繚乱のファンタズマゴリア 11
1.
満月まであと少しといった月と街灯の僅かな明かりが路を照らす深夜の王都を、ブルーサスとリョウ、オルフェとガルスが歩いていた。
あの会議の日から二日目の夜。
既に日付が変わった頃合いなので、ギュスターヴがそれまでに解決するといった満月まであと二日ということになる。
「しかし夜警の人数を増やしたところで、騎士団所属の魔術師が匙投げるような結界が張られてるんじゃ俺達にはどうしようもないだろうな」
槍を背負ったガルスが怠そうに呟く。
元来直情的ではあるが正義感の強い彼ですら、連日の夜警による疲れとその努力に反して一切の成果が得られていないという事実により殆ど投げ遣りになっていた。
「そう言うな。だからもしかしたらと思ってブルーサスに無理言って参加してもらったんだ。それに腹立たしい事だがあの男の話で見えてきたものもある」
「見えてきたもの?」
聞き返す動きやすい軽装甲の服を着たオルフェに、リョウは「ああ」と頷く。
「奴の話が正しいとすれば、犯人は人間。そして血を吸っている訳じゃない。なら、犯人は何の為に吸血鬼みたいな真似をしているのか。そして何故娼婦ばかりを襲うのか。わざわざ吸血鬼の真似をしているってことは、その行動には何か意味がある」
「そういうことになるでしょうね」とブルーサスが相槌をうつ。
リョウは更に自らの考察を続ける。
「で、今になって考えてみれば奴は犯人に関して含みを持たせていた。“これまでの事件の犯人は”ってな」
「つまり、これまでの事件の犯人自体は人間でも、その裏に幻想存在がいる可能性があると……?」
「まだ確証はないけどな。で、ここからが本題だ。俺の知識じゃ吸血鬼ってのは生娘を好む。だから俺は悩んでた。襲われてるのは娼婦ばかりだからな。だが襲っているのが幻想存在に仕えてるか信仰している人間だとしたら話が変わってくる」
―――この世界の信仰には大まかに二つの種類がある。
ひとつは人が持つ異能の領域への信仰。
異能の領域は八種。
その中でも七つの界域を有する『ユグドラシル』、十の界域を有する『セフィロト』、五行を中心とした自然的な物を界域とする『ペンタグラム』は主だった信仰対象となっている。
そしてもうひとつの信仰対象こそ幻想存在そのものである。
確かに幻想存在は不滅・万能ではないが、それでも人間を遥かに超越する種や個体は存在する。
竜や鳳凰、一角獣などがその代表格だ。
そして信仰及び宗教の常、邪教というものもまた存在する。
ある信仰から見れば邪教などといった生半可なものではなく、純然たる邪悪を信仰する宗教が。
リョウは、この類の者がこれまでの事件を引き起こしてきたのではないかと推測していた。
「幻想存在を信仰しているとなれば、その行動原理は『幻想存在の為』。そこで俺が立てた仮説はこうだ。奴らは崇める幻想存在が『血を吸ってはいけない』人間を識別するためにやっている。もしその崇拝対象である吸血鬼もしくはそれに準ずる幻想存在が生娘を好むのなら、娼婦なんざ血を吸いたくない相手ナンバーワンだろうからな」
そしてその報酬として何かしらの恩恵を受ける気なのだろう、とリョウは締め括った。
その言葉を、ブルーサスは神妙な面持ちで聞いていた。
幻想存在への羨望。それはジルニトラに対して自分も感じたものだからだ。
自分が彼女を『美しい』と感じたように、誰かもまた幻想存在へ畏敬の念を抱くということもあるだろう。
たとえそれが邪悪と断ぜられるべき理由であっても、だ。
(そういえば、ジルニトラは大丈夫かな……)
気になって、ブルーサスは離れた屋敷にいるジルニトラへと意識を向ける。
聞こえてきた(感じた、といったほうが正しいが)のは、すやすやという寝息。
アサヒがいるとはいえ自分がいない状況でちゃんと眠れるのか少々不安だったので、一安心する(眠りは浅いようだったが)。
何分《契約》してから依存体質になってしまったようで、あまり自分から離れたがらないのだ。
《契約者》同士としてはそれが正しいのだろうが、かといって常に一緒というのもジルニトラにとって教育上あまりいい事ではないとトウヤからも言われている。
本当ならば少し留守番をしてもらうことから始めようと思っていたのだが、結局ずいぶん無理を言ってしまった。
(しばらくは甘えさせてあげるべきかな)
そんなことを考えつつ歩いていると、ブルーサスは突然異様な違和感を覚えた。
それは丁度他の3人が三叉路を左に曲がろうとした時の事。
「あれ? 先輩、ここは右に行くんじゃありませんでしたっけ?」
「ん? そうだったか?」
頭に叩き込んだ巡回路は確か右に曲がることになっていたはず。
相変わらず道を覚えない先輩だな、とブルーサスが呆れる。
だが、予想外なことにオルフェが彼の言葉に首を振った。
「いえ、ここは左で正しかったはずですが……」
(え……?)
オルフェまで道を覚え間違えているのだろうか?
それとも物思いに耽っていたせいで自分の位置を勘違いしてしまったのだろうか。
今までこんなことはなかったのにとブルーサスは不安になる。
しかし周囲の景色を見る限り記憶にあるルートと自分が今いる場所は一致している。
なら3人揃って道を間違えたのとでも言うのだろうか。
だがどういうことか、確かに自分が正しいはずなのに自分が間違っているという感覚に襲われる。
その直後、ガルスが放った言葉を聞いてブルーサスは愕然とすることになった。
「というか……そもそも、そんな所に路なんてあったか?」
「え……!?」
しかも、ガルスの言葉にオルフェが頷いた。
ブルーサスは余計に頭が混乱する。
「そんなはずは……」
その様子をみて、ふとリョウがはっとするように三叉路の右へと顔を向けた。
その顔には明らかに驚愕の表情が浮かんでいる。
そしてその様子をみてガルスもまた何かに気付いた様に「あっ!」と声を上げた。
「結界……!!」
ガルスの言葉にリョウが無言で頷く。
その言葉にブルーサスは違和感の正体に納得した。
なるほど未熟とはいえ竜との《契約者》の感覚ですら僅かな違和感としてしか察知できなかったのだ。
並の魔術師では感知できないだろう。
そして、その結界が張られているという事実が示すことはひとつ。
「では、この先で事件が……!?」
緊張した面持ちで言うオルフェに、リョウとガルスはそれぞれの臨戦態勢をとり路を駆け出すことで応える。
それを見て、ブルーサスとオルフェも二人を追って走り出す。
先へ進むにつれて、ブルーサスが感じていた違和感が強くなっていく。
こっちは違う。
この先に道はない。
まるで記憶が上書きされていくような感覚。
しかしそれは今や「こっちだ」と語りかけているようなもの、違和感が強い方角へと路を駆け抜けて行く。
そして―――4人はそれを目にする。
月明かりに浮かぶ、ドレスを纏った女の首筋に口付ける腕が翼となっている人型の異形の姿。
その光景に、ブルーサスは戦慄する。
それは冒涜的な光景のはずなのに、どこか美しささえ感じさせるようなものだったからだ。
異形が口を離し、こちらを見据える。
肌は灰色、口から除くのは乱杭歯とその中でも特に際立つ赤い血を滴らせる2本の上犬歯。
真っ赤な瞳でブルーサス達を睨み付け、唸り声を発している。
「おいリョウ。お前、あれが人間に見えるか……?」
「さあな。掻っ捌いてみれば分かるかもしれないぜ?」
ガルスの言葉に答えつつ、リョウが形成した大剣を異形へと向ける。それと同時にブルーサスへと目配せし、当初の予定通り増援を呼ぶよう暗に指示する。
ブルーサスは頷き、元来た道へと再び走り出した。
ガルスもまたそれに付いて行く。
異形は女をもはや用済みと言わんばかりに後ろに放り、自分を目撃した物を逃すまいと跳びかかる。
しかし目の前で噴き上がった真紅の焔の柱に阻まれ、翼を広げ急制動をかけた。
「この先へは行かせませんわよ!」
手甲を装備したその拳に更に焔を纏わせ、自らの戦闘スタイルである拳闘の構えをとったオルフェが言い放つ。
足元には五芒星、異能の領域ペンタグラムを示す紅い光の図が浮かび上がっている。
属するは単純明快、五行の火。
「そういうこった。悪いが御用になってもらうぜ」
リョウもまた深く腰を落とし、大剣の柄に左手を添え腰溜めに構える。
そして、広範囲にに蒼い霧が拡散しはじめる。
リョウの異能たる《ミスト》が生み出す霧を収束し形成する武装は元が霧だけあって軽く形成も速いという特徴を持つ。
欠点は形成されるのはその表面のみで中身はほぼ空洞に等しいため比較的脆いことだが、しかし彼の大剣は異能の熟練によるものかその表面の密度のみを高め、結果この種の異能による武装としては高い強度を誇っている。
まずは目の前の障害を排除することにしたのか、二人へ向かって異形が再び跳躍する。
それに反応したのはオルフェ。
身を低く屈め異形の下へ潜り込み、焔を纏った拳によるアッパーカットを異形の腹へ向けて放つ。
貴族令嬢とは思えぬ鋭い一撃。
狙いを違わず異形の腹へと拳が突き立つが、オルフェに伝わってきたのは手甲越しに伝わる奇妙な感触。
オルフェが驚愕により目を見開く。
異形の身体は柔らかくゴムの様に弾力があり、拳が身体に沈み込んでいるのだ。
危険を感じ拳を引こうとしたその瞬間、異形の身体が硬質化し拳を挟み込んだ。
締めつける力こそあまり強くないものの、ぴったりと拳を包み込んでいる為に引き抜くことができない。
結果、右腕だけで異形を持ち上げる体勢となる。
だが、オルフェはにやりとその口元に笑みを浮かべた。
「先輩、行きますよ!!」
叫び、その両脚で地面を踏みしめる。
そして、異形ごと右腕を後ろへ振るう。
その先には、刃を潰した大剣を異形の首へ向けて振り上げるリョウの姿。
確保という観点から殺傷力を落としかつ異形をオルフェから引き剥がす為の選択だ。
もっとも、オルフェの腕の勢いとリョウの大剣の勢いからすれば普通の人間ならば即死する威力はあるだろう。
しかし相手は異形、首が大剣によりまるでゴムの様に引き伸ばされオルフェから離されるが、さしたるダメージを負った気配はない。
「ますます人間とは思えねえな」と兜の内で呆れたような表情を浮かべつつも軽口を叩くリョウへ向けて、異形があざ笑うかのように口元を歪める。
そして異形の右翼がまるで粘土の如く変化し、鋭い棘を先端に持つ触手の如き様相となった。
「オルフェ! どうやらあちらさんは殺る気のようだぜ、気を付けろよ!」
分かってます、という返事を聞き、リョウは形成していた大剣を霧へと戻す。
そして入れ替わるように、大きく開いたその両腕を覆うように霧が収束していく。
「蒼竜顕装・蒼霞ノ腕!!」
―――それは、竜の腕を模した巨大な籠手。
3本の指の先に鋭い爪こそあるものの、その本質は『掴む』ための兵装だ。
形成が済むや否やリョウは籠手を広げ異形へと突撃、横薙ぎに右腕を振るう。
その勢いのまま身体を傾けつつ半回転し、跳躍し頭上へ放たれた異形の触手を捉える。
倒れそうな体勢を左脚を下げることで支え、勢いよく触手を掴んだ右腕を引き寄せる。
そして意趣返しをするかのように左籠手の指関節を蛇腹状に伸ばし、異形の身体へと巻き付け締め上げる。
更に籠手の接続を切り離し空中へ射出。
鎖状に形成された霧により繋がれた籠手は、拘束から逃れようとする異形を逆手に掴んだまま空中を進み、停止する。
リョウが右腕の籠手を解除し鎖を掴んで止めたのだ。
そして鎖を引き寄せ異形を地面へと叩き付ける。
直前で拘束は解けたものの、為す術無く異形はその身体を打ち付け衝撃で石畳を砕く。
もっとも再び肉体をゴム状に変化させたためダメージは殆どない。
だが、そんなことはリョウもとっくにお見通しだった。
弾力で高く跳ねた異形へ、リョウもまた跳躍する。
「蒼竜顕装・蒼霞ノ尾!!」
《リヴァイアサン》の尾へ霧が収束し巨大化、異形へ振るわれる。
尾は風を切り、真空波すら纏って異形へと叩き付けられる。
―――明確に殺傷力を込めた『斬撃』。
異形は硬質かして防御するが、その体表に浅い裂傷が刻まれる。
しかも命中した尾はそのまま異形へと巻き付き再び拘束、再び地面へと異形が放られる。
その先には深く構えたオルフェ。
引き絞られた右拳には、月夜に煌々と光る凝縮された焔が。
「孤拳―――菊花!!」
拳が異形の硬質化したままの身体に叩き付けられると同時、凝縮された焔が真紅の菊の如く炸裂し、異形を吹き飛ばす。
二度にも渡り地面に叩き付けられた異形はしばらく痙攣し、やがてパタリと動かなくなった。
「……少々やり過ぎではないでしょうか?」
盛大に止めの一撃を放ったオルフェが今更心配そうに動かなくなった異形を見つめる。
もっとも、リョウがあれだけ本気で打ち込んでいたのならば自分もそれぐらいしなければ異形を止めることもできないだろうと判断した上での一撃であったが。
「さあな。最悪死体を持ってきゃどうにかなるだろうよ。しかし……」
リョウは異形へと近づき、改めてその姿を観察する。
尾の一撃による裂傷と口から流れ出る血は人と同じく赤。だがこれを人間というには無理がある。
まさか《契約》かその他の方法による変異だろうか?
しかし気絶してもなお変異が解けないとは……。
「とにかくちゃんと拘束して増援を待ちましょう。もう少ししたらブルーサス達も戻って来るでしょうし……」
オルフェもまた倒れ込んだ異形へ近づいてくる。
その瞬間、はっと何かにリョウが気付いた。
「オルフェ、来るな!」
叫ぶのとほぼ同時、異形が突然跳ね起き、触手と化した右腕をオルフェへ振るう。
跳ね起きる寸前にリョウは短剣を一瞬で形成し異形へ振るうが、僅かに背中を裂いただけだ。
―――オルフェの身体が弾かれ、民家の壁へと打ち付けられる。
「オルフェ!?」
リョウが呼びかけるが、返事はない。
まさか、とリョウの首筋にイヤな汗が流れる。
だが―――。
次の刹那。兜の内でリョウの表情が変わった。
それは単にオルフェが気を失っただけと気付いて安堵した、といった表情ではない。
口元に浮かぶのは、自虐と憐れみを込めた笑み。
「ああ。まったく……」
変化したのは表情だけではない。
周囲の空気が、結界がもたらす違和感を塗り潰す程の異様な雰囲気を孕みだしたのだ。
更にリョウの周囲の霧が淡く、しかし神々しささえ感じさせるような蒼の光を放ち出した。
足元には八角形の光図。
その様子に、初めて異形が戸惑うような表情を浮かべた。
それもそのはず、今異能の領域を示す図式が現れたということは、逆を言えば先程までの攻撃は“異能ですらない”ことになる。
しかも、図式が示す領域は八卦。
それはまだいい。
しかし、属するのは艮震辰―――3つもの属をまたいでいるのだ。
そんな異能など存在せぬ筈。
「いつもこうだ。俺はピンチにしか現れない。それもそうだ、俺はそういう存在だから」
異形は気付かない。
その口調が普段のものとはかけ離れた、ある種の達観と狂気を込めたものだということに。
異形は気付く。気付いてしまう。
彼の額に。ああ、鎧の上からでも見えてしまう。
彼の額に、輝く眼がひとつ。
「それでも俺はこうすることしか出来ない。過ちと知りながら、生き方を変えられない。正道を離れているからこそ、正道を信望するこの“我”には。即ち―――」
《リヴァイアサン》の装甲の隙間から蒼い輝きが漏れ出す。
その手には大剣。
先程までの密度の薄いものとは違う、尋常ならざる力を圧縮させた大剣が都合二振り。
構えることなく、僅かに腕を広げ、ただ静かに佇む。
そして―――。
「即ち、勇者たるこの『涼』には!!」
―――蒼い閃光が爆ぜた。




