第三十話 小さな守り
森での採集を終えた頃には、日が傾き始めていた。オレンジ色に染まった森には長く伸びる影が落ちる。
小屋へと戻る間、ユノはポケットの中に入れた小石へ触れる。ひんやりとしたそれは、拾った時と変わらない冷たさを保っていた。ポケットに手を入れながら歩いてることに気が付いたリアが首を傾げる。
「気になる?」
「何となく、落ち着く感じがして」
「精霊の気が宿ってるからかもね」
森はいつもと同じで穏やかだった。それでもほんの少しだけ、何故だか胸が落ち着かなくて、小屋に戻るまでの間ずっとポケットの中の石を触っていた。
小屋に戻ると、各々片付けを始める。リアは籠の中を覗き込みながら、小さく息を吐いた。
「今日もたくさん採れたね」
薬草はどれも状態がよく、十分な量が集まっていた。これを仕分けるのは少し時間がかかりそうだ。
「どの子もよく育ってましたからね。早めに採集しておかないと、育ちすぎてしまうかもしれません」
リアはミラと手分けして採ってきた薬草を広げながら、乾かすものとすぐに使うものとで分けていく。ユノはそんな二人を横目に見ながら、自分のできることを探した。
薬草の見分け方を教わり始めたとは言え、まだ完璧には程遠い。下手に手を出すよりかは別のことをしようと、使った道具の片付けなどを始めることにした。
「これの片付けが終わったら、夕食も作り始めちゃうね」
「うん、ありがとう。助かるよ」
ユノは手早く道具を片付けると、夕食作りに取り掛かる。とはいえ、夕食と言っても簡単なものだ。水を汲み、火を起こし、用意してあった食材を切り分ける。最近は暖かくなってきたので、日持ちしないものから食卓に並べた。
二人の仕分けがある程度終わる頃には夕食の支度も終わり、三人で食卓を囲む。
「もうお腹ぺこぺこだよ」
「簡単なものでごめんね」
「全然、むしろ用意してもらえて嬉しいよ」
三人で楽しく話をしながら食事を終えると、窓の外はすっかりと夜の色に染まっていた。風に揺れる木々の音と、かすかな虫の音が重なり合い、昼間とは違う静かな森の気配を感じだ。後片付けも終えひと段落した頃、リアは窓の外を確認して口を開く。
「そろそろ作ろうか」
「お守り?」
ユノがポケットに手を入れると、ひんやりとした感触が返ってくる。
「うん、闇の精霊は夜のほうが応えてくれやすいから」
リアは机の上を軽く整えると、空いた場所に小さな布を敷く。その様子には、どこか静かな緊張があった。ユノもポケットから石を取り出すと、そっと布の上に乗せた。黒い表面は相変わらずつるりと光沢を帯びている。
「闇の精霊は本当に気難しいから……」
リアは言いながら少しだけ苦笑する。
「もし失敗しても笑わないでね」
「……そこまで言われる精霊って逆に興味が湧いてきたよ」
ミラはその言葉に遠い目をする。精霊の多くは上位精霊の性質を引き継ぐ。闇の上位精霊の気難しさと言ったら、中位精霊の比ではない。それを思い出しながら、知らないほうが幸せなこともあるとひとりごちた。
リアがゆっくりと石を両手で包み込む。その様子をミラは静かに見守っていた。リアは目を閉じ、慎重に言葉を紡ぐ。
「闇の精霊ノクスよ
彼の者を包む静かな影を、この石に
応えるなら、その隠れの力を――」
リアの声は静かで、やわらかい。先程までの不安を感じさせないほど、確かな意思が込められていた。
やがて、暗い色の光を纏った精霊がふわりふわりと集まり始める。その時、ユノはふと思い出した。自分が教会から抜け出す時に見た精霊の中に、同じ色の光をまとった精霊がいたことを。きっと見張りの目から隠してくれていたのはこの精霊なのだろう。
集まった光の内の一つがリアの手に触れたと思った瞬間、一際強く輝いた。キンという聞き慣れた甲高い音に心がひやりとする。それは教会で散々聞いた精霊を結晶化した時の音。
しかし――
リアが開いた手の中を緊張した面持ちで覗き込むと、そこには想像とは違い、変わらず黒くてつるりとした石があった。
「……失敗?」
「ううん、成功だよ」
リアはほっとしたように微笑むと、集まっていた闇の精霊たちにお礼を言う。もう一度石をよく見てみると、先程まで反射していた光をまるで吸収しているように見えた。その石からは結晶化した時のような歪な力とは違い、優しい気配がするようだった。
リアは成功したことに安堵の溜息をつきつつ、石を布で包むと巾着へと収める。
「これはユノの分。町に行く時は常にポケットに入れておいてね」
差し出されたお守りをユノは戸惑いながらも受け取る。手に取ると、まるで世界と切り離されたかのように、周りが静かに感じた。風の音も虫の声も、どこか遠く聞こえる。
「なんだかとても静かだ」
「手に持ってる間は、闇の精霊の力がユノの気配を隠してくれるよ」
ユノはもう一度石の入った巾着を見つめると、優しくポケットにしまった。すると、さっきまでの静けさが、ゆっくりとほどけていく。
「ありがとう」
ユノはそう言ってポケットの上からお守りをなでる。もうひんやりとした感触は返ってこなかったが、胸のざわめきは消えていた。
その様子を見ていたミラもそっと息をつく。ふと小屋の外を見ると、夜の森がやけに静かに感じられた。
*****
ミラは夜の森にふわりと降り立った。今日はやけに静かに感じる。
ふと、空を見上げた。何かがあるわけではない。それでも、胸の奥がわずかにざわついた。
「あの時と、よく似ている」
ひとり、静かに目を細める。
風の流れ。精霊のざわめき。ほんのわずかな綻び。どれもが記憶にあるものと酷似していた。
目に見えるほどの変化ではない。言葉にすれば、気のせいで済まされる程度の違和感。ただ、確かに何かがずれている。
精霊の気は穏やかに見える。風も、光も、変わらない。だが、その内側でほんのわずかに噛み合わないものがある。
それは、かつて見た光景と同じだった。
最初は本当に些細な揺らぎだった。誰も気に留めない。気付いても深く考えない。そんな小さな綻び。
だが――
その綻びは、確かに広がっていった。止められないまま、静かに、確実に。気付いた時には、もう手遅れだった。
鎮められたはずのものは、消えたわけではない。ただ、静かに息を潜めていただけ。鎮めるだけでは、足りない。
そして今――
それは再び、動き始めている。
ミラはゆっくりと目を閉じる。この流れの先に何があるのか、知らないわけではない。
「……ついに、その時が訪れるんですね」
小さく零す。その先にあるのは、避けられない選択。誰かが決めなければならない時が来る。
それが、どれほど重いものであっても。
「覚悟はしていたはずなのに」
ミラの光がわずかに揺れる。
その選択の先で、何を失うのか、何を手放すのか。どちらを選んでも、元には戻らない。
分かっているはずだった。
自分はその選択を見届けなければならない。何を選んだとしても、その結果、何が起ころうとも――。
「セフィー……あなたの娘は何を選択するでしょうね……」
ミラの光は、静かに揺れていた。
光と闇の精霊に嫌な思い出のあるミラ。




