七十五話 乗船権獲得
乗船券を買うことはできる。
問題は、それで手持ちの金が尽きそうなことだった。
国内では、行く先々の町で、依頼を受けて生活費を稼いでこれた。
海を渡った国ではどうだろうか。
旅人組合は、どの国にもあるというが、以前と変化がないとすれば、向こう側は町が少ない。
物価が違いすぎたらどうしようか、等々と心配もある。
幸い、猶予がある。
出航までの一週間、少しでも仕事をこなそうと決め、組合へと急ぐ。
街並みを意識する余裕もなかった。
窓口で登録を済ませると、掲示板を食い入るように見つめた。
通常依頼、臨時依頼と全てに目を通し、最後の掲示板の前で止まる。
提携依頼。
種類は知っていても、なかなかお目にかかったことはない。
外部との提携だから、組合は保証しかねる依頼だ。
問題があれば、取引停止されるだけの、いまいち当てにならない依頼だ。
ともかく、その掲示板が賑わっているのは、珍しいことだった。
依頼に目を走らせ、納得した。
ほぼ船内作業員の募集だった。
それに荷揚げの依頼が続く。
全て確認すると、俺は迷うことなく船内作業員を選んだ。
当たり前かもしれないが、なんといっても運賃が無料だ。
問題は、経験もないのに実際に受けられるのか。
それに、普通は往復で引き受けるものかと思ったが、その辺の記載がなかった。
向こうに着いてからの予定など、今は立てられない。片道で受けられれば助かる。
「船内作業員の依頼について聞きたい」
何か仕事中なのか、ただの趣味か、前掛けをしている受付嬢は破顔した。
「いつも人手が足りなくて困ってるのよね。何でも聞いて」
思わず気圧される。
まだ引き受けるとは言ってない。
「内容による」
詳細を聞いて、希望が湧いた。
往復との決まりはないらしい。
俺のように、乗船がタダになると気軽に引き受けて、片道で根を上げるものが多いからだそうだ。
その場合、当然帰りは金を払って戻らなければならない。
提携依頼なのは、船の管理所から直接支払いがなされるからだった。
期間を取られる仕事のために、渡った先で一度支払いを保証するためとのこと。
だから提携依頼といっても、この町だけの特殊依頼のようなもんだな。
それについては、当てになるだろうと安心する。
「分かった。引き受ける」
受けない手はない。
他に手立てもないのだ。
そして決め手は、俺が乗りたい便の仕事だってことだ。
行きも、怠けてるのが目に余れば、罰金として運賃を払うことになるから気をつけろと釘を刺された。
「船内の説明があるから、前日には港の管理所へ顔を出すようにね」
依頼書を受け取ると、一度受付を離れた。
海を渡る段取りは付いた。
今度は当面の仕事を探す。
安堵すると、ようやく室内を見渡す余裕が出てきた。
壁には、簡易の航路図が掛けられている。
どこを通って海向こうの町へ着くのか、簡単な腺が引かれているだけだった。
側には海図も置かれていたが、見ても分からない。
掲示板に戻ると、通常依頼に目を向けた。
無事に依頼を確保し、軽くなる足取りで宿へと戻る。
「あんちゃん、伝言があるぞ」
魚主人から呼び止められ、二人からの言伝を聞くと、また宿を出た。
宿の側の海沿いを、岩場をたどって進むと狭い入り江があり、そこに来いとのことだった。
湾になっている港からは遠く、漁師達住民が住んでいるらしい一角だ。
岩場が途切れると、右手に狭い砂浜が見えてきた。
階段のようになっている岩場を下り、湿った黄色い砂地を歩く。
そのさらに隅。
奥の岩場に、二人の背が見えた。
よくまあこんな場所を見つけてくるな。
「釣りか」
商人は、岩に腰を下ろして釣竿を垂れていた。
「伝言聞いてきたぞ」
二人が振り返り、同時に用件を発する。
「この辺でなら、焼いて食っていいと許可を貰った」
「焼き魚!」
うまいこと釣っているようで、それなりの釣果だった。
壷のような籠を覗くと、手頃な大きさの魚が跳ねている。
釣りの腕に、漁村育ちってのは関係するんだろうか。
女は、目と刃物を光らせる係らしい。
涎たらして見ているだけだな。
「うまいもんだな」
泳ぐように動いている、糸の沈んだ先を眺める。
「最近大漁らしい。よく釣れるのも関係あるのかもしれん」
商人は渋い表情で言った。
「魚の移動先が変わっているが、精霊溜りを避けてるのではないかと聞いたよ」
その話に、俺も苦い気持ちになる。
海にも影響があるのか。
なぜか陸にしかできないものと思っていた。
思わず、海上をじっと見渡した。
見えるような場所にあったら、今頃大騒ぎだよな。
手持ち無沙汰だったので、火を起こすことにした。
小さめの魚は、枝に刺してそのまま焼く。
大き目の奴は、女が鉈で頭を落としていた。
それ以上は、鉈ではどうしようもない。
何かを催促するような圧力を向けられたので、手持ちの小刀を貸してやった。
旅するのに、それくらい持ち歩いてろ。
焼けた頃合に、釣りに熱中してしまっている商人を呼び戻す。
「先に食え。全部食われるぞ」
三人並んで、各々手にした魚に齧りついた。
海の魚なんて、滅多に食べる機会はない。
塩気があって美味いもんだな。
しばらく、口だけを動かす静かな時間が過ぎ、皆が二本目に手をかけた。
齧りついていると、商人が唐突に言った。
「部屋を移すか?」
魚から口は離さず、何の話だと視線だけを向ける。
「一人がいいんだろうと今まで聞かなかったが、金がないなら部屋を引き払うといい。まとめて借りれば安く済む」
危うく咳き込むところだった。
船の件で、そう思ったのか。
この商人に金の心配をされるとは、腑に落ちない。
「いや、それなんだが、その心配はなくなった」
提携依頼の話なんかも交えて説明した。
「船内の依頼を受けた。乗船が無料になったどころか、金も入る」
どんな凄惨な現場が待っているかは、想像しないでおいた。
「そうか、旅人も便利だな」
商人は納得して頷いていた。
腹を満たして、宿へと戻る。
魚を焼いた煙に燻されて、すっかり魚臭くなった。
それに砂地に座り込んでいたせいか、砂があちこちに入り込んでいる。
はらう度にぱらぱらと落ちる。
寝る前に洗濯するか。
宿に着くと、商人は魚主人に釣竿を返していた。
どこから持ってきたのか気にもしなかったが、借りていたのか。
だったら捌く用の刃物も一緒に借りれば良かったのに。
釣れたようだなと、世間話をしているのを聞く。
「天気も良く運が良かったよ」
相槌を打って言った魚主人の次の言葉に、一瞬、俺達三人の動きが止まった。
「確かに。だが、昨日は雲もないのに山にゃ稲光もあったしよ、お天気ってのは気紛れだから気ぃつけろよ」
試した符の光は、町からも見えていたようだ。




