10章 なんて美しい方なのでしょう
押しつけられた腹の痛みに顔を顰めているうち、クラリッサは王妃の目当ての場所に連れてこられたようだ。
何もない部屋の床に雑に下ろされる。
これまでに、誰にもされたことがないほどの無礼だった。
「私を誰だと──!」
文句を言おうとしたクラリッサの目の前で、騎士が部屋を出ていく。
がちゃがちゃと金属が擦れる音がする。一度大きく音がしたのは、鍵をかけたからだ。
一人きりになったところで、クラリッサは早速扉に駆け寄った。
扉はしっかり閉じられていて、びくともしない。
他に逃げ場があるかもしれないと、次は窓に歩み寄る。
そして外を見て、息を呑んだ。
小さく見える花々と、ベラドンナ王国の息がかかった騎士達。
「流石に……三階からは無理だわ」
二階程度なら飛び降りられると思ったが、三階は無理だ。
それならば他の部屋には何があるのだろうかと、部屋にある二つの扉を開けた。
片方がトイレで、もう片方が浴室だった。
「──ああもう。何もないじゃない」
何か使えそうなものがないかと部屋を見回したが、目に止まったのは寝台だけ。
他には机も箪笥もテーブルもない。
「考えた中で、二番目に悪いじゃない……!」
クラリッサが王妃の離宮を訪ねると決めたとき、様々な可能性を考えた。
一番悪い可能性はクラリッサか誰かが殺されることで、二番目に悪いのはこの結果だ。
クラリッサは頑張っているエヴェラルド達を思って、痛む胸に無理矢理蓋をした。
◇ ◇ ◇
シルヴェーヌ・ベラドンナはベラドンナ王国の王女だ。
しかし王女といっても、六番目の王女だった。
ベラドンナ王国の国王に王妃は一人だけだ。代わりに後宮制度があり、後宮には常に複数人の妾がいる。
シルヴェーヌはそこにいた、実家が没落した伯爵令嬢が産んだ王女だ。
子供が多いベラドンナ王国では、王女は皆政治のための道具だった。母親が誰であるかに拘わらず全員が等しく教育を受けさせられる。
特に優れた容姿の者や政治力のある者、頭の良い者は重宝され、国王の手駒として利用される。そうすれば他の子供達よりも贅沢をすることができた。
シルヴェーヌはその贅沢を手に入れたかった。
しかし美しい者が多い後宮では、シルヴェーヌの容姿は平凡なものと言われる程度だった。
だから努力して、努力して、誰より賢くなろうとした。
その努力が認められ、シルヴェーヌはまだ幼いうちにアベリア王国の王太子の婚約者となることができた。
小国だったが、自分こそが国母となれることが嬉しかった。
『──未来の私の妻……なんて美しい方なのでしょう。どうか、仲良くしてください。できれば、愛していただけると嬉しいです』
初めての顔合わせで言われた言葉。
美しいと言われたのは初めてで、無邪気なシルヴェーヌはあっという間に美しい王太子を好きになった。
しかし、適齢期になり、アベリア王国に嫁いでいったシルヴェーヌが見たのは、シルヴェーヌよりも先に王太子妃となったアベリア王国の公爵令嬢の姿だった。
王太子は優しげな顔で笑い、愛を囁いている。
どうしてあの笑顔がシルヴェーヌに向けられないのか理解できなかった。
『ああ、可哀想なシルヴェーヌ。そうだね、あの王太子は君に酷いことをしている。君は王太子に
復讐する権利があるよ。だから、全てを奪ってしまおう』
そう言ったのはベラドンナ王国の国王であるシルヴェーヌの父親だった。
やがて王太子は国王になり、王太子妃は王妃に、シルヴェーヌは第二妃となった。
国王はその重圧に心が耐えきれなかったのか、王妃にもシルヴェーヌにも無関心になり、腹心だけを側に置き、離宮に訪れることも減っていった。
来るのは国王の義務としての、週に一度の閨のときだけ。
シルヴェーヌは、絶対に王妃よりも先に子供を産まなければならなかった。
王妃の侍女の中にベラドンナ王国の手の者を忍ばせ、妊娠を防ぐ薬を飲ませ続けた。
そして、シルヴェーヌが先に妊娠することができた。生まれた子は男の子。エヴェラルドと名付けたその子は未来の国王となるのだ。
『私の子……この子が私と陛下を繋いでくれるはず』
しかしシルヴェーヌの手から、エヴェラルドはすぐに奪われることになる。
国王は少しもシルヴェーヌを見ようとせず、後継であるエヴェラルドの育成にだけ力を入れた。
二度目の妊娠。
生まれた子は女の子。クラリッサと名付けた。
今度こそ、と期待したシルヴェーヌだったが、今度は国王は生まれた子供にも全く興味を示さなかった。
将来王太子となるエヴェラルドは賢く美しく育っている。国王にとって、後を継がない王女は生きているだけで問題なかったのだ。
シルヴェーヌは怒った。
クラリッサは優秀で、教えれば教えただけ吸収する。
ようやく手元に置くことができた可愛い子。
絶対に認めさせてみせる。




