10章 下手になった笑い方
エヴェラルドが部屋を出ていき、クラリッサとカーラの二人だけになる。
クラリッサはカーラが持ってきた薬草箱を開けて、中からネズミモチの実を取り出した。
ラウレンツに貰った実だ。
あのときの不器用な優しさを思い出すと、胸がぎゅっと痛んだ。
秤に乗せて重さを量り取り、土鍋に入れて水差しから水を注ぐ。アルコールランプの火に掛け、しばらくして沸騰したことを確認して立ち上がった。
「カーラ、支度をするわ」
クラリッサが言うと、カーラが衣装部屋の扉を開ける。中にはしばらく見ていなかった、鮮やかな色のドレスがたくさん並んでいる。
クラリッサはその中から、鮮やかな濃い紫色のドレスを選んだ。
カーラに着替えさせられながら、鏡の中の姿を見る。
谷間を強調した胸元と、露出した背中。
ドレスの裾は広がっているが、中のレースが透けているため、切れ込みからはうっすらと足のラインが見える。
大粒のトパーズのネックレスは、後ろに長くチェーンが垂れて、開いた背中を彩っている。
艶やかな銀髪はアップに纏めて、首の細さと女性らしさを強調した。髪にもピンで色とりどりの宝石を散りばめる。
アイラインをしっかりと引いたら、そこには見慣れた華やかな悪女がいる。
カーラが不安げな目をクラリッサに向けている。
クラリッサはそれを無視してずっと沸騰させていた土鍋の前に移動し、火を消し中の液体を濾した。
熱を取りながら小瓶に移し替え、使い方を書いた紙を貼り付ける。
それから、戸棚からいざというときのために取っておいた虫の死骸が詰まった缶を取り出した。
振り返るときには、満面の笑みを浮かべた。
「カーラ、これをアンジェロに届けてくれる?」
カーラが動揺する。
クラリッサはそれでも、小瓶と缶をカーラの手に押しつけた。
「──良い? この小瓶は隠して持って、缶だけを両手で持っていって。いつものようにアンジェロに嫌がらせをするふりをして体調を見て、小瓶を渡してきてちょうだい」
「クラリッサ様……っ」
カーラの瞳に涙が浮かぶ。
クラリッサとずっと行動を共にしてきたカーラだから、今からクラリッサが何をしようとしているかもお見通しだろう。
本当はこれをカーラが今持っていく必要もない。
それでも、クラリッサはあえて口にはしなかった。
王妃はクラリッサの侍女であっても、自室に人を入れたがらない。
「できるでしょう、カーラ」
クラリッサが指先でカーラの涙を拭う。
「それが終わったら、エヴェラルドお兄様のところに行ってね」
「嫌です」
クラリッサの身の振りようによっては、部屋で待っているカーラが危険になることも有り得る。
「分かって、カーラ。いざというときに貴女が動けないと、困ってしまうわ」
例えばカーラが捕らえられるかもしれない。カーラが人質にされてしまえば、クラリッサは何もできなくなるだろう。
だから、今カーラを狙われやすい場所にいさせるわけにはいかない。
エヴェラルドなら、クラリッサの意図を理解してくれるだろう。
カーラがクラリッサに強い目を向ける。
「絶対に失敗しないでください」
「そんなこと言わないで」
クラリッサが苦笑する。
カーラは小瓶をポケットに入れ、缶を両手でしっかりと抱えた。
「……待ってますからね」
カーラが踵を返して部屋を出ていく。
クラリッサはすぐに土鍋とランプを隠して、アベリア王国でいつも使っていた香水を部屋のカーテンにかけた。
自分の手首と、耳の後ろにも少しずつ。量は少なくてもしっかりと香るこの香水は、薬草の匂いも上手に隠してくれる。
すべての処理を終え、寝台に腰掛けた。
離れたところにある鏡の中のクラリッサを見つめながら、笑顔を作る。
ふわりと笑ってしまってから、少しずつ調整を加える。
もっと目を細く。
もっと口角を上げて。
もっと見下すように。
思い出すように、刻み込むように作るそれは、クラリッサがこの場所で作り上げた悪女らしく振る舞うためのものだ。
いつの間にか下手になっていた笑い方は、きっとラウレンツのせいだ。
唇を噛んだとき、クラリッサの部屋の扉が乱暴に叩かれた。
「クラリッサ様、王妃様がお呼びでございます」
言葉の丁寧さの割に敬意を感じられない声だった。
クラリッサは立ち上がり、一人部屋を出て呼びに来た男性についていった。
クラリッサの部屋を出て、別の離宮へ。そこは王妃に与えられる、城内で最も大きな離宮だ。
クラリッサの母親が王妃となってから日に日に華やかさを増した離宮では、これまでに見たことがないほどの数の騎士が警備をしていた。
つまり王妃はアベリア王国内にいながら、ベラドンナ王国に守られている。
「……嫌になるわ」
自分の母親ながら、その周到さに腹が立つ。




