第1話:法網の執行者、エルトニアに降臨す
登場人物
霧島 隼人(異世界での名前はハヤト)
警視庁 特命現場管理官(警視)。冷静沈着、理知的。悪党には身分や権力を問わず法律と国家権力を突きつける「法網の執行者」。
漆黒の闇に沈むメガロポリス、東京の夜。
地上数百メートルに位置する超高層ビルの最上階、その一室は張り詰めた緊張感に支配されていた。警視庁特命現場管理官である霧島隼人は、手元のタブレット端末に表示されたデータから微動だにせず視線を外さない。そこには、長年隠蔽されてきた政治家の上層部、そして巨大犯罪シンジケートが癒着して行ってきた数々の違法取引、資金洗浄、そして隠蔽工作の動かぬ証拠がデータとして網羅されていた。
「これだけの証拠があれば十分だ。明日、東京地検特捜部との合同査察により、組織の全貌に法的なメスを入れる」
隼人が呟いたその瞬間、オフィスの重厚な防音扉が内側から吹き飛んだ。
爆風ではない。室内に突如として展開された異常な空間歪曲――裏社会の巨大シンジケートが国家機密の裏ルートから違法に入手・研究していた、次元の理を狂わせる危険な違法オーパーツ(違法デバイス)の暴走によるものだった。警視庁の内部にまで深く食い込んだ組織が、隼人を物理的に消し去るために放った最後の隠蔽工作であった。
「――ッ!」
激しい光の奔流と重力が周囲の空気を押し潰す。視界が真っ白に染まり、物理的な肉体が破壊されかけるほどの極限の圧力の中で、隼人の脳裏をかすめたのは恐怖や絶望ではなく、燃え盛るような怒りだった。
あんな卑劣な悪党どもが、権力と暴力を盾にして法網をすり抜け、罪のない人々を踏みにじったまま逃げ延びるなど、警察官として、一人の人間として絶対に許されるはずがない。
「ここで終わるものか……。こんな理不尽な連中を野放しにしたまま、法の裁きを下せずに終わるものか……!」
隼人の胸の内に宿る、悪を絶対に許さないという強烈な執念、そして「法と秩序の執行」に対する揺るぎない意志が、室内に渦巻く空間の理そのものと激しく共鳴した。
次の瞬間、世界が音を立てて反転した。
* * *
冷たい泥の匂いが、鼻腔をかすかに刺激した。
目を覚ましたハヤトは、自身の身体を静かに確認する。スーツの生地には微塵のほころびもなく、ネクタイの結び目すら完璧に整えられている。肉体的な損傷は一切ない。先ほどまでの激しい爆発と空間の歪みは幻だったかのように、彼は何事もなかったかのようにその場に佇んでいた。
「……ふむ」
立ち上がり、周囲を見渡す。そこにあったのは、見上げるほど高いコンクリートのビル群でも、深夜の東京のネオンでもなかった。
視界に広がるのは、荒れ果てた赤茶けた大地と、雑多に積み上げられた石造りの粗末な建物、そして頭上に広がる見たこともない二つの月だった。遠くからは、聞いたこともない野獣の遠吠えが木霊している。
パートナーとなる存在や仲間たちの気配もまだない。完全に単身で、未知の領域に放り出された形だ。
「日本ではない、か。どうやら、いわゆる『異世界』というやつに引きずり出されたらしいな」
ハヤトは一切の動揺を見せず、淡々と現状を分析した。彼の中に焦りはない。いかなる過酷な現場であっても、状況を冷静に把握し、最善の選択肢を導き出すことこそが、これまで数々の難事件を解決してきた特命現場管理官としての流儀だったからだ。
ポケットからスマートフォンを取り出してみるが、当然ながら圏外どころか電源の反応すらない。代わりに、その手のひらの感覚の中に、奇妙な熱を帯びた「システム」のようなものが宿っていることに気づく。それは現代の警察官が持つ権能が、この世界の理に最適化されて変質した特殊スキルであった。
「武器も、通信手段もない。だが――法を執行するための道具は、この身に備わっているようだ」
ハヤトは小さく息を吐くと、石畳の荒れた街道を歩き出し、人の気配がする方向へと足を進めた。
しばらく歩くと、砂埃の舞う雑多な街並みが見えてきた。木造や石造りのバラックが並び、腰に剣を下げた荒々しい男たちや、怯えた表情をした亜人の人々が往来している。看板には見慣れない文字が踊っているが、世界の理に同期した脳がそれを自然と「開拓都市エルトニア」と翻訳していた。
あらゆる場所で暴力と強者の横暴がまかり通り、法や秩序という概念が希薄な魔導のフロンティア。
まさに「力こそが正義」と信じ込まれているこの街の一角で、その事件は起きた。
「おい、そこの獣人のガキ! 今月分の通行税を払わねば、その荷物はすべて没収だ!」
路地裏から響いてきた下卑た笑い声と、少女の悲鳴。
ハヤトが足を止め、静かに視線を向けたその場所では、革の防具に身を包んだ屈強な男――この街の自警団気取りのならず者が、震える耳を持った獣人の少女を取り囲み、荷物を無理やり奪い取ろうとしていた。
「そんな、それじゃあ私たちが食べるものが……!」
「うせろ! 弱者が泣き言を言うな、ここは俺たちの暴力がルールだ。文句があるなら、もっと強い拳でもって俺たちをねじ伏せてみせろよ、ハハハッ!」
周囲を通行人たちが遠巻きに見ているが、誰も助けに入ろうとしない。むしろ「関わると面倒だ」と言わばかりに、顔を背けて足早に立ち去っていく。弱肉強食、暴力がすべてを支配する世界。それがこのエルトニアの日常であるかのように。
その光景を冷徹な瞳で見据えながら、ハヤトはスッと歩を進めた。
ピシッと整えられた革靴が、砂利の地面を鳴らす。そのただならず、どこか研ぎ澄まされた気配に気づき、荷物を奪っていたならず者の一人が振り返った。
「んだお前……? 見かけねえ顔だな。おい、よそ者! ここは俺たちのシマだ。用がねえならさっさと――」
ならず者の言葉は、そこで途切れた。
ハヤトが放つ圧倒的なまでの威圧感、そして感情を排した冷徹な眼差しが、男の喉元に冷たい刃を突きつけられたかのような恐怖を与えたからだ。ハヤトは眼鏡の位置を人差し指で直し、静まり返った路地裏に、よく通る落ち着いた声を響かせた。
「お前たちが今行っている行為は、他者の財産の不当な強奪、および脅迫行為に該当する。社会秩序に対する明確な犯罪だ」
「は……? 犯罪? 何言ってやがる、この街じゃ強さこそが正義だ! 法だの何だの、そんなもんこの街に存在しねえよ!」
ならず者は恐怖をごまかすように声を荒らげ、腰に差した荒削りな鉄の剣の柄に手をかけた。周囲の仲間たちも面白半分にニヤつきながら、ハヤトを取り囲むようにじりじりと間合いを詰めてくる。
「武器を抜くな。それはさらなる罪状の追加を意味する」
「うっせえな、気取った格好しやがって! おい、この野郎を軽く締め上げて、財布ごと巻き上げてやれ!」
ならず者の一人が荒々しく拳を振り上げ、ハヤトの顔面めがけて殴りかかってきた。異世界の住人特有の身体強化魔力が乗った、一般人であれば一撃で意識を刈り取られるほどの暴力の奔流。
だが、ハヤトの身体はその瞬間、微動だにせず、むしろ驚くほど自然な軌道で動いた。
バシッ、と乾いた音が路地裏に響く。
「なっ……!ライズ……!?」
ハヤトは正面からの力比べなど端からする気すらなかった。相手の拳の軌道、重心の移動、そして筋肉の予備動作をコンマ数秒の眼力で看破し、最小限のステップでその攻撃を半身でかわす。同時に、現代日本で警察官たちが叩き込まれる実戦の『逮捕術』の技術が、身体の反射として完璧に炸裂した。
懐に潜り込んだハヤトの手が、ならず者の振り上げた腕の関節を正確に捉え、テコの原理を応用して一気にねじ上げる。
「ぐあぁっ!? 手が、腕が変な方向に――っ!」
骨と筋肉が悲鳴を上げる間もなく、ハヤトは足払いを合わせ、巨体のならず者を硬い石畳の地面へと綺麗に叩きつけた。頭部から地面に激突した男は、凄まじい衝撃に息を詰まらせ、そのままピクリとも動かなくなり気絶した。
「一匹目」
冷徹な呟きとともに、ハヤトは残りの男たちに視線を向けた。
残された仲間たちは、仲間が一瞬で、それも魔法ですらなく謎の体術によって無力化された光景を見て、顔面を蒼白にさせていた。
「な、なんだこいつ……!? 魔法も使わずに、一瞬でブラッドを……!」
「気味の悪い野郎だ! やれ、叩っ斬れ!」
恐怖からか、残る二人の男が抜き身の剣を振り回し、狂乱したように突撃してくる。刃が空気を切り裂く鋭い音。
しかし、ハヤトの表情は微塵も揺るぎない。彼の背後に広がる空間が、微かに黄色と黒の警戒色のグリッドに歪んだ。それは、この世界の理がハヤトの「犯罪認定」を強制的に受け入れた証拠であった。
ハヤトはスーツの内ポケットに手を差し入れ、そこから滑らかに銀色に輝く奇妙な金属製の輪――『絶対法廷の手錠』を必要な分だけ次々と具現化して取り出した。
「暴力で他者を威圧し、法秩序を破壊する者たちへ。――国家権力と法律の名において、これより現行犯逮捕する」
突撃してきた男たちの足元に、ハヤトが放った特殊スキル『立入禁止区域』が鮮やかな黄色の光の帯となって展開された。瞬間、エリア内の重力が何倍にも跳ね上がり、突撃していた男たちの足が文字通り鉛のように重く縛り付けられる。
「なっ、なんだこれ……足が動かねえ……っ!?」
「馬鹿な、魔力が押し潰される……!?」
圧倒的な重圧と、ハヤトが持つ「犯罪の立証と制圧」の理の強制力により、男たちの持つスキルや魔力の強制発動が完全にロックされた。身動きが取れなくなった男たちの間を、ハヤトは一歩、また一歩と隙のない足取りで詰めていく。
「ま、待て……! 俺たちはこの街の――」
「身分が何であろうと、法を犯した者には等しく手錠が待っている」
冷徹な宣告とともに、ハヤトの振るわれた手が閃光のように動き、暴れる男たちの両腕を鮮やかな手際で捕らえた。
ガチャリ、ガチャリと重く冷たい金属音が連続して響き渡る。
暴虐の限りを尽くしていたならず者たちの手首には、ガッチリと『絶対法廷の手錠』が食い込み、彼らの持つすべての暴力の自由を完全に剥奪した。
数秒前まで「力こそ正義」と笑い声を上げていたならず者たちは、地面に這いつくばったまま、恐怖に顔を引きつらせて震えることしかできなかった。
路地裏の物陰や、遠巻きに見ていた周辺の住民たちは、完全に言葉を失っていた。
魔法の詠唱もなし、血なまぐさい大剣の斬り合いもない。ただ、整ったスーツを着た謎の男が、一瞬の鮮やかな体術と、見慣れない「手錠」という道具だけで、街で我が物顔で暴れていたならず者たちを完封してしまったのだ。
「うそだろ……あいつらがあっさり……」
「あの銀色の輪っかは何だ……? 魔道具なのか……?」
どよめく群衆の声を聞き流しながら、ハヤトは手錠をかけた男たちを足元に転がし、静かに息を整えた。そして、乱れたネクタイの結び目を指先でキュッと締め直し、怯える獣人の少女へと視線を向けた。
「もう大丈夫だ。君に害をなす者は、法によって拘束した」
少女は驚きと安堵が入り交じった瞳でハヤトを見上げ、小さくこくこくとうなずいた。
ハヤトは冷徹でありながらも確かな正義を湛えた瞳で、この暴力的で広大な異世界を見据える。
暴力が支配し、法が通用しないこの開拓都市エルトニア。だが、だからこそここには、警察組織と法律の秩序を根付かせる価値がある。
一人のエリート管理官が、小さな駐在所から世界を変える大河の如き戦いの歴史が、今、静かに幕を開けたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
第1話「法網の執行者、エルトニアに降臨す」いかがでしたでしょうか。
主人公・ハヤトが現代の警察官としての圧倒的な頭脳と逮捕術、そして異世界の理を強制的に書き換えるスキルを引っ提げ、最初の悪党たちを法のもとに叩き伏せる爽快感をお届けできたなら幸いです。
次話では、この街に散らばる最初の仲間たちとの出会いや、ボロボロの衛兵小屋を「交番」として拠点化していくプロセスが描かれていきます。
ぜひ、今後の展開もブックマークや応援をして見守っていただけますと嬉しいです!次回もお楽しみに!




