第四話「モル様祭りと戻ってきた写真」
とある日のランチ営業開店前、喫茶モルモット。
カランコロン、とドアベルが鳴った。
「こんにちは」
入口に立っていたのは、根住神社の宮司だった。
片手には、丸めたポスターを何枚か抱えている。
「お、モル神社の宮司さんじゃん。どうしたの?」
「モル神社……」
宮司さんは、なんとも言えない笑みを浮かべた。
「もうそろそろお祭りの時期ですから、今年もチラシを貼らせてもらおうかと思いましてね」
「あー、もうそんな時期か」
「お祭り?」
奥の席で本を読んでいた凪が、しおりを挟んで顔を上げた。
会話が聞こえていたらしい。
「あー、凪はあんま祭りとか行ってなかったもんな。この時期にあるんだよ、モル様祭り」
凪が本をテーブルに置いて二人の方へ歩いてくると、宮司さんは苦笑しながら、持っていたポスターを広げた。
「正式には、根住神社の廻縁祭。ねずみじんじゃ・かいえんまつり、と言うんですけどね。皆さん、モル様祭りと呼ばれます……」
そこには、赤い提灯と、丸い動物のような石像が描かれている。
「神社主催のお祭りなんですね」
「えぇ。うちの主神様である根住様は、なくしたものとの縁を結び直してくれる神様と言われています」
宮司さんは、少し懐かしそうにポスターを見下ろした。
「今はモル様祭りなんて呼ばれていますが、昔は縁戻り祭りと呼ばれておりました」
凪もつられるように、ポスターに描かれた丸い石像を見た。
「そんな言い伝えがあったのは知らなかったな。なんでモル様なんですか?」
「主神様の遣いが、恐らくねずみのような動物なのですが……像が丸々としていて、ちょうどそちらにおられるモルモットに似ている、ということでモル様と呼ばれているようです」
プイッ!
窓際から、誇らしげな声がした。
「いや、お前のことじゃないから! そもそもモルモットじゃないっぽいし」
大牙がたまこに対してツッコミを入れる。
「……でも、遣いの方が人気出るなんて、可哀想な神様だな」
「まぁ……でも親しみやすいのはいいことです。神様にとっては、忘れられるのが一番困りますからね」
その時、カウンターの奥からマスターが出てきた。
ランチの下ごしらえがひと段落したのか、手にはキャベツの葉を二枚持っている。
「おぉ、宮司さん。もうそんな時期か。ポスターなら貼っとくから、レジのところにでも置いといてくれ」
「ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね」
宮司さんは丁寧に頭を下げると、残りのポスターを抱え直した。
「他のお店にも回らないといけませんので、これで」
そう言って、宮司さんは喫茶モルモットを出ていった。
「そんな面白い神社あるなんて知らなかったな」
凪は、宮司さんがレジ横に置いたポスターを見ている。
「まー、昔はそんなに行事もなかったしな。ここ数年だよ、祭りの規模がでかくなったの」
大牙がそう言ったところで、またドアベルが鳴った。
カランコロン、と乾いた音が店内に響く。
「どうも」
「あ、町内会長。おつかれっす〜」
町内会長と呼ばれたおじさんは、大牙の方を見ると、腕を組んでため息をついた。
「まーた、君はこんなところで油を売っているのかね」
「油売ってるなんてとんでもない! 仕事中ですよ〜」
大牙は大袈裟に両手を振った。
その会話を聞きながら、マスターはたまことおこめの皿にキャベツを置く。
それから、町内会長の方へ向き直り、声をかけた。
「あぁ、町内会長さん。祭りの協賛金の話ですかね?」
「よく分かりましたね」
「ちょうどさっき、宮司さんがポスターを貼ってくれって来たんですよ」
「そうだったんですか。それなら話は早い。今年も例年通りでお願いできますか?」
マスターはちらりと凪を見た。
「いやぁ、実はこの店、そちらの彼に買われましてね……経営が大変で、潰そうかと悩んでいたところだったんですよ」
「なんと! それは知らずに申し訳ない……」
「いえいえ。なので、協賛金に関しては彼にお話願えますか?」
凪はポスターから目を離し、町内会長の方へ体を向けた。
「あ、例年通りお出しするので大丈夫ですよ」
「え! 額も聞かずに? 大丈夫ですか?」
「えぇ、お構いなく。あとでマスターに確認しますので」
「それは話が早くて助かる。では、よろしくお願いします」
町内会長は頭を下げた。
それから、大牙の方へ向き直る。
「あなたは、こんなところで油を売っている暇があるなら、準備を手伝ってもらえると助かるのですが?」
「あー……いや、俺もなんだかんだ忙しいから……」
大牙は目を泳がせた。
「あ、そうだ。ちょっと駄菓子屋のおばちゃんから、おつかい頼まれてたんだった!」
言うが早いか、大牙は慌てた様子で店の外へ駆け出していった。
「まったく……商店街の手伝いはよくやっているのを見かけるのに。なんで祭りに関してだけは、あんなに嫌がるのか……」
町内会長が呆れたようにつぶやく。
凪は少し考えるように、顎に手を当てた。
「うーん。大牙、結構ビビりなので……お祭りの準備で何か粗相でもしたら、と考えているのかもしれませんね」
「そんなに信心深いなら、むしろ手伝ってほしいですけどね……」
町内会長は、やれやれと言うように小さく頭を振ったあと、すぐに凪へ向き直った。
「もしご都合よろしければ、祭りの前日、凪さんもお手伝いいただけると助かるのですが」
「承知いたしました。では、祭り前日、神社前で良いでしょうか?」
「えぇ、それでお願いします。では失礼しますね」
町内会長はもう一度頭を下げ、店を出ていった。
しばらくして、入口近くの植木の陰から、大牙がそろりと顔を出した。
「……帰ったか?」
「帰ったよ」
凪が答えると、大牙はようやく店内へ戻ってきた。
「なんでそんなにお祭りの準備嫌がるの」
「だって神社の祭りだろ? 準備で何かやらかして、祟りが〜とかなったらこえーじゃん!」
「そんなことだと思った」
数日後。
店の外から、祭囃子が聞こえてきた。
喫茶モルモットの周りにも出店が並び、通りはいつもよりずっと賑やかになっている。
赤い提灯が風に揺れ、焼きそばの匂いや甘い綿あめの匂いが、時折店の中まで流れ込んできた。
「くー! 結局準備手伝わされたし! まぁ、やらかさなかったから良かったけども!」
大牙はテーブルに肘をつきながら、ぐったりした声を出した。
「まあまあ。しっかり準備してくれたから、モル様もきっと喜んでるよ」
プイッ!
窓際で、たまこが短く鳴いた。
「それなりの働きだった、って顔してんな」
「評価は厳しめだね」
大牙は窓の外へ目を向ける。
「はー、にしても年々賑やかさが増していくな、この祭り」
通りには、鐘町の人だけでなく、町の外から来たらしい人の姿も多い。
「いいことじゃない」
凪も隣に立ち、窓越しに祭りの通りを眺めた。
「そういえばさっき、八重野商店のおばちゃんが、昔なくした髪留めを見つけたって言ってたな」
「へぇ。縁戻り祭りらしい話だね」
「そういうの、本当にあるんだな」
「少なくとも、今日はそういう日なんでしょう」
プーイ! プーーーイ!!
その時、窓際から強めの声が響いた。
「お、なんだ?」
たまことおこめが、ケージの中でそわそわしている。
前足を柵にかけるようにして、大牙たちを見ていた。
「あぁ、今日は部屋んぽさせてなかったな。大牙、出しといてやってくれ」
マスターがカウンターの奥から声をかける。
「はいよ〜。今準備するから待ってな〜」
大牙は手際よく床に落ちているものを片づけた。
キッチンの入口や本棚の周辺など、入られると困りそうな場所には柵を置いていく。
「準備終わったぞ〜。さあ、出動!」
大牙がケージの扉を開ける。
プーイ!
我先にと、たまことおこめが飛び出してきた。
たまこは周辺の匂いを確かめるように、鼻をひくひくさせながら歩き回った。
やがて、窓際のさらに日当たりのいい場所を見つけると、そこで平たくなってくつろぎ始める。
一方、おこめはというと。
「あー! ちょっとそこダメだって」
本棚から少し出ていた古い本の端を、柵の隙間からかじろうとしていた。
「ったく、油断も隙もねぇなぁ」
大牙は慌てておこめを抱き上げ、少し離れた場所へ戻した。
それから、本の無事を確認しようと、本棚の下からその古い本を引っ張り出す。
「……図鑑? こんなのあったっけ?」
大牙は表紙についた埃を軽く払った。
凪も近くへ寄ってくる。
「古そうだね」
「マスターのかな」
大牙はページをぱらぱらとめくった。
その時だった。
ひらり、と何かが落ちた。
「ん? なんだこれ?」
大牙が拾い上げたのは、一枚の写真だった。
そこには、幼い子ども二人と、若い頃のマスターが写っていた。
「わ、これマスター? 若そうだけど雰囲気全然変わんないな。周りの子たちは?」
凪も横から写真をのぞき込む。
写真の中で、一人の子どもはマスターに肩を抱かれ、にこやかに笑っていた。
もう一人の子どもは、その隣で、大きな図鑑を胸に抱え、控えめな笑みを浮かべている。
「……これ」
大牙は写真を顔の近くまで持ち上げた。
にこやかに笑っている子どもの方を、じっと見つめる。
「もしかして、俺か?」
凪は答えなかった。
ただ、もう一人の子どもが抱えている図鑑を見つめている。
その図鑑は、今まさに大牙の手元にあるものと同じだった。
「凪?」
大牙が呼ぶと、凪は少しだけ瞬きをした。
「……覚えてない」
「え?」
「覚えてないけど、多分、僕だ」
大牙は写真と凪を見比べた。
「……俺らここで会ったことあったんだっけ」
「たぶんね」
凪は写真の中の自分らしき子どもを見つめたまま、静かに言った。
「戻ってきたのは、写真だけみたいだね」
窓際で、平べったくなっているたまこがぷい、と短く鳴いた。
子どもの頃の記憶なんて、そんなものだとでも言うように。




