第82話_約束
「ラターシャは、エルフを憎いと思わない?」
「え?」
飽きることなく景色を眺めているラターシャの横顔へと問い掛ける。振り返ったラターシャは、何を問われているのか分からない顔をしていて、もうそれが答えである気がした。
「十六年で味わった悲しみのほとんどが、エルフの下らない文化に依るものだよ。それを憎いと思っていないの?」
「私は……」
質問をようやく理解したラターシャは、少し動揺した様子で視線を彷徨わせてから、手摺を握る自分の手を見つめた。
「確かに私は辛かったけど。お母さんには、みんな、ずっと優しかったの」
病気のお母さんを看たのは主にラターシャだったらしいが、里の人々は毎日のように様子を見に来ては、栄養のある食べ物を沢山、差し入れてくれたようだ。考えてみれば、まだ狩りもできないラターシャが自力で食糧を得られるはずもない。全て、里のエルフらが支えてくれていたのだ。お母さんの病気を治すべく、色んな薬草を手に入れては、薬を作ってくれたと言う。最期の日まで、里の人達は献身的に、ラターシャのお母さんを助けようとしてくれていた。そして亡くなってしまった時も心から悲しんでくれた。そう語ったラターシャの手が、少し震えていた。
「私を、……私を強く忌み嫌ったのは、みんながお母さんを心から愛してくれて、悲しんでくれた証拠だったから」
「そんなのはラタが傷付けられなきゃいけない理由にならない」
腹が立って、思わず声が低くなる。そんなものが、愛情であるものかと思う。ラターシャのお母さんが一番愛して、大切にしていたものは間違いなくラターシャだ。その忘れ形見を無防備なままに里から追い出し、死に追いやろうとしたこと。それがラターシャのお母さんへの愛情だったなんて、私は一生認めることは出来ないと思った。けれど。
「それでも、ラタは、憎く思えないんだね」
少し怯えるように肩を強張らせていたラターシャへ、優しい声を向ける。私を見上げたラターシャの目は弱く、泣きそうな色に見えた。「うん」と答える彼女の瞳には、欠片の憎しみも滲まない。
「そっか。……優しいね、ラタは」
手を伸ばし、背中を撫でる。誕生日にするべき話ではなかったかな。
「変なこと聞いてごめん」
いつものように頭を撫でたら、いつものようにラターシャも頬を緩めてくれたからホッとした。
「風が強くなってきた。冷えちゃう前に、カフェにでも行こうか?」
「アキラちゃん」
「うん?」
手摺から二歩離れたところで、ラターシャが慌てたように呼び止める。振り返ったら、風に靡く髪を帽子ごと押さえ込んで、ラターシャが真剣な表情で私を見つめていた。
「あのね、今、アキラちゃんが居てくれるから、私、幸せなの」
その言葉に、私は無言で目を細める。
約十六年間の寂しさと、ただ一人しか居なかった身内であり味方であるお母さんを失った悲しみを抱えて、それでも幸せだと言える強さが、眩しかった。そう言えるほどのことを、私はどれだけこの子に与えてあげられているのだろう。
「保護者じゃなくなっても、私が、大人になっても。……アキラちゃん、傍に居てくれる?」
今は私が保護者だよと、いつかの日にラターシャに告げた。
だから私に守られて、多くを与えられることを享受してほしいと。
その日々をようやく受け止めてくれた中で、ラターシャがその先を望んでいる。可愛らしくて、嬉しくて。表情が綻ぶ。
「勿論だよ。ラターシャを二度と一人にしない」
「うん」
ラターシャが身を寄せてきたから、両腕を回して抱き締めた。まだまだ頼りない、細い身体。大人になるまで絶対に守りたいし、大人になってからも、やっぱり守っていきたいと思う。よしよしと背を撫でること一分足らずで、ラターシャが身を離した。自分から身を寄せたものの、周りの目が気になったらしい。ちょっとだけ頬が赤かった。可愛い。
「ところで私、普段、ちゃんと構ってあげられてなかった? 今日のお願い」
先日疑問に思ったことを口にすれば、ラターシャは目を瞬いてから、可笑しそうに笑って首を振る。
「違うの。二人だった頃と同じくらい、いつもアキラちゃんは過保護だよ」
「過保護……?」
そういう意味じゃなかったんですが。というか、私は別に過保護じゃないんですが。
首を傾けている私のことも、ラターシャは笑うばかりだ。その笑顔が可愛いから、過保護という誤解について、どうでも良くなってしまう。
「アキラちゃんを、ちょっと独り占めしたくなっただけ」
うちの子が本当に可愛いんです。そこの通りすがりの奥さんちょっと聞いて……やっぱりいいや、私も可愛い君を今は独り占めしていたいからね。両手で思いっきり頭を撫でたら、調子に乗り過ぎたみたいで軽く脇を叩かれた。痛い。可愛い。
その後は少しだけ手を繋いで歩いたんだけど、カフェに着いたら無情にぺいっと放されて、カフェの後はもう繋いでくれなかった。とても悲しい。まあ、袖はずっと握ってくれているので、いいんですけどね。




