パッケージ
銀行というのはどこにあっても資本主義の神殿としての体裁を整えるもので、それは第七地区にあっても変わらなかった。来訪者のほとんどは口座をつくるより強盗しにくる手合いだったが、模造大理石と大きな一枚ガラス、各コロニー紙幣の価値の推移を映すホログラム、サブマシンガンを持った警備員、そして建材に埋め込まれた金属探知機が完備されていた。銃砲店からやってきた扇とブッチは高性能センサーで案の定危険人物として認識されたが、すぐ認証カメラが二人の顔のデータを取り込んで、そこから預金残高を検索した。その結果、百二十万クレジットを預金している扇は通ることを許され、フェイク・レザーの裾からアロハシャツを覗かせたブッチは三・六五クレジットしか預けていなかったため、追い出しドローンに小突かれながら外に出された。
「どうせおれは資本主義制度の負け犬さ」ブッチは車のキーをまわしながらふてくされた。ブッチが行ってしまうと扇はこの上ない不安を覚えた。銀行員というのは恐ろしい生き物なのだ。スプレーで固めた七三分けの男たちが扇のような経済音痴に向かって、コロニー債券への投機だの長期プライム型金融商品だのクレジット・デフォルト・スワップだのと死の呪文を唱えてくる。銀行員たちは扇が金銭に対してガツガツしていないのにかなり頻繁に五万クレジットがそのチップに振り込まれていることを知っていた。銀行員たちは扇が犯罪組織の資金洗浄に手を貸していると信じていたので、個人的に甘い汁を少し吸わせてくれれば、三億クレジットのドラッグ・マネーをポテトチップス製造業で稼いだように見せかけることができることを暗に伝えようとした。悪い銀行員たちは扇に意味深なウインクをしたりして自分は知っているけど警戒しなくてもいいんですよと心に訴えかけた。扇には銀行員たちが経済音痴な自分に腹を立て、片目がぴくぴくしているように見えていたのだが(キャッシュ・ディスペンサーを使う手もあったが、カードを飲み込まれて返ってこなかったことがあって、それ以来使っていない)。
ようやく五万クレジットがきちんと振り込まれていることを確認すると、扇はハアハアと苦しげに息をしながら、額の汗を拭った。鶏牌香烟を吸おうとするが、手が震えてライターを落としかけた。五万クレジット分の暗殺をするよりも、その五万クレジットが支払われているかを確認するほうが多大な困難が伴った。だが、銀行を一歩出れば、そこは第七地区である。すぐにポン引きと売人の姿が目につき、悪徳警官が駐車違反者から賄賂を巻き上げている。
イヤホンでワシントン・ルイスをききながら石組みの高架線沿いに商店街を歩いた。路上カフェや質屋に混じって、鋳鉄製の野戦炊事車がチリ・オイルで養殖フエダイを揚げていた。すると、耳にひと月続いた長雨の音が蘇った。かがまないと動けない小さな祠のなか、朱色のローブをまとった僧侶が倒れている。砕けた石のマスクから脳漿が飛び散っていた。扇はたったいま、僧侶を撃った銃をレッグ・ホルスターにしまうと、僧侶の全財産が入った袋を取り上げて、中身を石畳にあけた。読み古された経典、髪を剃るためのカミソリ、小さな鍋と豆が入った袋。これが全部だった。ゲリラの指令書も扇動的なパンフレットもなかった。
「どうだった?」祠の入り口で座っていた寿がたずねる。
「パッケージはなかった」
「ゲリラとのつながりは?」
「確認した限り、存在しない」
「ふうん。また情報部が下手を打ったわけだ」
「……」
扇も祠の入り口の石の柱に背ももたれさせて座ると、ジッポー・ライターで鶏牌香烟をつけて、カセットテープを再生させた。
「一緒にきいてもいい?」
「ああ」
寿は扇のすぐ隣に座り、イヤホンの一つを受け取って自分の耳につけた。
ジャングルを打つ雨のなかににおいがする。朽ち果てる老木と貪欲に成長する若い樹はどちらも甘ったるい腐臭を漂わせていた。空間は僧侶が面倒を見ていた小さな畑の分だけあって、そこから先は密集した植物が壁となりスペースを貪り食っていた。気象予報によれば、あと数十分でこの長雨は止むはずだった。雨が止めば、また作戦行動が始まり、戦闘は激化していく。どれだけ激しくなるかは統合参謀本部の将軍たちの功名心に左右された。そして、たいていは最も激しい戦闘が行われる。功名心は不滅だった。袖の金線や肩の星を増やすために別の誰かに犠牲を押しつけるゲームが流行っていた。前線の指揮官たちは勲章と引き換えに発狂し、軍隊でもっともポピュラーな階級である一等兵たちは戦闘用ドラッグで世界を薔薇色に変えた後、手榴弾で自爆した。
「いい曲だね」
「ああ」
「なんてミュージシャン?」
「ワシントン・ルイス」
「ルイス・ワシントンじゃなくて?」
「ワシントン・ルイス」
「ふうん。まあ、いいけど。おれたちには分からないルールがあるんだろうね」
「おれたちには名前がない」
「コードネームだけだ。でもさ、ラスト・ネームがあったら、どんなのがいい?」
「さあな。考えたこともない」
「カッツォ。マリコン。プータなんてどうだろ?」
「それぞれが男性器、性的転換者、売春婦を意味している」
「そうなの? じゃあ、アハーンやクローニンは?」
「日本語で考えると、かなり癖が強くなる名前だ」
「キミ、名前に詳しいね」
「たまたま知っていただけだ」
「どの言語から見ても完璧にきこえる名前ってないものなのかな?」
扇は黙って肩をすくめた。
「軍がおれたちに名前をくれればいいのに」
「なんのために?」
「ご褒美」
「そんなものは存在しない」
「だとすると、おれたちはなんのために人を殺してるんだろう?」
「おれたちはミッションを遂行するために存在する」
「それだけ?」
「ああ。それだけだ」
「分からないなあ。おれたちに名前を与えることがミッションを完遂させることの邪魔になるとは思えないんだけど」
「おれたちの考えることじゃない」
「そうか。まあ、キミがそう言うなら、それで間違いないんだろうね」
「……」
「もうじき雨が上がるね」
「ああ」
「雨が上がれば――」
雨が止むと同時にアサルトライフルの連射が始まった。扇と寿はそれぞれ左右に飛び分かれて、ジャングルに飛び込むと。腐敗した老木のなかから銃火が吐き出された。扇は老木ごとなかのゲリラを斬り捨てた。ブーストをかけると、七・六二ミリ弾が鬱蒼と茂るシダのなかを器用に進んでくるのが見えた。摩擦が減少し、扇は時間が鼓動するジャングルを透過していった。刀を抜き、納刀するまでの〇・六秒のあいだに四人のゲリラの首が刎ね飛んだ。目の前に古いカービン銃を構えた少年兵が現れた。黒いローブのような服は大きすぎてあちこち結んで体からずり下がらないようにしていた。少年兵は撃つのではなく、折り畳み式の銃剣で突こうとした。扇は飛び違いざま、かつぐようにして胴を薙いだ。あまりにも高速で切られたので胴の傷はぴたりと閉じたまま、少年兵は口から血を吐き倒れた。痙攣しながら何度も血を吐き、動きが止まると一足遅れで胴の斬られた部分が大きく口を開け、内臓が流れ出した。
「終わった?」
「ああ」
振り向くと寿が少し困ったように表情を緩めていた。その後ろにはゲリラが全員両断されて倒れている。
太陽の光が叢林の王冠を貫いて、地上へ漏れ出した。寿の白い髪と僧侶の畑がこの世界で唯一輝く価値を与えられたように静かに光を纏い、扇の目を眩ませた。
目を開けると、そこは高架線沿いの商店街だった。野戦炊事車の持ち主で左腕のない男が胸につけた従軍メダルを揺らしながら、魚と豆腐をフライにしている。
「その腕は戦争で?」フエダイのフライを頼んで席につくと、扇がたずねた。
「六八年、パープル・ラウンド・トップだ。従軍してたのか?」
「ああ」
「目を見りゃわかる。兄ちゃんの齢だと、最後のほうか? まあ、ひどい時期だ。平和主義者とかいう甘ったれた学生どもに人でなし扱いされた口だろ?」
「ああ」
「平和主義者のジレンマだ。学生どもが暢気に平和を唱えていられるのは、おれたちがやつらの代わりに奴人どもをぶち殺してるからだ。もし、おれたちが奴人殺しをやめれば、奴人どもはコロニーのなかにやってきて、平和主義者どもを皆殺しにするだろうよ。なにせ、金持ちの学生どもほどグローバル社会で恩恵を受けてるやつらはいないからだ。学生どもにとって平和はファッションに過ぎない。だが、おれたち兵士にとっては、平和は誰かを殺してでも手に入れたい楽園だった。あの時代、マジで平和ってもんを考えたのはおれたちだけだった。それが災難の始まりだ」
「災難?」
「上の連中は下のおれたちになにもかもおっかぶせて逃げやがった。紙吹雪とホログラムの凱旋パレードをやれとは言わねえ。ただ、狙撃される心配をしねえでビールを一杯楽しませてくれる場所をちょっとくれればよかった。だが、帰ってきて真っ先にきいたのは罵声だった」
「……」
「あの戦争で不思議だったのは奴人に負けたことじゃねえ。おれたちがまわれ右して、学生どもと政府のお偉方を蜂の巣にしなかったことだ。それが勝利への一番の近道だったのにな。奴人どもは戦士だった。学生や政治家は奴人って呼び方もやめろって言いやがる。差別的なんだとよ。だが、奴人は奴人だ。実際、やつらは奴隷として生きるってことがどういうことかよく分かってた。そいつは手ですくいとれるくらい近くにあった。だから、やつらは戦えた。奴隷とはなにかを知り尽くしていた奴人どもは卑しい奴隷の生き様を見せないためにどう生きればいいか知っていた。セレブな学生やお偉い連中はそれが分からねえ。自分は立派な人間だと信じ込んで他の人間を奴隷の泥沼のなかに踏んづけてやがるのによ。それで平和を叫び、おれたちを化け物呼ばわりよ。おれたちは手榴弾を投げる相手を間違えた」
「……カンパニーについてきいたことはあるか?」
「カンパニーにまつわる噂はそれこそ星の数ほどあった。実際、見たことがある。ありゃ死人だな。顔を見りゃわかる。おれが見かけたカンパニーのなかで二十より歳が上のやつは一人もいなかった。兄ちゃんみたいにサムライ・ブレードを持ってて、でも、兄ちゃんはカンパニーじゃない。だろ? カンパニーはもうみな死んでるんだから。ほら、フエダイのフライだ。熱いうちに食べな」
扇が電子チップを決済装置に近づけると、調理人は大きな手で読み取り部を覆った。
「おごりだ、兄ちゃん」
「そんな余裕がある商売には見えない」
「その通りだ。その通りだが――なあ、兄ちゃん、おれたちはみなあの戦争でなにかを失った。おれが失ったのは左腕だった。それは戦場に埋めてある。兄ちゃんのなくしもの、見つかるといいな」




