二十九話 旅人の女
「ユリッツさん、私が引きつける。その間に出来るだけ離れて」
私は雇い主に指示する。
でも彼は聞き入れなかった。
「ピログラメッジ、君の腕がどれだけだろうと、数は無視できんよ。二手に分かれられたら同じだ。付き合うさ……いや俺の仕事だったな。付き合ってもらうが、悪く思うなよ」
いつも疲れたような淡々とした口調。人生を諦観してしまったのだろうか。
だが人情を捨てたもんでもない、というのが彼の真情のようだった。
徒歩の旅の最中だった。行く先々で仕事をしながら、大陸を少しずつ回っている。
私は護衛の仕事を受け、人は良さそうだが疲れきって見える一人旅の商人へ付き添っている。
初めに、荷車を引いただけの粗末な身なりで、行商人と言われたときは面食らった。
だけど、だからこそ、私みたいな実績の無い旅人でも雇うしかなかったわけだ。
それについては、少なからず感謝している。
商人達の中には、盗賊紛いの者達がいる。
通りすがったそいつらは、交渉のふりをして襲ってくる。
行商人は、一般的には五人体制だ。
一人で行商など、無謀も良いところだ。
それは、たかが一人護衛を雇ったところでどうかと思うものだろうが、見張りの交代もできるだけマシだろう。
大抵は、滅多に人と擦れ違うことすらない。
こんな広い大陸で、そんなやつらと出会うなんてよっぽど運が悪いといえる。
私は、悪運が強い。その事を忘れていた。
悪運が強いとは、不運に見舞われるということ。
不運に遭わなければ、悪運など働かないのだから。
正に今、迫り来る目の前の隊商に、焦っていた。
相手は、きちんとした幌付き馬車に、数頭の馬に乗った護衛。
どうみても不利だ。
遠くに見えた時から、警戒はしていたのに。
二手に分かれた男たちの策通りに、まんまと逃げ道を塞がれていた。
頭の奥から響く警報が危険を知らせていたから、離れるように迂回をしたのだが、先に目を付けられていたらしい。あれだけの規模なら、遠見の術具を持っていても驚きはしない。
「おいおい商人同士だろう? 交換できるものはないかと声をかけただけだぞ」
近付いてきた大男が、にやけながら喋る。装備から、どう見ても商人ではない。護衛の頭か。
私には、男の脇に下げられた剣が、男の意を受けて威圧を放とうと震えるのが見えている。それで商売だのと、どの口が言うのか。
すぐ後ろに控えている、薄汚れた男たちも同じだ。四人、いや五人か。商人も戦えるようだ。
全員で六人。
私は既に愛用の武器、腕の長さほどある大鉈を手にし、刃先を体で隠すように、半身で男に向かっている。
魔術式符にも力を流し、発動の準備は出来ている。
男たちの顔に浮かぶ、幾つかの思惑が見て取れる。
向こうの欲しい商品は私か。せいぜい女だと舐めていればいい。
こちらの商人を先に屠ろうと、出し抜けに剣を抜いて踏み込む大男。
大男の動作に合わせ、飛び出す。
鉈を掴む手先に意識を集中する。腕の力は抜くように、刃の重さに任せ遠心力で叩き切る。
大男の腕が抉れ、削れた皮脂が飛ぶ。
即座に、嵐の符を後方の男たちへ投げた。
符は見えない壁に貼り付けられたように、逆さまにしたお碗状に広がり、男たちを囲むと雷撃を放つ。
感電し突っ伏し、叫び声が響く。
男たちが驚き、引っ掛かるのも無理はない。
私は、符を手から離しても使用できるのだから。
範囲雷撃を編み上げる術式は、複数枚の符から成る。
雷の符を複数同時使用することで、符を反射し合い、対象に作用する範囲が増える。
難点は、単体で使うよりも威力が落ちること。
雷と言いながら、強めの痺れ程度の威力になる。
大量に消費する割に、せいぜい足止めが限度だった。
だから、切り札でもあった。多数を相手とするなら使わない選択肢はない。
こんな起伏に富んだ谷間の真ん中でなければ、相手が立て直す前に、これに乗じて逃げるところだ。
すぐに、倒れた男たちの側へと駆け出した。
逃げ切れる可能性は大きくない以上、今は、その選択肢はなかった。
真っ先に相手の商人を狙う。隊を率いる男だ。
震えながらも半身を起こした、商人に切りつける。
確実に致命傷を与えるため両手で斜めに振り下ろした。
躱され、商人の皮膚を掠った刃は、地面を削る。
その体から、光がぶれる。符の光振が見えた。
防御符か。
他の男たちの痺れの回復も早い。金があるようだから、全員が符持ちの可能性も考えておくべきだった。
口の中で舌打ちし、他の男たちへ、少しでも行動力を殺ぐべく飛び掛る。
不意に、雇い主の居た方からくぐもった呻き声が聞こえた。
振り返ると、初めに腕を落とした大男と戦っていた雇い主が、剣ごと弾き飛ばされたようだった。
雇い主は中肉中背の平均的な体躯の男で、剣の腕も並。相手は大柄の傭兵だ。片腕と、痛みにも怯まない、かなりの動きだった。
負傷すれば、雇い主でも相手できるだろうとの判断は誤りだった。
即座に反転し、駆ける。目の前で、起き上がろうとした雇い主へと剣が振り下ろされる。
間に合え!
雇い主は、転がって避けた。地面に刺さる剣を即座に抜き、突きに転じるも切っ先は届かずに逸れた。
大男の背後から、足の腱を狙ったのだった。
片足だが、動きは減じたはずだ。
だが、危機に瀕した情況に変化はなかった。倒れた男の剣を遠ざけると、すぐに振り返る。
他の男たちが、体の自由を取り戻していた。
飛び起きて側に付いた雇い主に、怪我がないのを確認し鉈を構えなおす。
短時間で、全員の足を止めることを優先したのは、そう間違いではなかった。間違いだったとしたら、もう一人でも怪我を負わせてから、戻るべきだったことだ。
初めの状態に戻されたようだった。
しかも、次は範囲術符は効くまい。どちらにしろ、もう予備は無かった。
相手は警戒しているだろうからと、悟られまいとするのだが、今頃、死を予感するように冷や汗が吹き出てきた。
ここで、こんなところで負けてたまるか。
そう思っても、もう手は少ない。残りの符は防御符一枚。
私の鉈は、一撃は重いがその分隙が多くなり、手数を増やせない。それを符で補完していた。
隣の雇い主は逆に、身軽さを重視した細身の片手剣だ。相手が悪い。
「後ろをお願い」
見もせず雇い主に告げると、男たちの中心を目指して一直線に向かった。
男たちは後ずさり、各々距離を取る。
勢いのままに、直線上にいた男に追いすがり、下から鉈を振り上げた。庇うように腕を上げた男の剣を弾く。
同時に、私の足にも焼き切れるような感覚が走った。
味方に当るかもしれないのに、横にいた男は私の脇を狙って剣を突き出していた。咄嗟に出したせいだろう、剣の軌道はずれて腿の側面を引き裂いていた。
そのことは意識せず、勢いのまま男たちを突っ切ると距離を取る。
側面に飛びかかろうと、間髪入れず反転するが、私を切ったのとは反対側の男は、怯んで下がった。
後に付いた雇い主の一撃が入ったらしい。
致命傷ではないだろうが、これで五体満足な男は、残り二人。
戦力は拮抗したかに見えるが、私はもうこれ以上は、速度を維持できそうもなかった。
肩で息をしている。汗が視界を邪魔する。
残りの防御符は、雇い主に掛けるつもりだった。力を注ぎ、発動の準備を始める。
その時だった。
別の気配がした。
心臓が跳ね上がる。
どこか特殊で、大きな光震だった。
「誰か来る」
小さく雇い主に告げる。
こんな殺伐とした陸路を使うような輩に、味方などいない。新たな敵か。
だが、その精霊力の大きさは、断念を通り越すに十分で。
心の中で、静かに構えを解いた。
目の前の男たちの手前、実際に解きはしないが。
山形になった地形の陰で、気配は一度止まる。
だが様子を、それ以上窺うでもなく、堂々と姿を現した。
「うおーい、何か厄介ごとか?」
間抜けた声に、男たちは硬直した。
信じられない。あれだけの力の流れに、誰も気が付かないの?
惚けた声が私と商人へ語りかけられる。
未だ睨みあっている男たちの後ろで、止血し様子を見ていた大男が声を上げた。
「盗賊に襲われてるんだぞ!」
怒りが沸く。鼻を鳴らしてしまう。
「弁解はあるか」
とぼけた声の主。
遠めの気配では、既にこちらの動きを察知していたように思ったが、試しているのだろうか。
「勝手に想像しろ」
答えるつもりはなかった。あえて詮索してくるような、こんな男に弁解など無意味だ。
結論は既に出している筈なのだから。
その答えは諦めを確実にした。
「傭兵だ、雇った方に味方する」
ユリッツさんは、私が安いから、ようやく雇えた程度の懐具合なのだ。
我知らず力が抜ける。
こんな所で終わるのか。
全てを失って、這いずるように生きてきた私が。
今の私は張りぼてだ。
まるでこの肉体から、中身が剥がれ落ちてしまった残りかすだ。
生への執着などない。これは生きる執念などではない。
ただ、その殻が喚きたてる。
戦え、闘え、たたかえ……。
昏い情動に呑みこまれそうになるが、隣の雇い主の存在が力を与えた。
どちらにしろ闘うなら、自らの意思でだ。
旅人なら、雇い主を生かすために戦え。
これが私の、旅人としての生き様だ。
最後の符、防御符を彼に賭ける。
――この亡骸を盾に生き延びろ!
そうして対峙する男たちに切り込んだ。
なんなのこいつ。
私は、恐ろしいほどの精霊力を振りまく男に助けられた。
結果的に、ユリッツさんも助かった。が、雇い主に荷車で運ばれる始末。
自分の力が足りなかったせいだと分かっているが、腑に落ちない。
謎の男がかけた補助符のお陰で傷は痛まないけれど……。
無理やり馬に繋いで走る荷車は、激しく揺れ、その度に尻が浮く。
胃がひっくり返りそうだった。
……無様だ。




