第1101話_外泊
今夜は、少し高級な宿を選んだ。
というのも、クオマロウは宿の相場が安い為、滞在の為に借りているところよりランクを上げるとほぼ貴族向けの宿になってしまうのだ。既にこの街では貴族として軽く目立った後だし、目を気にして安宿にする必要もないだろう。偶の贅沢ということで。
「おー。バスタブがあるよ」
「……明らかに、貴族様向けね。本の挿絵でしか見たことが無いわ、このバスタブ」
「ははは」
私の世界だと猫足とか呼ばれている形状のものが、バスルームにあった。ナディアが感心して繁々と見つめている。猫ちゃんが猫ちゃんを見ている。
「お城にあったやつはもっと色々装飾が付いてたし、まだ簡素な方だよ」
「この国の最高級のものと比べられても……」
私の言葉に項垂れている。でも所詮はただの浴槽だ。気負わずに楽しんでくれたら良いと思う。
そして勿論、バスタブがあるということは、お湯を沸かす装置も付いている。他の宿にバスタブが少ないのは、こういったお湯用の装置が高いからだと思う。つまりバスタブだけなら、猫足だろうとそこまで高級な品ではない。
「燃料が此処に入って、このレバーで火を点けて、こっち側の水を温める仕組みか。ふむふむ」
「もういいでしょう。既にお湯を出す魔道具は作っているんだから」
興味津々に装置を見学していたら、宥められてしまった。
指摘の通り、スラン村にある私達の浴室には、お湯を出す魔道具が設置されている。魔道具を通る水が即座に指定の温度まで温まる仕組みで、この装置よりずっと快適に扱えるものだ。つまり参考になるわけではなく、ただの好奇心。
「お茶を淹れておくわ。早く入ってね」
「はーい」
そう言われてしまうと、のんびり遊んでいられないね。早く上がらないとナディアが淹れてくれたお茶が冷めてしまう。
浴槽に魔法で即座にお湯を張り、素早く服を脱ぎ捨てた。
大急ぎで髪と身体を洗って、浴槽に浸かっていた時間も三分程度。合計十五分くらいで上がってきたら、ナディアが目尻を少し下げる。
「もっと温まっても良かったのに……ちゃんと拭いたの?」
「んー、拭いた!」
拭いたと思う。多分。ちょっとの水気はパジャマが取ってくれるから大丈夫!
私の主張にナディアは小さい子供の相手をしているみたいな顔で、頬と首を軽く撫でてくれた。多分、水気の残り具合をチェックされているだけ。
「あなたのお茶は今から淹れるから。髪の毛、ちゃんと乾かしてね」
「はぁい」
お茶が冷めないように、淹れるタイミングを考えてくれていたみたい。お湯を沸かし直してくれている。慌てなくて良さそう。改めて丁寧にタオルで髪の水気を取って、風生成で髪を乾かした。
きちんと乾いた頃に、完璧なタイミングでナディアがお茶を淹れ終えてくれる。そして、テーブルに着く私の髪をそっと手櫛で梳いた。
「乾いているわね。じゃあ、私も入ってくるわ」
厳しいチェックに合格したようだ。離れて行くナディアの背で、尻尾がふわふわと揺れる。可愛い。
そういえば、以前こうしてお茶を淹れる時に「カンナのお茶ほど美味しくないけど」とナディアに言われたことがある。でもプロの味はプロの味、家庭の味は家庭の味って感じで、私はどっちも好きだ。ナディアの淹れるお茶も、優しさを感じて美味しい。
ふう。温かさに心を癒されつつ。浴室から響く微かな水の音に耳を傾ける。
今日もナディアに、普段と変わった様子は見られない。あれ以来、変わったことと言えば、毎晩眠る前にあの木箱を膝に抱いているくらいだ。木箱を開けていることはあっても、手紙に触れているところは見ていない。読んだかどうかなんて、問える立場でもない。
思い詰めている様子はなく、不安定な様子もなく。
連れ出すことを求められた理由は、どれだけ考えても分からなかった。気分転換、みたいなものかなぁ。別にナディアも日々引き籠ってるわけじゃないけどね。日中はよく出掛けているし。なら、もしかしたら夜、私が気付いていないだけで、上手く眠れていない日があるのかも。
ぐるぐると考えて、ふと、私の右手が自分の胸元に触れているのに気付いた。
困ったらシエに縋ろうとする癖が既に付いていて、そんな自分に項垂れる。ちなみに、ナディアとデートに出る前にもうシエは収納空間だ。どれだけ胸元を探ってもそこに魔法石は無い。
そんなバカなことをしている間に、ナディアもお風呂を済ませて上がってきた。いつもより少しゆっくりだったかな。
「何か戸惑った?」
「……いえ。贅沢な浴槽を、少し堪能してしまったわ」
「あはは。楽しかったなら良かったよ」
可愛いところがあるなぁ。本当に楽しかったみたいで、頬を微かに上気させていた。温まっている内に、髪と尻尾を乾かしてあげないとね。飲み終えたお茶を横に避け、ナディアの傍へと椅子を寄せた。
きちんと乾かし終えたら、二人でベッドに移動する。
最初はちょっと探り探りと言うか。ナディアの心がまだ軟いと思うから、心配だったんだけど。触れていると結局は愛おしい彼女に夢中になってしまって、いつも通り、愛情をぶつけるみたいに抱いた。
事後になってからようやく無理をさせたかもしれない等と心配が湧き上がって、服を着せた後に慰める気持ちで頬や額にキスを落とす。
猫耳が何度かパタパタと倒れた。くすぐったかったかな。嫌だったとかじゃなくてね、決して。
「アキラ」
「うん?」
腕の中で、何処か控え目な声で、ナディアが私を呼ぶ。柔らかく返したが、ナディアの可愛い猫耳は倒れたまま。まるで何かに緊張しているように見えた。様子を窺おうと少し身を捩ったが、ナディアはむしろ顔を隠すみたいに俯いた。
「あの人は、……殺したのよね」
誰の話かなんて、問い返すまでもなく明らかだ。私は少しだけ返答を迷ってから、「殺した」と正直に答える。
止めを刺したのは、私じゃなくて魔物だけど。
死なせるつもりであんな場所に捨てたんだから、「殺した」で間違いない。
あいつを捨てた翌日。カンナが、生死の確認をタグで行うことを、こっそり提案してきた。生き延びる可能性はゼロだったし、別に良いかなって思っていたけど。カンナは確実な答えが欲しかったのかもしれない。万が一のことがあればナディアや他の女の子達は勿論、私にも何か不都合が及ぶ可能性を考えたんだと思う。
あんまり残酷なことをカンナには言わせたくはなかったから。私の質問に「はい」とだけ答えさせる形で、タグで確認した。
ナディアの父親は、私が望んだ通り、あの森で魔物に食われて死んだ。
だけど、どんな風に殺したのかは、ナディアに伝えるつもりはなかった。だから肯定した後は、何も言わずに沈黙した。




