68話 お嬢様の婿候補[2/2]
「コルブロ殿下やプリニウス様の甥とかどうでしょう?」
「……また大物の名前が出てきたな。行けそうなのか?」
「可能性は十分あるかと」
二人とも、うちに入り浸っているガンギマリに連れ添ってよく我が家に来ているので素のお嬢様も見た上でそれほど印象は悪くないように思える。
そしてドミティアヌス殿下にせよプッさんにせよ、今年に入ってからちょいちょいルクレティアお嬢様が婚姻適齢期に差し掛かってる件に触れてきたりもしてるので、なんとなくだが、こちらから打診すれば食いついてくるような気はするのだ。
「……家柄は最高どころの話じゃないんだが……それぞれ全然取れる戦略が違う。アリ寄りのアリだが一旦保留」
「まあ行けそうな候補ってことで入れといてもらえればと」
政治的な影響は俺は素人なので、そう言う部分は若様やマルクス様にお任せだ。
「……ほかは居るか?」
「さすがにそんなぽんぽこ出てこないですよ」
若様は俺を何だと思ってるんです?
政治方面は素人ですよ?
「お前とか」
「俺は自由民にはどうあがいてもなれませんよ?」
奴隷は解放されても解放奴隷であって生来の自由民ではないのだ。
「お前ならなんかデカい功績上げて皇帝陛下から黄金の指輪とか貰えそうじゃない?」
「なんですそれ?」
なんか知らない単語出てきた。
「皇帝にはね、特権の一つとして黄金の指輪の権利を授与する権限があるんだよ。一言で言うと奴隷の身分を『お前実は生来の自由人!』って捻じ曲げる権利があるんだ。ほら、自由人ならギリギリだがルクレティアの婚姻対象。あとは適当な騎士階級か、ちょっと頑張って元老院階級に養子入りすればルクレティアの最高の婚約者完成!」
皇帝特権にそんなものがあるのか。知らなかった。
たしかに理屈上、それを貰うことができるならば、俺は『生来の自由人』の身分を手に入れることができ、お嬢様に手が届くことになる。
だが……。
「それ、政治的に敵作るだけの悪手じゃないです?」
「ルクレティアの感情を最優先するなら、ありな手じゃないかい?」
「素人の俺から見ても、身分秩序を破壊するリターンがお嬢様の感情だけってのはリスクに対して見合わないのは分かりますって」
黄金の指輪の特権を使って貴族階級との婚姻を行うというのは、いわば特例による合法的な身分破壊となる。
ただお嬢様の感情のためだけにやってしまうと、下手をしなくても上流階級から総スカンを食らう可能性が高い。
そして俺がお嬢様と結婚するということは、ルシアとの婚約を破棄することになる。
そんなことをすれば上流階級だけではなく、一般のローマ市民からの顰蹙も買ってしまう。
「どう計算してもお嬢様の一時の感情以外得るものがなさすぎます。ないですって」
「うん。乗ってたらこの場で処してたよ」
「ちょ」
何で急に即死トラップ仕掛けてくるんです??
「お前は幼い時からルクレティアと一緒だったからか、どうにもあいつを特別視してるように思えたからな。念のための確認だよ。ねんのため」
そう言ってひらひらと手を振る若様。
その若様のトガのたるみからは、布に包まれたナイフをちらついている。
……絶対本気だったよ、この人。俺がいいですねって言ってたら絶対刺してたよ。
「だがまあ……お前がルクレティアの婿にならないとルクレティウス家がやばい状態になって、その時にその手段を使わないとかでも、それはそれで刺すけど」
「そんな状況にならないように微力を尽くしますんでトガにちらついているナイフ仕舞ってくれません?」
そもそもそれどういう状況?
「あぁごめんごめん。ま、状況によって最善手は変わるって話さ。じゃあ残りの二人の話に戻ろうか」
そう言って若様は何もなかったかのようナイフをトガの奥に仕舞い、代わりに2枚のパピルスをテーブルに広げる。
「次の候補は、前ブリタンニア総督、セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス殿の子息だ。年はお嬢様と同い年」
ブリタンニアというと、未来のイギリスあたりか。
「あの家は実務的で技術志向が強くてな。おそらくお前がまだ隠している知識とも相性が良いだろう」
そして当然のようにまだ俺が持ち駒がある前提で話を進める若様。まあ、あるけど。
「で、最後の候補……現在、父上が最も有力視しているのがこの方、マルクス・ウルピウス・トラヤヌス殿の嫡男」
「……どっかで聞いたことある気がします」
「現家長である彼の父君は陛下の覚えもめでたく執政官も経験されている。彼自身も去年から財務官として就任したばかり、まさに売り出し中の中央エリートといったところだ」
若い財務官。トラヤヌス。
若様の補足情報で、俺は名前と顔が一致する。
「あー、あの人か」
「おや、知っているのか?」
「ええ、まあ。というか……」
意外そうな口調の若様に対し、俺はドムスの奥、ガンギマリ梁山泊のその他大勢が詰めている講堂の方を指差した。
「今日もうちの講堂でデキムスさんから複式簿記の講義を受けてますよ、彼」
「……まーじーで???」
「プリニウス閣下やドミティアヌス殿下が入り浸るようになったあたりで詰めかけてきた方々の一人ですね」
他の連中が血走った目で授業に食いついているのに対し、質問の数は少ないものの要点を抑えた質問をしてくるし、他の人の意見に補足をしたりと、結構バランス型の立ち回りをしているので印象に残っている。
「若様たちの方では、もう既にトラヤヌス様の近辺に打診はしてらっしゃるので?」
「いや、まだこれからといった段階だ。……当家にとってもだいぶ背伸びをする縁談になるからな」
「じゃあ、せっかくなんで、本人に直接聞いてみます?」
「……本当にお前の所に行くと予想外な方向に話が進むなあ……。が、好機は好機。お願いできるかな?」
「承知いたしました。――あ、ちょうど午前の授業が終わったみたいですね」
俺に若様に言うと同時に、講堂の方のドアが開く。
これから帰宅するのであろう受講生たちが、大広間を横切っていくのが見えた。
その中に、長身かつがっしりとした体つきの青年――トラヤヌス様の姿も見える。
俺は立ち上がり、彼に向かって声をかけた。
「トラヤヌス様!!ちょうどよいところに!!ちょっとお時間頂けますか!」
「ルシウス殿。どうかされたか?貴殿から受講生に声をかけてくるなど、だいぶ珍しいように思うが」
呼ばれたトラヤヌス様は、不思議そうな顔をしてながら執務室に入ってくる。
「私の主家からトラヤヌス様の家についてすこし、ご相談がありまして。家長の父君へ正式に話を持っていく前にトラヤヌス様の見解もお聞きしたいなー、と」
そして俺はそのまま若様をトラヤヌス様に対して「ルクレティウス家の長男、マルクス様です」と紹介した後、単刀直入に切り出した。
「私の主家であるルクレティウス家のご令嬢、ルクレティア様もそろそろ婚姻を考える時期を迎えておりまして。聞けばトラヤヌス様もまだ未婚とのこと。屋敷にて何度かお嬢様を見たこともあると思いますので、単刀直入に、どうかなー?と思いまして」
「ルクレティア様……?たまに中庭で活発そうなご令嬢と一緒にリバーシをされている穏やかなご令嬢のことかな?」
「いえ、よく中庭で調香をされている方です」
多分トラヤヌス様が言っているのはルティちゃんのほう。そっちじゃなくて元気な方。
「………………………………あー……」
俺の返答に、トラヤヌス様は少し困ったような、苦笑いのような表情を浮かべた。
「そちらの方、か。……大変申し訳ないが、私には少し荷が重いかもしれないな」
「え?なんでですか?」
何故かあまり印象が良くない様子に、俺は疑問を投げかける。
「ちょっと、あの、師に金的する相手はちょっと……」
……お嬢様そんなことしてたっけ?
……。
あー。してたかも。
エチオピアからコーヒー豆を見つけて凸ってきたコスムスさんをお嬢様に押し付けた時だな。
お嬢様の悲鳴の後、コスムスさんの悲鳴も聞こえてたし。
……あの時お嬢様、コスムスさんに金的してたんだ……。
「「…………」」
俺と若様は、無言で顔を見合わせた。
うん、ちょっと……トラヤヌス様ルートはないかも。
そうして、微妙な気まずい雰囲気が流れ始めそうになるなか、トラヤヌス様は遠慮気味に言葉を追加してきた。
「この話の流れで言うのもなんだと思うのだが……ルシウス殿、私の婚姻について何か便宜を図っていただけそうなのであれば……ルクレティア嬢の隣によくいる、もう一人の令嬢を紹介していただくことはできまいか?」
そう言ってトラヤヌス様はふと、視線を中庭の方に向ける。
視線の先には天然お淑やかな方のお嬢様――ルティちゃんがルシアとリバーシに興じていた。
遠目でもわかる、ほわほわ和やかな雰囲気。
「……あの陽だまりの下にいるような、和やかな雰囲気。婚姻は家同士のもの故、私の要望だけで決められるものではないが……叶うならば、あのような女性を妻に迎えたいと思うな」
出世街道を爆速で進む彼にとって、家の方は癒しの場所でありたいということか。
アリだな。
最近アウ爺もルティちゃんを俺に接近させようとしている気配を感じるし、その矛先をそらす先として中央の勢いあるエリートであるトラヤヌス様をぶつけるのはアリ。
「彼女はアウルス・ウンブリキウス・スカルウスの孫娘、テルティア様です。家業はガルム製造ですが、彼女の父君はポンペイ二人官を経験しておりますので家格的にはギリギリ釣り合うかと思います。……また、ウンブリキウス殿には、我が恋人の父、デキムスの商会運営にも深く関わっていただいております」
そう考えた俺はルティちゃんの実家であるウンブリキウス家の概要を説明しつつ、トラヤヌス様に右手を差し出す。
「おぉ、それなら父上に話を持っていくこともできる。自治都市の二人官を経験しているとはいえ、ガルム製造業者では厳しかったが、師デキムスと近しいのであれば話は変わってくる!」
その意図を正確に理解したトラヤヌス様は、とてもいい笑顔で俺の手をつかみ、強く握り返してきた。
行けそうだね、ルティちゃんとの縁談。
今日は良い日だ。厄介ごとが一つ片付く。
……視線の端では、若様がジト目でこちらを見てくるが知らない。
どちらにしてもお嬢様とは縁がなかったんです。
素直にそこはあきらめてもらって、ほかの候補を考えましょう?
マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス):
五賢帝の一人。後世には「至高の皇帝」として有名。いわゆるローマ帝国の最大版図を築いた人。
ちなみに若様が言ってる「マルクス・ウルピウス・トラヤヌス」は父の方。ややこしいね。
父の代に元老院階級になり、西暦78年時点では年齢要件の下限で財務官になり、その数年後には法務官になるなど、作中時点で見るとまさに出世街道を爆走中。
トラヤヌスとテルティアの婚姻:
本来であればウンブリキウス家などウルピウス家からすれば選考外もいいところ(ローマ社会においては、成り上がりの中でも食品系は特に軽く見られる傾向がある)だが、ルクレティアお嬢様との対比によるコントラスト効果と、今ホットな学問である複式簿記を押さえている一派と親密な関係ということからトラヤヌス側からの指名を見事ゲット。
……ウンブリキウス家、作中で一番ノンストレスで栄達してる気がする。




