表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
斬術士  作者: 実茂 譲
1.扇
5/51

 ウィンストン・ボノーはこの二か月で政府系施設を二つ襲撃し、多数の死傷者を出した。ボノーのテロ組織が掲げる大義名分はイリーガリズムと呼ばれるもので、あらゆる法や戒律、規律を破壊すれば人は今よりもマシな存在に生まれ変われるというものだった。そんなものが眉唾なのは第七地区の住人を見れば分かることだが、ボノーはタフな革命家として自分の主義に固執した。ボノーには知性があった。知性のある人間はナントカイズムのために自分の全てを賭けることができるのだ。

 その点では扇は知性が皆無だった。これまで殺害した人間のなかでイデオロギーのために殺した人間はいない。任務がなんらかのイデオロギーと結びついていたとしても、扇にそれが知らされることはなかったし、これからもないだろう。

 第七地区のサウス・クランベイクにある駐車場の地下五十階にボノーの根城があった。パーキング・スペースの半分はタイヤが溶ける強酸性の汚染水に浸っていて、吐き気のするにおいが漂っていた。ファイルにはボノーたちはときどき警官をさらって殺し、耳をトロフィーとして切り取ると、残りを汚染水で溶かしていると記載されていた。隣のフロアでは重低音のビートが鳴り続けていた。そこはボノーに心酔するイリーガリストのレイヴの最中だった。盗難車の荷台に積まれたサウンド・システムが発生させる音はヘビー級ボクサーのパンチに匹敵する衝撃があった。覚醒剤ダイスや電子ドラッグでハイになったうっかりものがアンプの前に立てば、軽く十メートルは吹っ飛ばされた。

 ターゲットは音響コンソールのそばにいた。飲み途中のビールが一本、マリファナの濃厚な煙を上げる吸引具ボングが一つ。ボノーと目が合った。スキンヘッドで顔じゅうに金属探知機が反応するくらいのピアスやリングをつけている。ボノーも場数を踏んだテロリストだったので分かった。自分が目を合わせているのが死そのものを司る存在なのだ。大音量のなかで踊っていた男女が異変に気づいた。その場で踊っていないのは扇だけだった。音が止まり、三十人のイリーガリストが銃のスライドを引く音がいっせいに鳴った。

「このリーガル・サスペンス野郎、どこから来た?」髪の生え際から上唇まで防弾プラスチックを移植したテロリストがマグナム銃を突きつけた。「おい、召喚状はどこにある? 持ってきてんだろ?」

「待てよ、チャッキー・ボーイ。すぐに殺すんじゃねえ。いろいろ試してえドラッグがある」

「エントリーナンバー28を打ってみようぜ。前にあれを打ったサツは目ん玉が破裂したぜ」

「おい、見ろ。こりゃなんだ? サムライ・ブレードか? ――って、あれ? 野郎、消えちまったぞ」

 扇は三十人の怒れるイリーガリストの真ん中からフロア左端のパイプの上に瞬間移動していた。そして、刀がパチンと音を立てて納刀されると、イリーガリストの頭や頸、胸からドラッグに汚染された血が噴き出し、折り重なるように倒れていった。扇の立っていた場所には血を拭うのに使った懐紙が一枚落ちていた。

 ボノーはすぐ背後にある地上階直通エレベーターへ飛び込んだ。側近らしい男もエレベーターへ走ったが、彼を乗せる前にボノーは扉を閉じた。

「ボノー! おい、待ってくれよ!」と転がる生首が叫ぶ。体のほうはエレベーターのドアにもたれながらずるずるとくずおれた。扇は非常用階段をわずか二秒で上った。摩擦はごく最小限に抑えられ、最後のほうでは宇宙空間とこすれる青い風のようなハッとするほど美しい螺旋を描いていた。扇が地上に到達したとき、階段室の上にはめ込まれていた非常階段を示すディスプレイが吹き飛んだ。ボノーの運転するリバイバル・デザインの軍用タクティカルオープン・カーは料金支払い用端末にぶつかって、駐車場から飛び出した。

 扇はブーストをつかって、ボノーを追いかけた。ハイウェイは漢字が輝くネオンの谷間を流れていた。どの車も時速百キロを出していたが、扇は常人の目に留まらぬスピードで車の屋根から屋根へと飛び移って、ボノーのオープン・カーと距離を縮めていった。あまりに速いので扇が飛び乗った車の屋根には残像が現れたが、その青い影はちょうど着地して片膝をつき、いつでも逆手持ちで抜刀できるように右の手のひらを反して、指を柄のそばで軽く曲げていた。扇が車の上に飛び乗ると、人をひき潰したのとそっくりな震動がして、運転手たちの肝を冷やした。だが、ハイウェイに生身の人間が歩いているのはおかしいし、それに二十年前、ハイウェイを歩く生身の人間をはねても運転者は責任を問われないという法律が制定されていたから、運転手たちはすぐに心の平安を取戻すことができた。

 運転手と反比例する形でボノーの精神は追いつめられていった。バックミラーに映った扇の残像がだんだん近づいてきた。自分に差し向けられたのは並みの殺し屋ではなかった。政府が秘密の研究所でつくったに違いない。自分を始末するためにそんなやつを使うハメになるまで政府を追い詰めたことをイリーガリストとして誇るべきか怯えるべきか、ボノーの判断は二つに割れた。明日の日の出が拝めるかはボノー自身の運転技術と殺し屋のスタミナ次第だった(常識で考えれば、あんな移動を無制限にできるはずはなかった)。ひょっとすると、空気との摩擦熱が蓄積して突然蝋燭のように頭がメラメラ燃え出すことだってあるかもしれない。

 扇がついにボノーの自動車に追いついた。車の全長の半分を占めるボンネットに膝を曲げて着地すると、刀がエンジンに突き立てられた。小さな爆発があって、ボンネットが吹き飛び、世界はボノーの上で三度回転した。ボノーが意識を取り戻したとき、見えたのは燃えるハイウェイを背に立つ扇の姿だった。イリーガリストのリーダーの顔は血まみれだった。車から放り出されたとき、全てのピアスが顔の肉をちぎりながら飛び散ったからだ。くそっ、おれはここで死ぬのか? ボノーには納得がいかなかった。ハイウェイは百メートルにわたって横転したトラックや燃えるスポーツ・カーが散らばっていた。まさにテロ活動と言ってよく、まさに無法イリーガルだった。そのイリーガルな青年がボノーを殺すのだ。

「こんなのおかしいだろ!」

「……」

「てめえはおれと同じだ。イリーガルな存在なんだよ!」

「……」

「政府の犬が。お前はいずれ捨てられる。それが政府のやり方だからだ!」

「……」

「だが、おれは違うぜ。仲間を見捨てたりはしねえ。おれたちは手を組める」

「……」

 扇は右手に下げていた刀をまっすぐボノーに向けた。銃殺隊の前に立たされた反乱軍大佐が感じる時間の圧縮をボノーも感じた。扇が刃をくるりとまわして、滑らかな動きで刀を鞘におさめると、時間はまた正確に流れ出した。一秒は一秒で一年ではない。

 ボノーはホッとした。そして、握手の手を差し出すかわりにスイス製オートマティックを抜いて撃った。扇の顔を吹き飛ばすはずの九ミリパラベラム弾は射出した軌道とまったく同じ軌道上を逆方向に跳ね返った。弾はトリガーガードの下をかすってグリップを削って手のひらから腕に入ると、骨を真っ二つに裂きながら腕のなかを通って肋骨を破り、心臓にめり込んだ。

 扇は人差し指の分だけ抜いた刀を鞘に戻すと、携帯電話を取り出して、いつもの番号にかけた。

「終わった」

「回収チームを送ります。現在地を」

「フリーウェイ43。ラサデナ出口の三百メートル手前だ」

「了解しました。それと、次はもっと目立たないように」

「努力はする」

 電話を切るとポケットに手を突っ込んで、虚空を掻いた。

 煙草を切らしていることを思い出し、扇は初めて、今回のミッションで感情を露わにした――小さな舌打ち。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ