二十一話 一宿一飯
ある起伏の高い部分へ踏み入ると、乾いた荒野の印象が変化していく。
景色一帯に人の手が見て取れた。
空の青に黄色が混じる頃、目的の町に着いていた。
揃って植わった防風林。それに囲まれた台地の中に、牧草地が広がり木の柵も見える。
そこを抜けると田畑に続き、さらに進むと、まとまった人家の建つ区域へと入った。
一応は、入り口らしき場所に標識が掲げてあった。木製の板には、町の名前が書かれていたのだろうが、野晒しのまま誰も手入れをしておらず、今では文字の判別すら覚束ない。
店も住宅地も全く分けられていない。
雑多に並ぶ、店らしき軒先を確認しながら歩く。民家の扉を開放してあるだけだ。
住むなら必要十分なものが並んでいるが、それも多くはない。
舗装された道らしい道は、この外から続き、抜けていくのだろう街道しかないように見える。
現に中程らしき所まで歩くと、緩やかな下り坂になり、町を抜けた先が視界に入った。
どうやら、ここが市街地らしい。
町というよりは、村だな。
経由地としては、それなりに重要な位置にあるはずだ。
北への物流が減るにつれて寂れたのだろうか。それとも元からこれでやっているのか。
ぱっと見では、移動客の為の設備は見当たらない。
この様子だと、長期移動用の携行食は手に入りそうにない。ひとまずは、保存の利く食料を確保できればいいが。
宿らしき建物や看板もなさそうだった。
危うく町を突っ切りそうになり、来た道を戻る。
遠くに、農作業中の人々の姿が見える。
ゆっくりと店らしき家々を見るが、奥に引っ込んでいるのか、仕事で出払っているのか人気もあまりない。
無用心だなと思いながら、元の生活を思い出す。
俺も大して人のことは言えないか。
家々から煙が立ち昇りはじめたのを見て、もう晩飯の時間かと腑に落ちる。
乾いて砂っぽい土のこびりついた木の台に、籠に入れた野菜や果物類が積んである家の前で足を止めた。
売り物なのか、とりあえず収穫物を置いてあるのか。
顔を上げ、暗い扉の奥に声をかけようと一歩近付くと、遠くから声が響いた。
「うおーい!」
顔を向けると、男が急ぎ足で街道を迫っていた。背には、薪用だろう細かい木材が見える。
その後ろにも、まばらな人影が見える。空は赤みを増していた。仕事を切り上げる時間だ。
俺の前を横切りながら、男は疲労感など微塵もない様子でまくし立てた。
「お客さんかね、他にねえよな、はっはっはっ。俺はこの家のもんだよ。荷物を置いてくるから家ん中入ってくれ!」
俺の返事も待たず、男はそのまま開きっぱなしの扉の奥へ消える。
仕方なく、その狭い間口を後に続いた。
「そこの、売り物か」
気圧されつつ、尋ねた。
「もちろんだ、うちのを選ぶとはお目が高いな! だが、もう日が暮れるぞ。飯作るから食っていけ」
おい待てよ。
どこの家の軒先も、正直同じに見えていたが、そこは黙っておくとして。
さも当たり前なことのように立ち働く男を怪訝に見る。
男は、土間に薪を放ると、窯へ火をおこす。
そして食材を手に、説明してくれた。
「悪いがこの町にゃ宿はない。町長んところが宿代わりだが、生憎出払ってる。汚ねえ家だが、我慢してくれよ!」
適当にかき集めたような野菜を、これまた適当に洗ってぶった切る。それらを土鍋に詰め込み、煮込みはじめるのを眺めていた。豪快である。
「宿代は、」
「それだよ! 代金はいらん。変わりに話を聞かせてくれりゃいい。ここから出ないもんでよ。それが来客の楽しみってもんだ」
「それでいいなら」
鍋が煮立つ間に、男は外の商品を瞬く間に室内に入れ、戸を閉めた。
なんとも期待に満ちた男と向かい合い、土間に置かれた食卓についていた。
薄い塩味のごった煮をありがたく頂く。
よく見ると、適当でもなかった。根菜を中心に、調味料代わりの葉野菜で風味を整えていた。
うまいと伝えると、話は自然と弾んだ。特にこの男が。
どうやら普段は、旅人どころか、普通の商人すら滅多に滞在しないらしい。
外の話に興味は尽きないらしく、しばらく聞かれるがまま話すと満足気だった。
こちらからも話を聞くと、喜んで話してくれた。
「行商は来るのか?」
「ああ時々な。なんもねえ町だ。軍の巡回の頃が一番のかきいれ時だよ」
そう言って屈託なく笑っている。
「へえ、俺もコルディリーから出たことがない。どんなもの売って回るんだろうな」
「大拠点じゃねえかい! それで見たことがないってのか」
そう言って気の良さそうな男は、からかっているとでも思ったのか目を丸くした。
大拠点? まあ、ここと比べればそうなるか。
「店が直接仕入れてるらしいのは来るんだが、あちこち売り歩いてるようなのには会ったことないんだよ」
男は得心したようだ。
「そうだな。つい先週来たのは、妙なもん売ってたなあ」
核心だ。
気を引き締める。
「妙なもの?」
「ああ言葉のあやだ。俺達にゃ必要ないもんばかりでな。多分お前さんみたいなのには重宝するんじゃねえか」
「旅人向けか」
そして取り扱い商品。
「魔術式道具とか高けえもん買えんし、符もなんとか国から補助を受けてるくらいだからなあ」
「なるほど。確かに、どこでも需要はあるな」
困惑した。
確かに、必要なものだ。
だからこそ、どこでもそれなりに確保しているだろう。
行商してまでの売れ筋商品にはなりえないものだ。
「安いもんは、旅に使えそうな道具とかだったかな。とにかく俺たちゃ、外との交流は町長任せなもんでよ。買ってやるもんもなくて悪いことしたなあ」
頭を掻きながら申し訳なさそうに微笑んでいる。
人が良すぎるだろう。
「おおそうだ。あんたも必要なもんがあったんだよな。言うだけ言ってみてくれ。みんなに聞いてみらあな」
俺はありがたく、干し肉などの保存食を売ってもらうことにした。やはり、日持ちするものは、日常的な範囲でのものだけだった。
その夜は、納屋を借りて休んだ。
野宿をしたいくらいだったが、近くに川でもないかと聞いたら、意図を察して離れの場所を提供してくれた。
店先で話し込むくらいはともかく、俺は余所者だ。警戒もあるだろう。それは俺も同じだ。
ありがたく申し出を受けた。
雨風を凌げるといっても、気温は外と大差なく肌寒い。干し藁がある分、体は楽なくらいか。
横になると、聞いたことを整理する。
「しかし、本当に行商が通ったとはね」
予測が当って、嬉しくても良いはずだったが、複雑な感情でいた。
やっぱり追っているのは『誰か』なのか。
だが、高価な魔術式具を扱っているというのが気に掛かる。
追っているのが『物』であれば、売れ残っているから付随して移動している、なんて可能性も出てきた。
いい加減、対象は人物を前提に考えた方が良さそうだ。
しかし、出来れば物であって欲しいという願望を捨てきれなかった。
ここの店主との話を思い返すと頭痛がする。
今日だけで、おっさんとの一か月分は会話しているはずだ。
知らない町で誰かと関わるというのは、こういうことだったと、改めて気が重くなっていた。




