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自由と不自由
自由なのは空想している瞬間だけだ
誰もが形にしようと構え行動し
その空想に近づこうとするが
その時には型が決まっているから
ゆらゆらと
バランスを取る遊びはあっても
白紙が広がるような自由は無い
僕等は不自由になったものしか
確認することができない
誰かが固めた物体を
誰かが良いと言ったものを
誰かが重要だと決めたものを
確認してから、触れる、読む
学び理解する
自由な頭に不自由なものを入れるから
子供頃は勉強が嫌いになり
不自由な頭に不自由なものを入れるから
大人になって
勉強しておけば良かったと述べるのだ
今なら分かるのは
意識としての頭の準備が出来たからで
身体の成長という名の頭の準備とは
悲しいかな、チグハグである
頭の中にしか自由は無く
現実世界の行動は
モジュール付きの制限がかかる
倫理観や道徳心の海と
正義と悪の太陽と月
全てを溶かす溶液の中で混ぜられ
綺麗な灰色になっている
その中は混沌であり
幾分かに分けられた自由の紙を貰える
使う時だけ感じる自由さを
自由と呼ぶのは烏滸がましいことだ




