負けて勝つ
ルッキズムというものについて、私は割と幼い頃から考えてきた。
私を除いて、家族が美形だったからである。
一人だけなんか違うね、と笑われたり、同情されたりしたし、兄や姉とお近づきになりたい者に踏み台として接近してこられたりと、まぁそれなりに嫌な目に遭ってきた。
そのような環境で暮らすうちに出した結論が、どうしようもないな、ということだ。
醜いものよりも美しいものの方がいいというのは素直な感情で、しかし世に存在するすべてのものが美しいとは限らない。美しくないものとして生まれた場合に蔑まれていいのか? 無論、そんなことはない、のだけれど、理屈と現実は一致しない。いくら私がそんなのおかしいと叫んでも絶望しても憤りを感じても蔑む者は蔑む。それを仕方ないと受け入れてしまうのは問題かもしれないが、とはいえいつもいつも臨戦態勢ではいられない。まずは自分を守ることをしなければならない。だからこそ、そういったものに振り回されないように自分というものをしっかりと築いていく。自分を強くして、傷つかないようにする。それが一番堅実であると思った。
以来、私はそのようにして生きていたのだが。
「アランの妹がね、デビュタントを迎えるんだよ。その夜会で踊ってほしいと前々から言われていたんだけれど……」
「アランの妹? そういえば、一人だけ毛色が違う令嬢がいるんだったか? その子に追い掛け回されているから避けているのか」
「まぁね。彼の家は皆、容姿がいいから、私の悩みと共通するものがあって安らぎではあるのだが、彼女は例外で……いつもは左程気にならないのだけれど、デビュタントで私と踊っていい気分になろうとする感じがどうしても……」
「なるほど。それでアランの家に行かない代わりにサロンに来たってわけだね」
そう、ここはサロンだ。
伯爵家以上の者しか入れない。身元保証が必要な場所。
店内に入ると彼の姿を見かけたので挨拶をしておこうかと近寄ったら聞こえてきた会話だった。
彼も所謂ルッキズムについての被害者である。
彼の場合は自分の容姿の良さから、そのことばかりに言及されたりしてうんざりするという形での被害で私とはまた違うのだけれどざっくり被害は被害である。
そんな彼にとって私の家族は、セーフティーゾーンだった。同じような悩みを持ち分かり合える存在。ところがそこに異分子がいる。それが私。
(そんな風に思われていたのか)
たしかに、彼の言う通りデビュタントで踊ってほしいという会話はした。
デビュタントでは婚約者がいる場合は婚約者にエスコートをしてもらうが、そうでない者は身内にしてもらいファースト・ダンスを踊る。そのあとは、自由に踊るのだけれど、身内以外の男性からダンスを申し込まれるかどうかでその令嬢の評判がわかる。誰にも申し込まれないという状況を避けるために、事前にたとえば友人の兄などに頼んだりする。私もそうした。ただ、あと一人くらい踊ってもらえたらいいなと思っていたとき、兄が彼に頼んでくれた。頼むといっても「今度の夜会でデビューするから、踊ってやってくれよ」と軽い感じで、私も「踊ってもらえたら嬉しいな」と続けた。それが彼にはどうやら負担だったらしい。
私は、家族の中で一人だけ美しくないという理由で蔑まれることはあったが、幸いなことに家族からはそのような扱いを受けたことがなかった。また家族が親しくしている人たちも私のことをそういう扱いはしない。外見のことでいろいろ思うところがある人たちだったから、そういうことで態度を変える人は排除している。だから私は、家族が連れてくる人々を無条件に信じてしまっていた。
けれど、そうではなかった。
彼は私を疎んじている。彼にとって私は散々悩まされてきた外見にばかり注視する人々のカテゴリに入る。たとえば姉が彼に「髪型を変えましたのね。似合っています」と微笑むのと、私がそれをするのとでは受け止め方が違うのだ。彼にとって姉は自分と同じカテゴリだからその言葉に下心はないけれど、私は彼とは別のカテゴリだからその言葉に下心があると判断して不愉快になる。――そういう風に思われている。
彼の判断、価値観というものを知り、私は気づかずにいた自分が悲しかった。
だが、気づかせないようにと振る舞っていたのが彼なりの礼儀――無論、背後には私をないがしろにしたら私の家族が黙っていないし、そうなれば自分のセーフティーゾーンを失うという損得勘定もあったのだろうけれど――だったのだろう。
今日の、この偶然がなければ、ずっと知らなかった。
知らないでいられたら、悲しむことはなかったが、知ってしまった今、傷つきはしたがよかったと思う。このまま、一方的に親しく思っているよりは、きちんと適切な距離を取ることができるから。
(どうしようかな)
私は迷った。
今後の彼への態度については簡単に結論を出せたけれど、問題は、彼の本心を聞いてしまったことを告げるべきか否かである。
知らないふりをするというのが大人の対応なのかもしれない。けれど、私は彼の発言に幾分傷ついたし、それを自分の中でだけ収めるのは違う気がした。このまま黙っていては、彼が我が家を訪れるたびに、私は平気な顔をして挨拶をして、嫌がられないように距離を取る。どうして自分を嫌っている相手のために、私だけがひっそりと彼のためにそのような態度をとらなければならないのか。……かといって家族に泣きついて彼との関係を絶つようにと願うのも、結局それで負担に感じるのは兄ではないか。親しいと思っていた相手を非難するというのは嫌なものだ。
私はそのようなことを望んでいない。こんな形で陰口を言っている彼が負うべき責を、私や私の家族が負うことは違う。だから、
「ごきげんよう、クロード様」
声をかけると、彼らは固まった。
「ふふ、店内に入ったら兄のご友人であるクロード様をお見掛けして、礼儀としてご挨拶させていただこうと近づいてみたら、思いがけず興味深い内容を耳にしてしまって……聞いてしまったものをなかったことにはできませんので、ここで決着をつけておいた方がいいと判断して、こうしてご挨拶しました」
私は小さく咳払いをした。
「クロード様に嫌われているにもかかわらず、親し気な態度をとっていたことに関しては私の非です。申し訳ございません。今後は、相応の態度でご対応させていただきます。あと、これは私とクロード様との問題ですから、私から家族に何かを申したりもしませんのでご安心くださいませ。……私が申し上げたいのは以上ですが、クロード様から他に何かありますか?」
彼は気まずそうに黙った。代わりに彼と話をしていた令息が言った。
「こういう場合は、そっと離れて聞かなかったことにするというのがマナーではないかな」
部外者が、私を非難するのは見当違いというものだ。
「……聞かなかったことにして、どうするのです?」
私は言った。
「どうするとは?」
「そのままの意味です。あなたがおっしゃることを実行したとき、彼にとっては都合がいいでしょう。陰で悪口を言っていたことを本人に知られたという大変気まずい状況を回避できるのですから。けれど、私は? 彼が私を嫌っていることを聞かなかったことにしてこれまで通り親しげに振舞うなんてストレスにしかならないでしょう。いいえ、この人は私を嫌っているのにこの屋敷にくるためにこうして親し気なそぶりを見せるのね、とその事実にますますストレスをため込むでしょう。つまり、あなたがおっしゃるマナーというのは、彼にとってだけ都合がよいものでしかないのです。あなたは彼のお友達のようですから、お友達を庇いたいのは理解できますが、私にだけ犠牲を強要する内容をマナーだといい、さもそれができない私が愚かだという体でお話になるのは、いかがなものかしら?」
「なるほど……そのように言われてしまっては、返す言葉もないね。だが、現状についてはどうするつもりなのかな?」
私はわざとらしく肩をすくめてみせた。
返す言葉がないと言いながら、現状について私を責めようとするのだから呆れる。人に聞かれる可能性がある場所で陰口を言っていたからこのような現状になっているのだ。自分たちの行為を反省するべきだろうに。それに、
「何か勘違いされているのでは? ……私がこうして話しかけたのは、陰口を聞いて腹立ちまぎれに彼を非難しようとしていると。そうであるなら、それこそ私への侮蔑です。見くびらないでいただきたいですね。むしろ、現状について私は感謝されるべきなのですよ。だってそうでしょう? 私はこれをもっと大きな問題として家族に話すこともできたのです。陰で妹を笑い者にしていると知れば、兄は怒るでしょう。クロード様と兄の関係が破綻することもありえたのです。しかし、私はこうして直接彼にこの件を知ってしまったと告げ、私と彼の二人の問題として話し合って決着をつけようとしているのです。彼はこれまで通りに我が家に来られるし、嫌いな私は近寄らなくなると、結果として望んだ状況になる。私も、彼がどう思っているのかを知っていることを告げられてスッキリする。互いにとって一番よい落としどころではないのかしら?」
聞かなかったことにして私だけが我慢することはない。そうではない方法での解決策として、これがいちばん良い形であるように思う。言われたときに、その場で、きちんと決着をつけて、終わらせてしまう。そうでなければ、ずるずるいじいじといつまでも引きずってしまう。それはよくない。
「君は、もう少し可愛げというものを身に付けたほうがいい。せめてそれぐらいはなければ、その理屈っぽさはどうかと思うよ」
クロード様の友人は、鼻白んで言った。
彼の言う「せめてそれくらい」とは、容姿がよくないなら、せめて可愛げぐらいなければ救いがないよ、という意味である。
私は彼の発言を聞いて、自分が勝ってしまったことを悟った。
冷静に対応していたつもりだが、やはり感情的になっている部分があったのだ。正しさを振りかざして愚の音も出ないように追い詰めたとき、相手は羞恥から論点をすり替えて少しでも傷つけてやろうとしてくる。今、まさのそれである。この人は私を傷つけようとしてわざとこのような言葉を発した。
(やってしまったな)
私はこれまでもこのようなことをやらかしてきた。
理不尽に、私の容姿を貶める者たちに、正論を引っ提げて反論した。結果、だいたいがこういう、性格まで悪いなんて救いがないな、みたいなことを言い出してくる。初めて言われたときは、私はなんらおかしなことは言っていない、というより正しい主張をしているのに、どうしてそんな風に罵倒されるのかわからずに悔しくて泣いたものだ。だが、何度も経験しているうちに、勝ってしまったことで、それを認めたくない者がこうして全然理屈に合わないことを言うのだと理解した。
そして、たぶんこの人は、自分が理屈に合わないことを言っているとさえもわかっていないだろう。
私が傷つくだろうことを故意に選んで言葉にしているだけで、だから、私に可愛げがあるかないかということと、あなたが短慮に一方の都合がいいことをマナーと言ったことと何か関係があるのかしら? などとまた正論で返しても火に油を注ぎ恨みをますだけである。彼は私が傷ついて、恥をかいた分の憂さ晴らしをしたいのだから、こういうときは負けるに限る。
私は黙った。傷ついて、何も言い返せずにいるという風に。
すると、彼は一瞬だけ嫌な笑みを浮かべて、それからさも私を気遣っているといいたげな態度で、
「まぁ、君もまだ若いから仕方ないね。これからは気を付けなよ」
というと、クロードを引きつれて出て行ってしまった。
私は彼らを見送って、ほっとした。これで恨みは買わなかっただろう。たぶん。きっと彼は生意気な女を言い負かせてやったと吹聴し、私の悪評がまた広まるかもしれないが、逆恨みされて直接的な悪意をぶつけてこられるよりはよい。
それにしたって――――――
「なんて憐れなの」
どきりとした。それは私が彼に対して抱いた感想だったからだが。
振り返るとそこには美しい女性が立っていた。
「えっと、あの……」
「あなたのことではなくて今去っていた者たちのことよ」
「ええ、もちろんそれは。私を憐れと思っていらっしゃったなら、言葉にはなさらなかったでしょうから」
私が答えると彼女は笑みを深めた。
初対面の人間に、憐れなどと吐き捨てるような無粋な真似をするようには見えない。私の言った意味を正確に受け取ってくれたのだろう。
「わたくしは、マリーローゼ・ポートガスと申します」
ポートガスとは公爵家である。
高貴そうな方だと一目見て思ったが、まさか公爵家の方だったとは。私も名乗りながら、緊張していくのがわかった。
「見る者が見れば、一連のやりとりの真実はきちんとわかります。もし今後、あなたについてよからぬ噂が流れるようなことがあれば、わたくしが力になってさしあげますから、安心してよろしくてよ」
本当は一緒にお茶でもと思ったのだけれど、と言いながら彼女はチラリと後ろに視線を流した。そこには私が一緒に来ていた友人が心配そうに見ていた。ちょっと挨拶してくるからと席を離れてきていたのだ。
「今度の夜会は我が家で行うので無粋な真似はさせませんから、いらぬ心配はせずに楽しみにしていらっしゃい」
彼女はそう言うと去っていった。
(カッコイイ)
私は緊張とは別に鼓動が高鳴っていくのを感じていた。
おそらく、彼らとのやりとりで最後に私が黙ったのを見てやり込められたと思う者だっていただろう。だけど彼女はわかっていると言ってくれた。私が言い返せなかったのではなくて、言い返さなかったこと。言い返さないことで何を得ようとしたのか――それがとても嬉しかった。
(私も彼女のようになりたい)
嫌な目には遭ったけれど、そのおかげ――とはいえ彼らに感謝などしたくはないが――で、あんなに素敵な人と知り合えたのだから、プラスマイナスゼロどころかプラスである。
私はひとまず心配している友人の元へ戻りながら、マリーローゼ様、と尊き方の名前をつぶやいてにやにやするのだった。
読んでくださりありがとうございました。
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