと願う反面、仲間や家族を一度に奪われた彼女の悲しみと怒りをどうしても拭い去ってやることができなかったのだ。ルシフェルは苦悩した。どうすることもできない苦悩に頭をただ頭を抱えるしかなかった・・・。

 


 やがて数年が経ち・・・、とんでもないことが発覚することとなる。

 地上界では普通では考えられない程の強い魔力が、しかもルシフェルそっくりの魔力が動き回り始めたのだ。創造主はそのとき初めて息子の犯した重大に罪に勘付いた。

 

 



 彼女は血に染まった大地を、何色も映さない碧く美しい眼でぼんやりと眺めた。

 最期の一振りで、虫の息だった賊の頭領の胸を突き刺し、成し遂げた敵討ちに胸を震わせていた。

「終わったか・・・」

 ぽそりと呟いたその声は、やけに悲しげに響いた。

 あの日、仲間や部族が目の前で賊の手にかかり息絶えた瞬間から、こうして賊のアジトを嗅ぎつけ全滅させる今まで、あまりに長く苦しい旅だった。この日を何度も夢見、この為だけに自らの手を血で汚し、剣を振るい続けてきたのだ。

 けれど、今彼女の目の前にあるのは、只の”無”。

 しんと静まり返った”無”だけが閑散とそこに腰を降ろしていた。

「何を感傷に浸る必要がある・・・? これ程待ちわびた瞬間は無かった筈だ・・・」

 ひどく胸が痛んだ。やり遂げた筈なのに、今彼女の傍には何一つ残ってはいない。家族も、仲間も、友人さえも・・・。あるのは只の”無”のみ。なんの為に今こうして生きているのかさえ考えられない。

 そんなとき、ふとあの男の顔が頭を過ぎった。

 長く思い出すことのなかったあの男の美しすぎる顔が。少年のように微笑みかける黒曜石の瞳は、なぜか彼女の頬を僅かに緩めた。

「なぜ、あんな男のことなど・・・」

 笑い方を忘れてしまったようで、ひくりと頬が引き攣ったように上がり、彼女は冷たく碧い眼を少し細める。まだ自分に少しでも温かい感情が残っていたことを不思議に思いながらも、彼女は突き刺した剣をずぶりと頭領の胸から抜き取った。

 どういう訳かせり上がってくる強い吐き気に、彼女は屈み込んだ。

 何百人もの人間を切り捨ててきたえれど、こんな吐き気を催したことなど一度だって無かった。そして、あの男の顔を思い出したのも数年ぶりのことだった。いや、思い出さなかったのではなく、きっとわざと心の奥底に押し込めてきた想いに違い無い。

 ルシフェルと過ごした二週間は、彼女にとってまるで夢のような時間だった。あの時だけは、全てのしがらみから解放された気がしていた。ただの一人の人間の娘として、幸せな時間を過ごせたようにも思う。けれど、それは今となっては全て夢だったのかもしれない。謎に包まれた美しい男は、きっと何かの幻影か白昼夢だったのだろう。

 けれど、どういう訳か彼女は強く彼に会いたいと感じた。たとえ、それがまた幻か白昼夢であったとしても・・・。






 ルシフェルの過ちに、創世主は怒りを露わにした。

 微妙な均衡を保ってきたこのレイシアの世界を破壊するやもしれないルシフェルの大罪・・・。人間と関係をもつこと・・・。それによって、地上界に絶対に存在してはならない強い魔力を持つ、天上人の血を引く子どもが誕生することとなる。その子は、やがてこの世界の脅威となるだろうと創世主は判断した。今、数年の時を経て、人間の娘アザエラは、確かに強い魔力を持つ子を身篭っていたのだ。そして、そのことに本人さえもまだ気付いてはいない。

 創世主は手遅れになる前に、彼女とその中に芽生えた新しい命を消してしまうことを計画した。

 けれど、それを知ったルシフェルはそれを阻止する為に再び地上へと舞い降りたのだ。これが全ての始まりとなった、魔王降臨である。

 父なる創世主と、子であるルシフェルの攻防が始まった。神と、神に果てしなく近い力を持つ天上人ルシフェル。

 こうして、ルシフェルは天上界から追放され、エルの称号を失い魔王ルシファーとして魔族の国ゴーディアを地上界に建国していくこととなったのだ。



 


 







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