第1105話_罪悪感
「元より心優しいナディアだからこそ余計に、本能で『父』と認識できる彼を、捨てられなかった。……あの愚かな男にも、同じ感覚があったのでしょうに……逆に、断ち切りたい思いで酒に溺れたのかもしれません」
「え?」
子が親を感知するのと同じく、いや、それ以上に、本能が『子』を感知していたはずだ。しかしどうしてもナディアを愛したくなかった、そして憎みたかったあの男は、酒を飲むことでその感覚を鈍らせ続けた。
「どうして、そこまで」
「分かりません。頭がおかしかったのは間違いありませんが。……望んでいなかったはずの子に、本能に『執着』を促されたことが、脆弱な心には耐えられない『恐怖』だったのかもしれません」
子を望んでいなかったと、男は言っていた。それはおそらく事実なのだろう。しかし子が生まれればそのような考えに反し、本能が『子』だと教え込んでくる。まるで反射のように情が湧き上がる。
……その変化に対し、ただ考えを改め、素直に愛せば良かったのに。男は受け入れられず、恐怖し、拒絶した。
人族に、獣人族の感覚を理解することはできない。理解の範囲外で、何か事情があった可能性はある。……だがそれでも、男に同情の余地は全く無い。
「どんな感情と事情があれ、あの男の罪は消えません。ナディアの痛みも」
それだけは覆しようのない事実だ。男がどのような状況に置かれていたとしても。男にどんな理由があったとしても。抵抗の手段も無い子供へ悪意と暴力を向けたことを、許す道理は無い。
「話が逸れました」
抑揚のない冷静な声が部屋に落ち、少しだけ、冷静な思考へと女の子達を引き戻す。彼女達が聞く体勢に戻ったところで、カンナは続きを述べた。
「アキラ様はまず、男の全身、至るところに、長い釘を突き刺しました。私の手の平よりも長い、大きな釘です。土属性の、上位の攻撃魔法ですね」
手振りで大きさを示しながら、カンナは静かな声で淡々と、男を傷付けた獲物の説明をした。
しかしアキラはその攻撃で頭部や首は刺さなかったし、胴体も内臓を避けるように刺さっており、急所を明らかに避けていたことも補足した。
「直後に回復魔法を掛けられましたが、男は苦しみ続けていました。曰く、出血を止める為に『表面だけ』を治癒したようです」
突き刺された直後は大量に血を流したものの、アキラがその措置を取ったことですぐに止血された。
アキラはあの時、部屋を汚したくないからだと言っていた。しかし最後の措置を思えば、カンナが発想していたような『失血死』をさせないことも目的だったのだろう。
「その状態の男を、転移魔法で森の奥へと捨て、十時間の制限付き結界を張った状態で、放置して帰還いたしました」
「……えっ」
一瞬の間をおいて、リコット達は同時に息を呑む。カンナが続きを述べなくとも、彼女らはそれがどういう意図であるのか正確に理解していた。
「十時間、痛みと恐怖で苦しめた後、生きたまま、魔物に捕食させる為です」
三人は、小さく身震いをした。その恐怖を想像してしまったせいだ。
しかし僅かな沈黙の後、ゆっくりとリコットが息を吐き出す。
「ざまあみろ。ちっとも可哀相じゃない。ナディ姉は絶対、もっと苦しかったんだから」
苦々しく呟くリコットの言葉に、ルーイも目に涙をたっぷりと浮かべて頷いた。
「そうだよ。十時間でも少ないくらい。あいつに昔、腕が折れてても殴られたって、お姉ちゃん言ってた」
「ナディア……」
過去にナディアがどのような目に遭っていたか、詳しいことまで知らなかったラターシャは、聞くに堪えないその暴力の内容に、唇を噛み締める。
そんな三人の様子を見守ってから、カンナは罪悪感に視線を落とした。
カンナは彼女らの求めと覚悟に応えただけだ。しかし、……アキラも、ナディアも、きっとこのようなことを望んではいない。
あの男は、確かに悪としか言えなかった。だが、どのような者であっても。人が傷付き、苦しみ、死んだことを。「当然だ」なんて。この心優しい子達に、思わせるべきではなかった。
「カンナ?」
俯いてしまった彼女に気付き、少し心配そうにラターシャが声を掛ける。はっとして顔を上げ、胸の内が表情に出ないように静かに飲み込んだ。
「男の死亡は、翌朝、アキラ様のタグの御力で確認いたしました。……そして今、アキラ様はその場所の確認に行かれています」
告げられた言葉に、耳を疑うような表情で三人は驚愕した。アキラが何を見に行ったのかと想像して真っ青になる。そんな彼女らを落ち着かせようとするように、カンナはゆったりと首を横に振った。
「何も残っていない可能性が最も高いです。魔物にとっては人の骨すら捕食の対象ですので。残っていたとして、血痕や、衣服の残骸でしょうか」
これは彼女らの不安を和らげるための嘘ではなく、事実だ。しかし、不安はカンナの中にも同じ大きさで存在している為、上手い慰めになどなるはずもない。
「御心への影響を考えれば……向かわないで頂きたかったのが、本音です。それでも向かうのであれば、私もお傍にと願ったのですが……許して頂けませんでした」
そう言って静かに俯いたカンナの目には、落胆のような色が浮かんでいた。
「アキラちゃんは、カンナに見せたくなかったんだと思うよ」
先程の予想の範囲の物しか残っていないのであれば、最初にあの男を傷付けた光景の方がよほど残酷なものだろう。だが万が一にも、半端に食われた状態で残っているとすれば。その光景などとは比べ物にならない、凄惨な亡骸を見ることになる。リコットの言葉に、カンナが小さく頷く。
「はい。そのように、仰いました。それでも、私は……」
「分かるよ、アキラちゃんにも、一人でそんなの見ないでほしかったよね」
繰り返し頷いたカンナは、先程よりも頭の位置が下がってしまった。一回り、小さく、頼りなくなってしまったように映り、リコットも眉を下げる。
「結局、何でもかんでも、一人で背負おうとしちゃうんだよね。アキラちゃんは」
疲れたように呟いたその言葉を最後に、四人の間には、重い沈黙が落ちた。




