〜とある竜の白昼夢〜
ーー王が帰還した。
その知らせを受けた竜妃は身支度を整え、暗い廻廊を歩いていた。
自然と足早に。心が急いて仕方が無かった。
だが息を弾ませながら会いにきた自分を見たら、王はどう思うだろうか?
きっと困り顔で、「大事な時期なのだから慎重にしなければ」とお小言を言うに決まっている。王こそ戦から戻った身であるというのに、だ。
だから竜妃は走り出したくなる気持ちを押さえながら、衣擦れの音も優雅にあくまで王妃らしく歩くように努めていた。
ふと前方に気配が。
顔をあげれば王に帯同し参戦していた妖精妃がこちらに向かって歩いて来ていた。
彼女は自分とは逆で、王に辞去の礼を取り、自室へ戻る最中か。
フラフラとおぼつかない足取り。その足元には黒犬がウロウロとまとわりつき、時折心配そうに彼女の顔を見上げていた。ただの犬では無い。供の妖精なのだろう。
それにしてもひどいのは彼女の格好である。髪も整えられておらず衣はボロボロだ。
露わになっている肌には擦り傷も多く血が滲んでいた。
おや?と竜妃が目を凝らす。
妖精妃の身に纏う神気に明らかな変化があったのだ。以前よりも遥かに、ちはやぶる神の力が確かに彼女の魂に宿っていた。
あぁ、神位を得たのだなと納得した。
度重なる戦に赴き、人々の畏怖と崇拝の念を浴びせられ……ありとあらゆる情念と祈りが彼女をついに神の位にまで押し上げた。
竜妃の身に、神位というものは生まれついて備わっていた。当然のように魂に刻まれていた。それもあってか、自他の神位に執着はおろか頓着もしない。というかまるで興味が湧かないでいた。
なのでこの時も軽く会釈をし、その横を通り過ぎようとした。彼女の事などよりも今は、一刻も早く王の顔を見たかった。
それなのに。
「アシャーナ、何故おまえは……」
呼び止められた。
内心面倒だと思いながら振り返る。
「お久しぶり、妖精の君。そして此度の戦、本当にお疲れ様ね。ところでわたくしに何か御用かしら?とても急いでいるのですけど」
「何故、おまえは戦に出ない?」
「その問答は今必要かしら?」
無言で睨みつけられ嘆息した。
本当に面倒だ。
「……わたくしは身重の身ですから」
「そんなことは、知っておる。だがおまえは孕腹で無くとも…戦に出ない。ただの一度も。何故?」
竜妃はこてんと首を傾げた。「あら?おかしなこと」と。
「その質問には質問を返しますわ。何故わたくしが戦に出る必要がありますの?」
「は……」
「純粋な疑問です。戦力は十分過ぎるほど足りていますでしょう?貴女がいますし、わたくしの子らもおります」
訳が分からないという顔で妖精妃は自分を見る。でもそんな顔をしたいのは自分の方だ。
「王の剣は貴女、盾にはわたくしの子。子達には何があっても彼を守るように言い聞かせておりますもの。不足はありません」
契約がある。
妖精妃は王の命を、その天寿を守らなければならない縛りが。
前線の彼女は少々ボロボロだったが、王はかすり傷一つ負わず無事帰還したと聞いている。勿論子供達も。
「わたくしの子は役に立ったようです。立派で良い子達です」
とても満足げに笑っているだろう自分を、やはり彼女は不可解な表情をもってして見つめる。
「万が一という考えもおまえには無いのか?王にも我が子にも」
「人間相手に?まぁ、ふふふ。有り得ない事ですが……」
そう前置きをしつつ、想像をめぐらせた。
「子が死ぬのは悲しいですが……仕方ありません。戦でも何でも、王の役に立つよう産み参らせた子ですもの」
無論我が子達だ。竜妃だって我が子は愛しい。
何より王の血を引いているのだ。可愛くない筈がない。
我が身より大事だと断言できる。
でも……。
あの方以上に大事な存在になり得なかった……これに尽きる。
「我が子が戦で死ぬのは、それがその子の天命であり役割だったというだけでしょう。でも王が戦場で死ぬのは……それは貴女の所為」
「は?」
「彼の天命が戦場で潰えることは有り得ません。あってはならないことが起こるのは、それは貴女が怠惰を働き天のお導きに背くことを表します」
惚けた表情そのままに固まってしまった妖精妃の肩に手を添えそっと囁く。「それは重大な契約違反」と。
「彼が戦場で死ぬ……そんな事が起きたら貴女は王の御魂と添い遂げる事は叶わないでしょうね」
それならそれでいっそ素晴らしい!とさえ竜妃は思う。王の死後、その御霊が妖精妃に囚われないのならば自分も彼亡き後はその後を追うだけだ。
自死をすれば王はひどく怒るだろう。
でも最後は、きっと最後の最後は……許してくれる。あの困ったような笑顔でため息をつきながら。「本当に仕方がないな……」と。そう言って許して下さる。
怒気をあらわに妖精妃はこちらを睨んでいた。
そんな瞳で見られても冷えた感情しか沸いてこない。
「あなたの役割は何?妖精の君。あの方の為に力を尽くすというのは他ならぬ貴女が決めた事でしょう。下らぬ嫉妬に囚われて、わたくしに八つ当たりをなさらないで」
「それ、は……」
「大いなる力を得たのならば、ゆめゆめ忘れて下さるな」
黙って俯いてしまった妖精妃を尻目に、竜妃は今度こそ王の元へ向かう。
(何て馬鹿馬鹿しいのかしら……)
どんどんと遠ざかる妖精妃の気配を背中で感じながら思う。
妖精妃が現状に不満を抱いているのは目に明らかだった。王は少々……女心に鈍感な所があるので気づいていないかもしれないが。
同じ王の妻なのに、自分だけが戦に出て人を殺し泥と血で汚れている。いつも涼しい顔をして王を送り出し、化粧をし髪を整え綺麗な衣をまとって夫を出迎える竜妃に彼女は嫉妬をしていた。
でもその現状は全て自身が招いたこと。
妖精妃がそのように己の役義を決め、王と契約をしたのだから。
そう、この現状は全て……
「わたくしが招いたこと……」
竜妃もまたずっと苛まれている。
もしあの時……精霊国の兵士に追われていたあの時に。
(わたくしが敵兵を殺すなり返り討ちにしていれば?)
彼は妖精妃と契約を交わすことなく難を逃れられた。
その御魂を死後に明け渡す契りなど結ぶこともなく……
きゅっと唇を引き結ぶ。
「なんて下らないの……」
竜体に変化して人を殺せば王はどんな顔をして自分を見るのだろう?……嫌われてしまうかもしれないーー躊躇がその時の竜妃にはあった。
王は自分が優しい竜の姫だと思っている。虫も殺せぬ気弱な娘だと今もそう考えているようだ。
しかし自分は竜だ。言ってしまえば王以外の人間の命にさして価値を見出していない。故に殺そうと思えば出来てしまうだろう。
同じ人外でも妖精妃の方がまだ情に厚いのではと思うくらいだ。
彼女もまた主人であり夫である彼が史上の存在と定めている。しかしそれとは別に自分を慕う民草を愛おしむ気持ちが芽生えているようにも見える。
慕われ好意を持たれた相手を懐に入れてしまうのが早い。手の平を返すのも早そうだが。……要は感情的で随分と単純な方に思える。
しかし自分は先程、そんな彼女の両のまなこに暗い灯火をみた。
ーー竜妃は気づいていた。
その冷たくて青い炎は自分も胸に抱いていることを。
生涯をその傍に寄り添う事が許されている自分は王の生よりも死を見つめ心を奪われている。
一方の妖精妃は。王の死後その御魂と添い遂げる事が出来るというのに。なのに生の向こう側にある安寧へ思いを馳せず、王が生きているうつつに嫉妬し囚われている。
互いに自分の持っているモノに想いを込めてやれない。自分はその矛盾に気づいている。気づいているのにどうしてもその苦しみから抜け出せずにいる。
竜妃はふっと諦観の面持ちで溜息をついた。
「見ているのでしょう?」
おもむろに視界の隅に手を伸ばす。
「いづれの神か霊かそれとも悪鬼が?定かではありませんがさて不思議な気配がしますね……空間がねじ曲げられているとは」
宙に伸ばした手、そこにまるでほつれか穴があるかのように掌で覆い隠す。
金の指甲套がこすれ、ギィン……と冷たい金属音が鳴る。
「……どちらにせよ覗き見されるのは気分の良いものではありません。お戻り」
後は紙をくしゃりと丸めて潰すかのように。
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キィンキィンキン……
先程彼女がつけていた指甲套の擦れる音なのか。やけに耳に残る音だ。
甲高いその音が頭に溢れて溢れて……
「あーーー、やな夢」
ルークは髪をぐしゃりと片手で揉む。完全に目が覚めた。
しかし寝覚はあまりよろしく無い。気分が悪いと言われてもそれは自分も同じだ。好きで覗き見たわけじゃない。迷い込んでしまっただけで。
今見た夢。夢であって夢ではない。あの出来事は過去に実際に起きたことだろう。
でもただの過去視に留まらない。神力高き自分の見る夢はそこに何かしらの意味がーー予知夢が孕んでいる事も多い。
予感がする。予感が。
「妖精が精霊に、かぁ……」
ーー面倒なことになる予感が。




