12章 言うこと聞かないと
議会中に、エヴェラルドは同盟書類に国王としてサインをした。
その場で廃位が決まった国王と王妃は逮捕され、エヴェラルドの騎士達が勾留のため牢へと引き連れていった。
アベリア王国を我が物顔で歩いていたベラドンナ王国の者達は、クレオーメ帝国との同盟が成立した瞬間、まるで最初からそこにいなかったかのように姿を消した。
クレオーメ帝国と争うわけにはいかないと、分かっているのだ。
それは同時に、ベラドンナ王国がアベリア王国を諦めたという意味でもある。
これからエヴェラルドは、アベリア王国の国王としてベラドンナ王国に不法に取られていた様々な権利を取り返していくのだろう。
貴族達が皆退出した議場には、クラリッサとラウレンツとエヴェラルドだけが残った。
先程まで大勢が論戦を交わしていたとは思えない静けさだ。
エヴェラルドが、ラウレンツに向かって頭を下げた。
「本当に、ありがとう。頼んだのは私だが、たくさん苦労をかけただろう?」
「ああ、大変だったよ。こんなに大変なら、最初から断れば良かった」
ラウレンツが眉を下げて笑う。
「そんなこと言わないでくれよ」
「でも、引き受けなければ私は今も独身だっただろうから。そういう意味では、私もエヴェラルドに感謝してるさ」
クラリッサがエヴェラルドとラウレンツが話しているのを見るのは初めてだが、これほど気安い仲だったとは思わなかった。
二人とも気が抜けた様子で笑い合っている。
「クラリッサもありがとう。お疲れ様」
エヴェラルドに言われて、クラリッサは肩を落とした。
「お兄様もお疲れ様でした。おめでとうございます」
「ふふ、ありがとう。私から一つだけ、クラリッサに言わなければならないことがあるんだ」
「何ですか?」
まだ多くの問題はあるが、一番の問題が片付いた今、わざわざ話とは何だろう。
首を傾げたクラリッサに、エヴェラルドは兄としての暖かい笑顔を向けた。
「もう今後、何があっても国のために悪女なんて演じなくてもいい。クラリッサだけが背負うことは何一つないんだ。だから」
大きな手が、クラリッサの頭に乗る。
優しく撫でてくれるその手は、幼いクラリッサを慰めてくれたものに、よく似ていた。
「自分の思うように、したいように行動しなさい。……私の、一番最初の王命だよ」
「お兄様……っ」
目頭が熱くなる。
クラリッサを縛っていた柵がほろりと解けて、頭も身体も軽くなったような気がした。
クラリッサはふわりと微笑んだ。
それを見たエヴェラルドが嬉しそうに口角を上げ、クラリッサに問いかける。
「それで、クラリッサは今何をしたいんだ?」
クラリッサは自身の欲望に忠実に、その質問に答えた。
「──私は、今すぐラウレンツを連れて寝室へ行きたいと思っていますわ」
瞬間、空気がぴしりと凍り付いた。
「え?」
「は?」
エヴェラルドとラウレンツの声が重なる。
クラリッサは構わず、ラウレンツの右手を掴んだ。
「──早速、思うように行動させてもらいますわね」
そう言ってすぐに踵を返して、エヴェラルドに背を向けた。
かつんかつんと踵の折れた靴が音を立て、手を引かれているラウレンツの慌てたような不規則な足音が付いてくる。
「え? いや、ちょっと。クラリッサ!?」
クラリッサはエヴェラルドの叫び声を無視して、後ろ手に扉を閉めた。
連れ出されたラウレンツは戸惑いが隠せないようで、落ち着き無く視線をさまよわせている。
「クラリッサ。どこに向かっているの?」
「私の離宮よ。あそこなら邪魔が入らないわ」
「は? り、離宮……」
ラウレンツの顔が赤い。
「良いから、黙ってついてきて」
クラリッサは小さく嘆息して、なおもラウレンツの手を引いた。
久し振りにクラリッサの離宮に戻ると、侍女はすっかりいなくなり、カーラだけがクラリッサを出迎えてくれた。
カーラ以外の侍女は皆、シルヴェーヌの息がかかったベラドンナ王国の手の者だったのだろう。
侍女が少ないのは構わないが、一人だけというのはカーラへの負担が大きい。
どうにかしなければと考えていると、カーラが涙目でクラリッサに深く礼をした。
「──無事のお帰り、おめでとうございます」
「ありがとう、カーラ」
カーラも離宮や王城の様子から、クラリッサ達の作戦が成功したことを察していたのだろう。
その目がラウレンツに向けられて、驚いたように見開かれる。
「旦那様……」
「整っている客間はあったかしら」
「クラリッサ様の隣の部屋でしたら」
「それならその部屋にいるから、よろしくね」
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
カーラがそう言い残して、廊下を走っていく。
「さあ、ラウレンツ。こっちです」
右手を引いて、いつも使っている自室の隣、クラリッサの部屋と同じ作りの、離宮の中で最も豪華な客間に入る。
寝室は奥の扉を開けた先だ。
カーラが何かあったときのためにと整えてくれていたらしく、窓が開けられて気持ちの良い空気に満たされていた。
クラリッサはラウレンツの手を離し、大きな寝台に腰掛けた。
そしてその隣を、ぽんと叩く。
「さあラウレンツ、ここに座って」
「そこって、寝台……」
ラウレンツが困惑しているのが分かる。
しかしクラリッサも、もう我慢はできなかった。
「言うこと聞かないと押し倒すわよ」




