7章 必ずつけてきてね
レオノーラがくすくすと笑っている。
ようやく状況を理解したクラリッサは、レオノーラの笑い声に毒気を抜かれて、肩の力を抜いた。
「あ……そう、ですよね……」
「そうよ。レオノーラはそんなに怖い人じゃないから心配しなくて良いわよ。甘い物でも食べて落ち着いて。ね?」
エルトル夫人が微笑みながら、クラリッサに砂糖菓子を勧めた。
クラリッサは素直にそれを受け取って、口に入れる。ほっとする優しい甘さが口の中に広がって、追いかけるように飲んだ紅茶がふわりと香った。
「ありがとうございます……美味しいです」
ほっと息を吐いたクラリッサに、エルトル夫人が真面目な顔をする。
「それでね、噂が嘘なら、どうしてそんな嘘を、と思ったのだけど」
「申し訳ございません。私の口からは……」
「そうでしょうね」
眉を下げて言ったクラリッサに、エルトル夫人がすぐに同意する。
王女がわざわざ悪女のふりをするなんて、通常の統治がされている国ではあり得ない。
政略結婚の駒となり得る王女の評判を落としたところで、何の意味もないからだ。
ならばクラリッサ本人か、誰かの指示で意図的にそうしなければならない状況だったと考えるのが妥当だ。
そしてその状況は、アベリア王国の国王夫妻がまともに統治していれば起こらない。
クラリッサは俯き、膝の上でぎゅっと拳を握った。
アンジェロのことは心配だし、クラリッサがクレオーメ帝国に嫁いで来てからエヴェラルドについての情報が入ってこないことも気に掛かる。
アベリア王国の者達が帰るまでしっかり悪女を演じ通したから、クラリッサの本性がアベリア王国に、ひいてはベラドンナ王国に伝わっていなければ良いと信じるばかりだ。
「──クラリッサさんは、クレオーメ帝国では悪女のままでいるつもりはないのね?」
「はい。ラウレンツに迷惑はかけたくありませんし……悪女のままではあちらも困ったことになるとは思っているでしょうから。気付かれても何も言われないと思います」
王妃はクラリッサがクレオーメ帝国の情報を流すことを望んでいる。
クラリッサが悪女の振る舞いをしたままでは人の輪に入れないからと『愚かな悪女をやめるふり』をするのだと、納得するに違いない。
ただし、本当のところは気付かれてはいけないが。
レオノーラが、うんうんと小さく唸り声をあげながら何事かを考えている。
どうしたのだろうかと様子を窺っていると、レオノーラはやがて顔を上げた。
「私がラウレンツに『クラリッサさんは良い子ね』って伝えましょうか」
「そのような……!」
「良いじゃない、それくらい。ラウレンツは頑固だから、放っておいたらいつまでもクラリッサさんのことを悪女だって思ってるわよ」
レオノーラが、誰に似たんだかと言って小さく溜息を吐く。
クラリッサはその様子が普通の親子のように見えて、思わずそれまでの困惑や緊張を忘れて小さく吹き出してしまった。
すぐに扇を取り出して口元を隠すが、なかなか笑いは収まってくれない。
エルトル夫人がそんなクラリッサを見て楽しげに目を細めた。
「まあ、そんなに面白いこと言ったかしら?」
レオノーラが笑う。
穏やかになった雰囲気の中、クラリッサは滲んでしまった涙を指先でそっと拭う。
「いえ、皇太子妃様は──」
「お義母様よ」
レオノーラが修正する。
クラリッサは仲良くなろうとしてくれているのだと思って嬉しくて、言葉を続けた。
「お義母様は、ラウレンツには何も言わないでください」
もしレオノーラからラウレンツに言えば、ラウレンツは多少妻として受け入れようとしてくれるのかもしれない。
逆に、母親を誑かしたと言われるのかもしれない。
勿論その不安もあるが、一番は。
「私は、まだラウレンツと向き合っていたいのです。少しずつ話ができるようになっていますし……このまま、今しばらく見守っていていただけますと、嬉しいです」
ラウレンツの中に、クラリッサ自身の力で入りたい。
受け入れてほしい。
二人だけでも、互いに分かり合えるのだと、クラリッサが信じていたかった。
レオノーラが僅かに頬を染めて頷く。
「そう……分かったわ。ラウレンツのことを大切に思ってくれて、ありがとう。母親としてお礼を言わせてね。それと」
言葉を切ったレオノーラが、クラリッサに小さな箱を手渡してくる。
受け取って中を見ると、そこには小さな耳飾りがあった。
繊細にカットされた雫型のシトリンが、小さなダイヤモンドと共に短い金の鎖の先で揺れている。
レオノーラが今身に付けているものと同じものだった。
「受け取ってくれるかしら。次の皇城での夜会のとき、必ずつけてきてね。私もつけるから」
ふわりと優しく笑うレオノーラに、クラリッサの目頭が熱くなる。
見知らぬ国に嫁いできたクラリッサには、他の令嬢達と異なり、頼れる家や年長者が近くにいない。
本来フェルステル公爵家がそれになるのだが、まだできたばかりの家で歴史が浅い。
しかも当主であるラウレンツがクラリッサと愛のない結婚をしたことは、周知の事実だ。
だからクラリッサが侮られ、前回の夜会では歴史と家格のある令嬢から絡まれてしまったのだろう。
クラリッサも分かっていたから、エルトル夫人のサロンに出入りできるようになって、少しでも味方を増やそうとしていた。
しかしそれでも、後ろ盾がなければサロンに入ることができても味方は作りづらいだろうと思っていた。
それでも、仕方ないと思っていたのに。
レオノーラは、自分が後ろ盾になろうと言ってくれているのだ。
見ていてくれた人がいた。
分かってくれた人がいた。
そのことが、こんなにもクラリッサの胸を熱くする。
「──……ありがとうございます。恥じないように頑張ります……!」
小さな箱を胸に抱き、クラリッサは涙を必死で堪えて笑った。




