90話 ピソの陰謀(被害者側)
ルクレティアお嬢様がルシアを丸め込んだ数日後、お嬢様に言われるがままに俺の名前でドミティアヌス殿下をデキムス邸に招いた結果、お嬢様は無事ドミティアヌス殿下を丸め込んで意気投合したとのことだった。
実験室の方で待機していた俺が、伝言係のルシアに呼ばれて執務室に入ったときには、ドミティアヌス殿下とお嬢様とてもいい笑顔で談笑をしていた。
数日前のルシアへの愛(嘘)切り売りに続き、ドミティアヌス殿下にはお嬢様への後見と俺への黄金の指輪付与ルート確約とバーターで忠義(笑)を切り売りしたらしい。
ルクレティアお嬢様に全部渡した結果、すごい勢いで俺(虚像)が切り売りされてんのマジウケる。
そんな感じでお嬢様のTASじみた挙動に内心草を生やす俺をよそに、お嬢様の下準備は俺の意志と無関係にオートで進んで行く。
現在はあと一時間もすれば夕方に向かいつつあるそんな昼下がり。
あのあとなんやかんやあった結果、俺の目の前では仁王立ちのお嬢様とドミさんに圧をかけられながら滝のような脂汗を流している中年男性――現ピソ本家の家長ルキウス・カルプルニウス・ピソ様が俺に助けを求めるような視線を送ってきていた。
一応圧をかけてる側の人間である俺に助けを求める視線を送ってきている点が、彼がいかに追い詰められているかを表している。
まあ9割くらいだまし討ちみたいな話の進み方だったしね。
そんな感想を抱きながら、2時間前、話の始まりを思い出す。
ドミティアヌス殿下改めドミさん(お嬢様が味方判定してるので心の中でそう呼ぶことにした)がルクレティアお嬢様と共にルクレティウス家の庇護者であるここピソ邸に凸ることにしたのは意気投合した即日、つまり今日の午後のこと。
噴火の直前、お嬢様はピソ様に話を持っていくと言っていたが、その日は運悪くピソ様は他家の宴会に行っていたらしく不在だったようで、結果本日2時間前に至るまで、ドミさん皇帝擁立の話は一切関知していなかったらしい。
唐突に自宅に皇族であるドミさんが凸ってきたことにピソ様は一瞬固まっていた。
そんなピソ様に対し、表面的な挨拶もそこそこに、話を切り出すお嬢様とドミさん。
まずはドミさんのさらなる功績稼ぎとして、俺が用意した3種のチートの内の前二つ、『ルクレティウス紙』『活版印刷』の話から入った。
これはいわばピソ様からすれば麦の蜜や化粧品の有限責任組合の件と同じ認識をしたらしく、ここ数十年ヘマばっかりして処されているピソ家系とは思えない生存本能由来の嗅覚でドミさん&お嬢様案であるそのまんま元老院に噛ませる案の添削を開始。
製紙事業に元老院階級を噛ませるのは良いが、活版印刷という情報を制御できる技術は皇帝直轄にした方が良いという修正案を出してきた。
物理的な情報発信力を握ることによる優位性の確保というのは現代のメディア戦略にも通じるところがある。
製紙事業で紙が安くなった後は、富が唸る元老院階級が欲するのは名声。
自分たちの家の英雄譚や自らが庇護者となっている詩人の作品を自らの家の名と共に広めたがるだろうとのこと。
そしてその名声をローマの津々浦々に広めるのに必要なのは活版印刷というわけだ。
この活版印刷を握っているということは、自らの名声を広めるためには皇帝家との仲を損なわないようにする必要があるということで、情報をローマに行き渡らせるための片輪であるところの製紙事業を元老院階級による特権事業とし、もう片輪の活版印刷を国立印刷局などのような形で皇帝家が握れば、元老院と皇帝の関係は今以上に蜜月となるであろうというのが、ピソ様が出した案だった。
どうやら当代のピソ様は各派閥の調整役という立ち位置らしく、志向としては穏健派寄りらしい。
周りのピソが次々処される中で生き残っていたのはそう言う性格だったからかもしれない。
そしてこの元老院と皇帝家のパワーバランスを維持できるピソ様の修正案にはドミさんとお嬢様も大満足。
そのまま採用する方向となった。
で、そのまま和やかに終わりの雰囲気を出しだしたピソ様に対し、本題を切り出すドミさん。
まずドミさんがダキア遠征への支持要請を切り出したところでピソ様の笑顔にひびが入り、お嬢様が俺の三種のチートその三である『銃火器』『爆弾』の話を出したところでカタカタと震えだした。
そして『ダ、ダキアへの侵攻はあくまで内戦時の意趣返しの示威行動、そういうことですよ、ね?』というピソ様の半ば懇願を含んだ声に対し、ドミさんが『ダキア全土の征服に決まっているだろう』と返したことで見る見るうちに血の気を失い、脂汗をダラダラと流し始めてしまい、今に至る。
「さあ、ピソ殿よ。これだけ私の計画に対して優れた案を出してくれたのだ。もちろんこのダキア侵攻、そしてその先にある『未来』にも、全面的に協力してくれるよな?」
「ピソ様。ピソ家と皇帝家との関係改善は、亡き父マルクスの悲願でもございましたわ。お父様の遺志を継ぐこの私めのお願い、まさか無下にはなさいませんわよね?」
そしてドミさんとルクレティアお嬢様はとてもいい笑顔で了承の返事を要求している。
まあ冷静に考えてここまで話して了承の返事以外は聞けないしな。
「か、紙と活版印刷の件につきましては、このルキウス、ローマの繁栄のために協力を惜しみません……! し、しかし、ダキア侵攻は、先の内戦時の行いに対する報復としてもいささか時期尚早かと……」
しかし、ネロ帝からの激動の時代を生き延びてきた当代ピソ様はこれに了承することすなわちドミさんを次期皇帝として擁立することになるというということは当然理解しているようで、どうにかして軍事系の話ははぐらかしたいという気配を見せ始める。
「なに、心配はいらんよピソ殿。ルシウスの生み出すこの『銃火器』があれば、ダキアの蛮族どもなど一ひねりだ。元老院の説得など、この銃火器とピソ殿の名声があれば容易いであろう?」
「し、しかし……その……」
「また内戦が起こらないか心配か? 安心しろ。次期皇帝の地位は、私は正面から父に要求するつもりだ」
「いえ、そう言うことではなくですね……えぇと、なんと申しましょうか……」
詰め寄るドミさんに対し、完全に及び腰のピソ様。
そんな煮え切らない態度を見て、ルクレティアお嬢様はすすっと、ピソ様から見てドミさんの後ろに隠れる位置に誘導し、俺に小声で耳打ちしてきた。
「ちょっと読み違いしたみたい」
「と、言いますと?」
「ドミティアヌス殿下がティトゥス殿下に成り代わるための材料は十分。そしてドミティアヌス殿下は暗躍ではなく正面から皇帝になると言っている。普通に政治的に見れば低リスクで勝ち馬に乗れる案なのよ。でも、当代のピソ様は思っていたよりもずっと臆病みたい。自分の知見が不足してる軍事面で不安が残る限り、渋りそうね。この腰の引けようを見る限り、お父様と進めていた動きもあくまで『緩やかなピソ家の権勢回復』のための安全な打ち手だけのつもりだったみたいだし」
そう言って『でもピソ様以外のルートで元老院の支持を受けるのは若干効率悪いのよねー』とめんどくさそうな顔をするお嬢様。
「というかここまで一切合切話しちゃってるのにそれって不味いんじゃないんですか?」
「内容的には邪魔さえしなければ万一事前に公になっても困らない情報だしそこは大丈夫。それに臆病風で協力しない場合は選択肢としては『何も聞かなかった』ことにする以外の選択はないし」
あぁそうか。暗殺やクーデターをするわけでも無く、正面から次期皇帝を目指しに行くわけだから、別に内容が漏れても問題はないのか。
お嬢様の言葉に納得し、ドミさんとピソ様のやり取りに意識を戻す。
「しかしその音よりも早く鉛玉を飛ばす武器とやらは現状本当に作れるのですか?」
「……ルシウス、今日は持ってきているのか?」
そこでは丁度、ピソ様とドミさんが本当にそんな夢のような武器あるの? という話題を離しているところだった。
「あ、はい。これです」
ピソ様の疑問に対し、俺は持ってきた袋から銃本体を取り出す。
「見たところ、ただの鉄の筒にしか見えませんが……これで本当に、ダキアの重装歩兵を打ち破れると……?」
「私の、そして麦の蜜や石鹸を生み出したこのルシウスの言葉が、信用できぬと?」
「い、いえ! 決してそんなことは――!」
ドミティアヌス殿下の静かな怒気を含んだ圧を受け、再び額から脂汗をたらし始めるピソ様。
……このままだと話が堂々巡りになりそうだな。
「では、詳細な仕組みや材料は説明できませんが、使い方の説明をするというのではいかがですか?」
そう思った俺は、とりあえず実際にこの『銃』が張りぼてでないことを説明すればピソ様も考えが変わるんじゃないかと思い、提案をしてみる。
特に異議も出なかったので、銃と一緒に展開予定の活版印刷で作成した操作手順書を取り出して説明を始める。
今回持ってきたのは拳銃型のパーカッションロック式前装単発銃。
デモンストレーションに使える様、弾薬も持ってきている。
実際の運用では連発に対応できるように弾薬は紙薬莢で提供する。
なお、混ぜるだけで何とかなる黒色火薬とは異なり、雷酸水銀と硝石を混合して作る雷管は大規模な製造装置はまだつくっていないので少量しか製造できていない。
そんな前提はさておき、説明に戻る。
この紙薬きょうは銃口に詰める前に火薬部分を破る必要がある。
球が出ている部分の反対が火薬部分なので、そこを破り火薬が露出した状態で銃口に押し込む。
そして雷管用の突起に雷管を着ければ準備完了。
あとは安全装置を外し、人差し指で退くのにちょうどいい位置にある引き金を引けば発射される。
まあ近くのものに打つと危ないので、デモンストレーションとしては遠くの人がいない壁などに向けて――パァン! ボガン!!!
……ぱあん?
説明の途中で銃声のような音がしたので顔を上げる。
「おお?」
視線の先には、ドミさんが持つ試作品の銃。
その銃口から、白煙が吹き出し、撃鉄は既に下りている。
銃口の先に目を向けると、ピソ様が座る椅子の後ろ、中庭にあるトガを着た哲学者風の大理石像の腕が粉々になって崩れ落ちているところだった。
「「「「…………」」」」
静寂。
銃声が原因の耳鳴りと、黒色火薬由来の硫黄の匂いだけが残るピソ家の執務室で、全員の動きが完全に停止した。
いや、撃つなよ!?
何やってんのドミさん??
俺説明の途中だったでしょ!?
しかもピソ様に銃口向けてた? 今!?
そう突っ込もうと思ったが、撃った本人であるドミさんも銃の強烈な反動と眼の前で大理石像の腕が木っ端微塵に粉砕された威力に、口を半開きにしてフリーズしているようなので一旦やめておく。
そしてお嬢様の方はというと、突然の爆音に驚きすぎて俺に抱き着いて固まっていた。
何とも言えない微妙な空気。
その場にいた全員がどうしてよいのかわからず、とりあえず自然と威力に対して疑問を呈していたピソ様に視線が集中する。
「ヒッ……!!」
そして目線が向けられたピソ様は短い悲鳴をあげる。
それに対してドミさんが気まずそうに銃を机に置いた瞬間、
「こ、このルキウス・カルプルニウス・ピソ!! 身命を賭して、何としてでも元老院内のダキア侵攻肯定の流れを作ってまいります!! ですから、どうか!! それを私や、元老院の反対派に向けるのだけはおやめくださいませっ!!」
飛びつくようにドミさんの両手をピソ様は強く握りしめながら半ば悲鳴じみた声でまくし立て始めた。
あの銃口が元老院に向いたらどうなるかという想像をしてしまったのだろう。
指一つで石を粉々に砕いた銃の威力に、ピソ様の意志も粉々に砕かれたようだ。
なんかすごい悪いことをしてしまった気分になるが……まあ協力も得られることになったし。いいか。
撃ったの俺じゃないし。
ルキウス・カルプルニウス・ピソ
97年補充執政官。
年代的に小プリニウスと親交があったとされる111年執政官のガイウス・カルプルニウス・ピソの父親または養父と思われる。
なお、史料を調べた限りでは詳しい生没年が不明なため、本作における年齢は創作。
『ピソの陰謀』や『四皇帝の年』で本流のピソが次々に策を誤って自裁や暗殺という末路をたどる中で生き延びた生存能力の高いピソ。
この辺りで名前が残っているピソは彼だけなので、おそらくパピルス荘やピソ家の資産は彼が相続していると思われる。
ここ数世代で3人くらいピソは時流を見るのを誤って処されているので、その中で生き残っている彼は割とネルウァレベルの生存能力を持っている。
なお綴りとしてはLuciusなので実はルシウスと同じ名前だったりする。




