七十六話 浮舟
組合で引き受けたのは、荷運びの仕事だった。
俺に出来ることなんざ、こんなことくらいだがな。
集合時間が早く、日も昇る前から宿を出る。
漁村からの依頼だから、朝早いんだろうか。
しかし、それは漁師達だろうし運び屋は何するんだろうな、などと考えつつ外へ出ると、依頼書の簡易地図を見る。
集合場所の目印を確認し、宿へ再び入った。
「あんちゃんどうした。忘れもんか?」
あんたの依頼かよ!
「がっはっは。客が仕事受けるんじゃ、水車みてえだな」
俺が依頼書を見せると、魚主人はよく分からない例えを言って、付いて来いと合図を送ってきた。
宿屋の受付兼解体作業場の奥にあった、大きな両開き扉が開かれると、眼前に砂浜が広がった。
狭い砂浜の端には、小さな漁船も数艘並んでいる。
すでに顔馴染みらしい地元の作業者が、数人集まって挨拶を交わしていた。
浜から町の市場まで、魚を運ぶ。
市場から、店などの各所へ搬送。
潮流亭では加工が仕事らしいが、漁師ではなかったのか。
捌いた魚の残りは、飼料にするらしい。
これも、町外れの村まで運んでいく。
とにかく、荷運びに次ぐ荷運び。
一日に様々な場所へと移動した。
忙しい町だ。
早めの昼休憩に、宿の砂浜まで戻ってくると、汗だくで座り込む。
解体の作業員達が、捌いた魚を、木箱の底だけ切り取ったような板に並べているのをぼんやりと眺めていた。
平たく並べられた板が、幾つも積まれていく。
湯通ししたり、乾燥させたりと様々に加工していくらしい。
しばらく呆けていると、魚主人から威勢のいい声が飛んできた。
「待たせたな。飯だぞ!」
飯は、余りものから賄われるようだ。
休んでいた者達が、芳ばしい匂いに群がっていく。
「さあ食ってくれ。名物ポトラン焼きだ」
なんだそれ。魚の名前だろうか。
「ポトランって、この魚の名前か」
周りから一斉に笑いが沸き起こった。
魚主人は、大仰な動作で背を反らせたかと思うと、起き上がって呆れた顔で俺を見た。
「おいおいぃ来た町の名前も知らねえのか。入口で立て札見ただろ。その目は節穴か?」
藪に埋もれていたぞ。
「ああ、あったね」
立て札自体はな。
そうか、この町はポトランというのか。
渡された串焼きを見る。
焦げ目がついた白っぽい身からの芳ばしい磯の香りは、食欲をそそる。
だが、幾つも結び目をつけた紐のような手足が、何本も絡まりあっていて不気味だった。
魚じゃないよな、これ。
齧ってみると、石鹸を噛んだような弾力に吐き出しそうになる。
我慢して咀嚼すると、味は悪くなかった。
早朝からの仕事は、午後も半ばに切り上げられた。
宿に戻って汗を流し、洗濯もしておく。
どうせ明日も同じ仕事だ。
二人はまた、晩飯を確保しに出かけているらしい。
部屋に洗濯物を干し終えると、俺も入り江に向かった。
まだ早いが、すっかり腹が減っていた。
「どうだ、釣れてるか」
振り向いた商人は満足気な顔だ。
釣れてるようだな。
「魚籠を空けてくれ。大き目のを借りれば良かったな」
そんなに釣ってどうする気だよ。
開いてよく焼き部屋へ吊るしておけば明日も食える、などと言って張り切って釣っている。
明日、部屋が悲惨なことにならなければいいな。
パンに挟んで食べたら美味しそうだから、僅かながら期待しておく。
駄目だったら、魚主人からちゃんとした干物を買おうか。
腹も減ってるし、丁度良い。
俺は早速火を起こした。
棒に刺した魚に火が通ると、二人を呼ぶ。
また三人並んで齧りつく。
二匹ほど平らげて腹が落ち着くと、商人からの世間話が始まった。
世間話と言っても、商人が仕入れてくる情報は馬鹿にならない。
が、どうも様子が違う。
商人は、微妙な面持ちだった。
「あんたから聞いた話だと、北方で精霊力の活性化があるんだったな。それが、こんな南方でも既に噂は届いている……そういった話を耳にする度に、考えてしまうんだよ。このまま海を渡っていいのかと」
その気持ちは、痛いほど分かるつもりだ。
しかし国も動いているし、人も物資も集めているのは見ている。
一人がどうこうしたところで、即座に状況が変わるわけではない。
少なくとも、俺はそう自分を納得させた。
商人の場合、符の作成で直接的な支援ができるから、より身につまされるんだろう。
それでも、何年どころか、数ヶ月もほっつき歩くわけではない。
「今日明日で、どうにかなると思うか」
こんなところで悩むなよ。
俺自身の目的の為だけで言っているつもりはない。
この異変を、もしどうにかできたら、その後にも人生は続くだろ。
「……思わんな」
商人は軽く息を吐いて、立ち上がった。
「よし、釣ってくる」
その背に、声を掛ける。
「重労働らしいが、俺も船で仕事してでも渡るんだ。船内で、符を作りまくれよ」
商人は黙って頷き、釣り竿を手に、さらに隅の方へと場所を移していった。
魚に齧りついていた女が、静かに呟いた。
「私達が悠々と海を渡るために、せいぜい暗い水底で働くといいよ」
お前だけ沈めてやろうか。
あの商人にも、魔術式以外の苦悩があったようだ。
それに当てられたわけでもないだろうが、どうも場が静かだ。
そういえば、昨日もやけに過ごし易いと感じていたが、あまり女が騒いでいないことに気付いた。
腹でも下しているのだと思っていたが、目を輝かせて魚に齧り付いていたし、顔色は健康そのものだ。
女は食べ終えると、商人とは逆の砂浜の端へと歩いて行った。
骨などの残りを火にくべ、場を片付ける。
ここのところ、女から話を聞いていなかったな。
俺も立ち上がると、女の方へ向かった。
「結局、国内に原因の糸口はなかったな」
声を掛けると、女は判断しづらい微妙な面持ちで頷いた。
一人になりたかったとかかな。
かと言って明日も仕事だし、話す機会もない。
それに、この様子は何か変化の表れではないのか。
「お前は、商人の護衛が終わったらどうするんだ。実際の経験はともかく、旅人の実績は少ないと言ってただろ」
女は物悲しげに海を見ている。
海を通して、どこか遠くの景色を見ているようだった。
「会いたい人がいるの」
何の話かと思ったが、回りくどい話し方は重要なことを伝える時だ。
黙って耳を傾けた。
「この精霊力を持つ、その人のことを考えようとすると、両親のことも思い出す」
その言葉に、驚きを隠せなかった。
明確に、『その人』と言った。
「お前、まだ何かあるのか」
うんざりしてしまう。
今までそんなこと言ってなかったじゃないか。
この女に関しては、印との関係に当てはまらない、例外だろうかと考えはした。
それも、今までの情報からだ。
他にあるなら、そのせいで繋がらない可能性もある。
ここまで来て、そこまで言えないことがあるのか。
「違うよ。ただ……うまく、言葉に出来なくて」
苛立ちと、逸る気持ちを抑える。
俺自身、覚えがあることじゃないか。
思い出したくないこと、触れられたくないこと。
それに関連することには、思考も掻き乱される。
女の話は過去へと向かっていた。
「両親は旅人になりたくてなって、それに誇り持ってて、私も旅人になるんだって疑わずに生きてた。でも、異変の後は全部忘れたくなって」
ここは先を促したい気持ちを抑えて、聞いておかなければならないだろう。
前は俺が、そうしてもらったわけだしな。
「しばらくは、難民を集めた村に保護されて暮らした。村も幾つか回って、農作業とかね、村の手伝いをして過ごしてた。村も落ち着いてくると、私もぼんやり生きるよりは旅人になろうと、ようやく思えて村を出たの」
潮風を正面に受け、泡立つ海を眺めたまま、女は言葉を紡ぎ続ける。
「ユリッツさんへの感謝は、私に両親の矜持を思い出させてくれたこと。値段なんか関係ない、命を懸けて護衛する……随分離れてたから、腕は鈍っちゃったけど」
沈み行く日に照らされ、全身を赤く染めてもなお、瞳の翳りは覆い隠せない。
「海、ざばーんって……お父さんとお母さんと、回廊の砂浜で水を掛け合って遊んだ。楽しくて笑える思い出のはずなのに、思い出すと、胸を掻き毟られるように辛くなる」
山で呟いていた、能天気な女の声が思い出された。
「もう取り戻せない、懐かしい何かだから」
やや言葉を止めると、波をじっと見つめた。
黙り込んだ女を見つつ、様子を見る。
話は終わりなのか、続きがあるのか。
「懐かしいって、そんな気持ちと同じものを感じるのよ、その人に」
そう繋がるのか。
それは、精霊力が作用する度になのか。
「どこで会ったんだ」
そいつを知っているとは、一言も聞いていない。
「ううん、会った事はないよ。私だって必死で記憶を辿ったよ。でも、思い当たる人もいなかった。だから、こうやって、探してるんじゃない」
そう言われると、そうだな。
話し辛かったのも、よく分かったよ。
「分かった。俺は、原因を見つけたら、干渉を止めてもらう。お前は、そいつに合ったらどうする」
女は真剣に考え込むように、眉を顰めた。
「うーん、そうね。殴る、かな?」
何故、そうなる。
会った事もないのに懐かしいとか言ってたろ。
俺の方こそ殴りたいくらいだ。
「だって、この変な精霊力がまとわりつかなければ……みんなと一緒に、幸せなまま時は止まってた」
女が見ているのは、水面に揺れる葉っぱだった。
「なんで、一人だけ、生きてるんだろうね」
沈むかと思えば、波間に再び身を浮かべる。
周りに翻弄され、なすすべもなく踊る葉を。




