019 痛覚征服者
「不思議だ。」
どうして君は泣いているんだろうか。どうして君は慄いているんだろうか。ただ、君を押して、君の擦り切れただけじゃないか。それをどうして泣くんだ?
目の前の少女はすすり泣く。何も出来ない無力な自分に泣いているのだろう。
「ひ、酷いよ~。」
「?」
「う、うえぇええええん。」
……不思議だ。この少女は、この生物は何故泣いている?擦り切れた膝の痛みなど大したことではなく、放っておけば消えてなくなる程度のものじゃないか。
それを大袈裟に泣きわめき、周りに助けを求める。そんな事では自分の足で立つことさえままならない、か弱い生き物みたいではないか。
これが、同じ人間か?救ってやらないといけないのか?
「大丈夫?」
「……え?」
どうして呆然としているんだ?よく分からない。君は誰かに手を差し伸べてほしいのではないのか?誰かに救って欲しいわけではないのか?
なら、何故泣く?なぜ戸惑っている?何故、そうも理解が出来ない生き方をする?
「……?誰かに手を差し伸べてほしいわけではないのか?」
「い、意味が分からないよ~。」
「……君は会話も出来ないのか?」
どうしてだ。どうしてなんだ。なぜ、こんなか弱い生物が存在するんだ。現状を理解することを放棄して、現状を変えることを拒む。君は何をしたいんだ?
あぁ、どこまでいっても理解が出来そうにない。
「だって、押したの倉木くんじゃん。」
「……?そうだね。」
「ひっ……もう、訳が分からないよ~。」
この生物は事実を確かめて何がしたいのだろうか。何を分かり切ったことを。僕が押して、君が傷ついた。それだけでしょ?それを泣いて何か事実が変わるのだろうか。僕には全くもって分からない。
訳が分からないと叫びたいのはこちらの方だ。なぜ、こうも話が通じない。なぜ、こうも話を進めようとしない。
ただ、現状を守るために泣いているのか?何がしたいのか分からない。
「不思議だ。」
どうして君は顔を引きつらせている?どうして君は身体を震わせている?ただ、君の身体を斬りつけただけじゃないか。それで、どうして何もせずに現状を甘んじて受け入れるんだ?
目の前の少女は恐怖に身を竦める。何も出来ない自分を恥じているのだろう。
「どうして、こんなことするの?」
「?」
「こ、答えてよ!!」
……不思議だ。何故、君はそんなことを聞くのだろう?それを聞いたところで何かが変わるのだろうか?何も変わらない問いに何の価値があるのだろうか?
大袈裟に騒ぎ立て、威嚇でもすれば状況が改善するとでも思っているのだろうか?それとも、君は理解し合えば解決するなどと思っているのだろうか?
何一つ変わらない現実が横たわっているだけじゃないか。それをどうして、君は問いかけるんだい?
「何を怒っている?何を恐れている?何故、そんな理由を聞く?聞いても何も変わらないだろ。」
「……え?」
目の前の生物はちっとも変ってはいない。どうして呆然としているんだ?よく分からない。ただの事実の確認に何か意味があるのか?君は命の危機でも問いただせば変わるとでも思っているのだろうか?
君という生物がやはり不可思議で、なんとも面白い。理解が出来ないものだからこそ、楽しめる。
「ははは。」
「ひっ……もう、やめて。私達、関係ないでしょ。」
「ん?君は一生離さないよ。か弱い生物だからね。救ってあげなくちゃ。そのためにはまず、君という生物を知らないとね。」
君の顔を覆う絶望という色はより深くなった。でも、君はここから逃げようとはしない。何故か、現状を変える努力を放棄して、ただ何かが変わることを祈っている。よく分からないな。
やはり、僕が君のことを救ってあげなくちゃ。
「不思議だ。」
君はやはり逃げない。君は恐怖に身を竦めても、絶望に顔を彩られても、それでもなおここにいる。現状を打破するつもりがない。ただ、盲目と救いが来るのを願っている。
分からない。分からない。それでも、君は愛おしい、可哀そうで、か弱い生物だ。
「……。」
「ははは、おいで。」
「はい。」
君は僕へ疑問を出さなくなった。君は僕に恐怖を抱かなくなった。いや、正しくは表に出さないように頑張っていた。細部に出る震えが、彼女の心を映す鏡のように動いているだけだった。
君はやはり現状を変えずに、甘んじて受け入れるんだね。どこまでいってもか弱く、意志のない生物だ。順従で可愛い可愛い君。
顎を撫でれば震えながらも頬を手にこすり付け、頭を撫でれば君は僕に抱き着いてくる。身体を震わせながら。
「幸せ?」
「はい。幸せです。」
ははは、嘘ばっかり。でも、順従になるしかなく、そして君は僕を受け入れるしかない。だって、それ以外に君がこの世界で生きていく術を知らないだろうから。
か弱い生物なりの生存術なのだろう。
最近分かってきた。この生物は何かに依存することでしか生き永らえない、可哀そうで、可愛くて、愛おしい生物であることが。
「理解した。」
「……?」
この時、僕は突然に理解した。この生物はきっと、痛みという確かな絆とそれを与えてくれる僕という存在に依存することで、生きているということを。
だって、そうでもないとおかしい。逃げない。居なくならない。他のか弱い生物はいなくなったのに。
痛みは確かな絆なのだろう。それを与えることで安らぎを得るのだろう。そして、それがそのまま僕と君の関係になる。
「“痛覚征服者”。」
君の身体の傷が一斉に開き、君はその場にのたうち回った。声にならない声をあげて、君はその場でぐるぐると。
痛みが支配に、痛みは安らぎに、痛みは絆に。きっとこれがか弱い生物との生きる道なんだろう。
かくしてなった。“痛覚征服者”。その狂器が。




