7章 これまでに見たことがない
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ラウレンツは皇城の自身の執務室で溜息を吐いた。
余計な争いを生まないようにと結婚を機に臣籍降下をして公爵となったが、皇族としての教育を受けたラウレンツは、ときに皇子の仕事も手伝わされ、家族に便利に使われていた。
昔は色々あったが、家族仲は今はそう悪くないと思う。
皇族の多忙さは理解しているから、手伝いをすることにも異存はない。
むしろラウレンツが推し進めている市井への薬草学の普及施策を後押ししてもらうためにも、貸しは作っておいた方が良い。
予想できたことだが、この施策は貴族主義の者達からは評判が悪いのだ。
ただ、仕事が溜まってくるとどうしても心に余裕が無くなってくる。
そんなとき、ラウレンツはいつも市井に馬車を走らせた。
あの日も、ラウレンツは自分が手を入れている孤児院の様子を見に行ったのだ。
視察などというものではない。
ただ、自分の執務によって良くなった場所を見たい。そして、意味のある仕事をしているのだと実感したい。
そんな利己的な理由だった。
公爵領となったのは皇子であった頃から管理していた領地のため、ラウレンツは領民達から慕われている。
だから孤児院に行くと、いつも子供達は笑顔でやってきて、最近の出来事や薬草の成長を教えてくれる。
しかしその日は、いつもとは少し様子が違った。
「領主様、こんばんは!」
「こんばんは。神父様の言うことを聞いて良い子にしていた?」
「うん!」
「わたしもー。わたしも褒めてー!」
子供達の頭を撫でて、その純粋さに目を細める。
親を亡くしたり、何らかの理由で親に手放された子供達だが、皆良い子だ。
捻くれたところがある子供もいるが、衛生的な環境で、元気に育っている。
ラウレンツがしばらく子供達と話をしていると、神父が小走りでやってきた。
「領主様、ようこそいらっしゃいました。どうもお疲れ様でございます」
もう日が沈みかけた時間にやってきたから、仕事終わりに寄ったのだと思ったのだろう。神父はいつも通り穏やかな微笑みを浮かべている。
「ありがとう。今日は様子を見に来ただけだから、すぐに帰るよ。……それより、いつもより子供が少ないようだが」
ラウレンツは周囲を見渡して言った。
この時間、歳が上の子供達は料理を手伝っているが、まだそれ以外の子供達は遊んでいる筈だ。
一瞬迷った神父が口を開くよりも早く、空気を読まない子供達がラウレンツに答えをくれた。
「今日はお姉ちゃんがいるからだよ!」
「お姉ちゃんじゃないよ、『奥様』って言うんだよ」
「『奥様』?」
ラウレンツは首を傾げた。
どこかの家の女性が手伝いにでも出入りするようになったのか。
そう考えたところで、別の子供がまた話し出す。
「クラリッサ様だよー!」
その名前に、ラウレンツの心臓がどくんと鳴った。
異国から嫁いできた、自分の妻の名前だ。
ラウレンツの変化に気付かず、子供達は笑顔でクラリッサの話をする。
「お姉ちゃんの授業、すっごく面白いんだよ」
「わたし、文字が書けるようになったのー」
そう言った女の子が、ポシェットからノートを取り出してラウレンツに見せる。
そこには、子供らしく歪んだ文字で女の子自身の名前が書いてあった。
「そうか、上手に書けているね」
ラウレンツは女の子を褒めて、頭を撫でながら神父に問いかける。
「クラリッサはどこにいるの?」
「さっき薬草園に行くと言っておりましたから、まだいらっしゃるのかと」
「そうか、ありがとう」
ラウレンツは神父に礼を言って、建物の裏にある薬草園に向かった。
外に出て少し歩くと、少し高めの声が聞こえてくる。ラウレンツが聞いたことがないほど、柔らかく穏やかな声だった。
「これはサネカズラ。最近、実を取って乾燥させたのではない?」
「うん!」
「それは、咳止めの材料になるのよ。あとは──」
そこでは、クラリッサが二十人ほどの子供達に囲まれながら薬草について話をしていた。
子供達はノートと鉛筆を手に、話を聞きながら何かを書いているようだ。鉛筆の動きからして、絵と文字だろう。
クラリッサの表情はラウレンツがこれまでに見たことがないものだった。
幸せそうで、優しげで。
まるで木漏れ日のようなその姿は、ふわふわのドレスに身を包んでいた幼い頃のまま大人になったようだ。
「──今、私は何を」
ラウレンツは出て行くこともできず、そっと木の陰に身を隠した。
クラリッサは薬草に詳しいようで、それからも淀みなく子供達に説明をしていく。
決まった方法があるから子供だけで勝手に採ったりしないようにと注意を入れて、薬草園のどこに何が植えられているのかを中心に教えているようだ。
子供達は職員の指示で薬草を採りに来ることも多い。
きっとこれは、子供達が小さなおつかいを問題なくこなせるようにするための授業なのだろう。




