第48話_不安
椅子に座らせ、焚火を起こす傍らで、ミルクを温める。お湯なら沸かさなくても魔法で出せるから、紅茶はすぐに淹れられるけど、眠れない彼女に紅茶ってのは酷だからな。ハーブティーでもあれば良かったかもしれない。今度、仕入れておくか。とりあえず今回は温かいミルクに蜂蜜を加えて、シナモン風の香辛料でほんの少し香り付け。
「はい」
「ありがとう」
焚火がパチパチと音を立てて炎を見せた頃、飲み物も完成。両手で大事にカップを受け取る彼女は何処か、幼く見えた。
「何か、不安?」
すぐ近くに椅子を寄せて座り、静かに問う。ナディアはカップを少し傾けてから、焚火を見つめたままで唇を震わせた。
「漠然としたものよ、ただ、私達は」
「うん」
やはり今夜のナディアはいつになく素直だ。本当は私みたいな半端でいい加減な人間に心の内を打ち明けて頼るような真似はしたくないだろうに、彼女には他に、誰も居ないから。
「……このままで良いのかって」
それは私にとって少し寂しい言葉だった。だけど、想像通りでもある。彼女は年相応に色んなものが見えていて、そしてその年齢で見るには酷とも言える裏社会を歩んできたからこそ、無垢に騙されてはくれない。
「私の傍に居るのは楽で安全だ。何も出来なくても、何もしなくても生きていられる。……これが『甘言』でしかないことを、君は分かっているんだよね」
ラターシャにはまだ教えてないんだよな。だけどこんな言葉を、何の疑いもなく受け入れて安堵できるほど、ナディアは子供ではないし、人の社会をよく知っている。もしも唐突に私が気を変えて手を離したら、彼女らが生きて行くことは難しい。でも他に安全な手が無いことも知っていて、彼女は今ただ『漠然と』恐れることしか出来ない。
「ナディ、大丈夫だよ。私はみんなをずっと腕の中に閉じ込めたりしない。いつか自由に、好きな生き方が出来るようにする。約束するよ」
こんな言葉でだって、完全に安心させてあげられるとは思わない。私が底抜けの悪党だったらこうして騙していくんだから。私を信じることが出来るかは、日頃の振る舞いに委ねられる。……自信なくなってきたな。それでも私にとっては本当の気持ちだったので、誠意を籠めて、カップを持っていない方の手を柔らかく握った。
「少なくともナディが全部一人で抱えて苦しまなくていいんだよ。今だけは私に甘えて、少し休んでいて。もう少ししたら、一緒に考えよう」
彼女らは沢山傷付いてきたし、沢山苦しんできた。それはラターシャも同じだ。だから今はまだ何にも考えずにのんびりしていてほしいだけ。そうして甘やかしていたいだけ。一生を養ったって構わないし私は大歓迎だけど、彼女らが違う道を生きたいと思った時、それを選択できないようにしようとは思っていない。
「それと、私は人を安心させる才能が無いみたいなんだよね。不安になったら、はっきり指摘してくれた方が良いよ」
私の言葉に、ふっとナディアが笑う。「そうでしょうね」と全肯定の言葉にはやや傷付くものの、確かに私だけに見せてくれた笑顔が嬉しくて、どうでも良くなった。
「なに?」
「やっと私にも、笑ってくれたと思って」
ナディアはその言葉に軽く目を丸めて、すぐにいつものように垂れた形に戻した。呆れのようにも見えたし、困った顔であるようにも見えた。そのまま、ナディアは視線をカップへ落として俯く。
「あなたに笑わないようにしていたわけじゃないわよ。私は元々、笑うのが苦手なの。……本当、向いていない職業だったわ」
そういえば他三人へ向ける笑みも淡いものばかりで、声を漏らして笑うようなところはほとんど見ない。と記憶を辿って行って、初めて会った時の笑みを思い出した。
「カフェでは上手に笑っていたよ?」
「嘘ばっかり。『気が強い女だ』って顔に出ていたわよ」
「あはは! うん、それは正解。だから『イイ女だな』って思ったんだ」
慈愛の笑みって感じは確かに最初からなかったな。でもそれが私には、堪らなく魅力的だったんだけど。
「そういうところが好きだよ」
「……ふ。変なひと」
笑顔と言うには淡いのかもしれないけれど。口元が確かに緩んで、眉尻を下げるそんな表情は充分、私には愛らしく映る。緩いウェーブの掛かるクリーム色の髪をそっと掻き分けて、頬を撫でた。視線はカップから私に移り、微かに彼女が顔を上げる。ゆっくりとした動作で身を寄せて、軽く頬にキスをした。
「アキラ」
「うん?」
鼻先を触れ合せたら、金色の瞳が私を真っ直ぐに見つめてくる。瞬きの度に焚火の色が入り込み、瞳が煌めいていた。
「あなたを信頼していないって、言うわけじゃないから」
ナディアはいつも正直だ。ほとんどの場合、伸びてくるタグは『本当』を示している。他でもない彼女がそう言ってくれるのが嬉しくて、私は目尻を下げた。
「うん、……ありがとう」
交わしたキスは甘いシナモンの香りがして、目を伏せるナディアの長いクリーム色の睫毛が焚火の明かりに輝く様子が本当に綺麗で。城へ赴いて少なからずささくれ立っていた私の心が、いつの間にか穏やかなものに変わっていた。




