死人英雄の吸愛
「動かないでくださいッ」
イオンはユーノスの寝室に飛び込むと同時に、雷駆を構えて勇ましく吠えた。
舐められてはならない、毅然な態度で立ち向かうことで、相手を怯ませて見せるつもりだった。
――が、窓辺に立つ、人影は月明りを背にして立っているせいか、その表情ははっきりと見えず、相手がどういう反応をしているのか、掴み切れない。
分かるのは、想像以上に、悠然と、その侵入者は立っていた。
まるで、ここは自分の部屋で、ノックもせずに何事だ、と言っているような立ち姿だった。
そのシルエットで、それなりの長身だと分かる。スレンダーな身体をしているが、男性で間違いないだろう。見たところ、武器のようなものも持っていない。強盗にしては雰囲気が奇妙だと、イオンは感じ取った。
「名を名乗りなさい」
「……ブルックランズ」
「ブルックランズ……?」
いつか、どこかで耳にした名前だった。どこで聞いたのだろう。とても昔、誰かからその名を聞いた気もする。
脳裏に引っかかった何かに、イオンは少しだけ気を逸らしてしまいそうになったが、名前なんて今はどうでもいい。相手の男の身柄を押さえ、衛兵に突き出すだけなのだから。
「どういうつもりでここに入り込んだのかは知りませんが、ここは何人たりとも立ち入ることは許されていません。大人しくしなさい」
動くな、と強い眼光で牽制してみせたつもりだったが、あろうことか、相手は一歩、イオンに向かって踏み出して来た。
「動かないでと言いました!」
雷駆を突き付け、イオンは、もう一度、鋭く言い放つ。それでブルックランズと名乗った男は、ぴたりと静止した。月明りを逆光にするその男の表情はやはり見えなかったが、彼の長い髪が月明りすら吸い込んでしまうような漆黒であることは分かった。
恐らくだが、若い。雰囲気が、青年であると窺わせる。
「話を、させてくれ」
「……何を話すことがあるというのですか?」
「この一年間のことを」
落ち着いた低い声で、男は口を動かす。その口調、声――。イオンは、似ている、と感じてしまっていた。
相手の男の声が、ユーノスにそっくりなのだ。
だが、ユーノスは光となって消え去った。神に成るというのはああいう事をいうのだろう。ユーノスは遠い神々の世界からいつもイオンを見守ってくれているのだと思っていた。
だから、この現世で彼とは再会などできない。イオンは、そう考えるようにしていた。
そうしなくては、孤独が自分を潰してしまうと知っていたからだ。
この島の隅々まで探し回り、島の外へも充てもなく、ユーノスの姿を探したりして見た。
ユーノスが、自分に与えてくれた思い出を、生きるための糧にして。それこそ、愛情で動いていた死人英雄のように――。
相手の男にユーノスを重ねてしまうようになっているのは、自分がまだまだ彼を求めてやまないためだろうか。
どれだけ、彼はもういないと言い聞かせても、イオンは、街の片隅に思わずを目を凝らしてしまう。
あの、特徴的な石竹色の髪が陰に塗れていないか、と。
イオンが、何も言わずにいると、相手はそれをどのように受け取ったのかも分からないが、つらつらと言葉を紡ぎ始めた。
「自分がどうして生きてるのか、分からずに、彷徨っていた。ただ、誰かに会わなくてはならないと、捜し続けていたんだ」
「ここには私しか住んでいません。私は……あなたなんて知りません。ここに人探しに来たというのであれば、見当違いです」
ここには、イオンと、ユーノスたちの記憶の欠片が残っているだけだ。
そんな場所を誰かに踏み入って欲しくない。イオンは頑として相手の男を追いだす気持ちで固まっていた。
「いいや……、ここで間違いなかった」
ブルックランズは、また一歩、イオンに近づいて来た。
イオンは、動くなと、今度こそ忠告を強くして雷駆を振ろうとした時だ――。
月明りが揺らめき、陰に隠れた男の顔が、照らされた。
イオンは、目を見開き、呼吸すら、忘れてしまったように、動けなくなった。
月明りが照らしたその男の肌は、健康的に日焼けをした青年のもので、たくましい生命力を宿している。
そして、そんな彼の美麗なかんばせは、瓜二つだった。
髪の色と、瞳の色。肌の色以外は――。
ユーノス・インシグニアの顔だった。
「ユーノス……?」
信じられなかった。これは幻だろうとイオンは自分を疑った。ユーノスを求めるばかりに、入りこんできた青年に、彼を重ねてしまっただけだと。
だが――。
「記憶を、君に預けていたんだ」
ブルックランズは、また一歩、寄って来た。
その声は、暖かく優しい。彼の、しゃべり方にあまりにも、似ている。
「違う……だって、ユーノスは……」
心が怯えていた。ユーノスと再会をしたいと何度も願っていたのに、なぜか怖くて否定した。
ユーノスは、天空から見守り続ける神となっているのだから、イオンはそう覚悟して生きていくと決めたのに。
期待を、させないで。もう、ユーノスには逢えないと、割り切ったから生きていけるのに。彼に逢えるだなんて、期待をして、もう一度裏切られたら、イオンは今度こそ立ち上がれなくなる。
それが怖かった。
「一年間、私は記憶を失って、各地を彷徨っていた。覚えていたのは自分の名前だけ。そして、この指輪が唯一の手掛かりだった」
小さな指輪が、彼の小指に収まっていた。暗い部屋の中でも、イオンはそれを見て、すぐに分かってしまった。
自分が身に着けている、『生命の樹』を象ったリング――。これを持っているものだけが、この島へ渡船を許される。
「うそ……うそでしょ……? だって、ユーノスは嘘つきだった! 独りにしないって言ったのに! あの人は、逝ってしまった!」
「仕方なかったんだ」
「どうしてっ」
イオンの身体から、きらきらとした光の粒があふれ出した。だが、イオンは現実が怖くて、顔を背けて瞳を閉じる。
もう、雷駆を構えていられなかった。
イオンは、震えて怯え、手にしていたその武器の切っ先を下ろしてしまう。瞳を閉じて、ブルックランズの声を聞けば、聞く程、彼の声がユーノスと同じだと感じられてしまったのだ。
「イオンと、同じときを生きたかった」
声がゆっくりと、近づいてくる。
イオンは、それでも顔を上げられない。瞼を開けない。震えが止まらない。熱いものが喉の奥をきゅう、と閉めてくるみたいだった。嗚咽が溢れてしまいそうだ。
きつく閉じた目尻から、雫が零れてしまうのも、止められない。
「だから、願ったんだ」
「願った……?」
「神としてのユーノスではなく、人としてイオンの傍に居続けたいと」
そっと、ブルックランズの手が、イオンの雷駆を握る手に添えられて、ゆっくりと、下ろされる。そして、雷駆をイオンから優しく受け取り、床へと静かに横たえた。
「あなたは、ユーノスさまじゃない……」
「……そうだ。神であるユーノスは、人として生きる器として、私を生んだ。私が、ユーノスにもどるために、希望を預けた恋人を見付けなくてはならなかった」
「希望……」
「『愛』だと、彼は言っていた」
――イオンは、彼の言葉を聞きながら、思い出していた。
ブルックランズの名前をどこで聞いたのか。この屋敷に初めて訪れた時、セドリックがこの屋敷のことを『ブルックランズの屋敷』と紹介したのだった。
「ブルックランズとはどなたなのですか?」
「ユーノス・インシグニアは、英雄としての名前だ。彼が両親から貰った名前は、ブルックランズ・インシグニア」
――ああ、それでなのか。
イオンは、合点がいった。なぜセドリックが、この屋敷を『ブルックランズの屋敷』と言ったのか。敬称もつけずに、呼び捨てで、ブルックランズと呼んだか。
セドリックの主人は、確かにユーノスだったのだろう。だが、友人はブルックランズなのだ。だから、彼はこの屋敷の持ち主を呼び捨てにした。セドリックは、やはり、ユーノスの友人だったのだ。
イオンは、恐れを含んだ瞳をそっと開いた。
もう、目の前にブルックランズが立っていた。こちらに憂いを帯びた瞳を向けていた。黒い目は、真っ直ぐにイオンを見つめている。
「イオン、預けていた愛情を、返してもらうよ」
そう言うと、ブルックランズは、イオンをそっと抱き寄せ、頭を撫でた。彼の胸の中で、涙にぬれている顔を押し付けて、イオンは彼の、体温を感じていた。
(あったかい……)
血の巡る、生きている人の体温だ。かつてのユーノスが持ちえなかった心臓の脈動も、イオンに伝わってくる――。
光が零れるように、イオンとブルックランズを包み込んでいく。
ブルックランズは、慈しむような表情で、イオンの顎を持ち上げて、唇を寄せてきた。
イオンも、彼に身を委ねた。もういちど、そっと瞼を下ろし、差し出すように、唇を向ける。
初めての、ぬくもりが繋がる――。
陰と陽のように正反対であった接触ではない。互いが互いを結びつける、人が持つ、情熱が伝わって来た。
すると、二人を包み込んでいる光の粒子が、ブルックランズの身体に吸い込まれていくように集まっていく。
イオンには分かっていた。この光は、ずっとこの屋敷に漂っていたユーノスの記憶たちだと。イオンは、きちんと守って来たのだ。この島で、屋敷を、たった一人になろうとも。
もう二度と、彼の笑顔を楽しめた日々が戻らないと思いながら。
「イオン」
「ユーノス」
一度離れた口づけが、もう一度重なりあった。柔らかく、温かいユーノスの接吻は、何度も吸愛をされたイオンにだけ分かる、サインみたいだった。
彼が、「ただいま」と言っているのだ。
ユーノスは、生きている。
生きて、帰って来てくれた。
舌が、差し入れられた。イオンの味を求めるみたいなその舌遣いは、間違いなく、ユーノスの愛情表現で間違いない。
「美味だ」
「もう……愛を吸う必要はないでしょう?」
「そうだな」
ユーノスが、ぬくもりを宿した身体を密着させて、唇をそのまま、下へと滑らせていく。首筋を、なんども啄まれて、弄ばれてしまい、イオンは頬を染めて鼻にかかった溜息をもらすことになってしまった。
「今日からは、愛を注ぎ込ませてくれるな?」
「ユーノス……」
「分かっている」
イオンの物欲しげな表情に、ユーノスは蕩けるように甘い笑顔を向けた。
首筋付近にあった顔が、イオンを上目遣いに見て、美しい黒髪をさらさらと流す。
「愛してる、イオン」
彼から言って欲しかった、言葉――。
「もう、二度と、一人にしない」
嗚呼、とイオンは切なくも熱い声を漏らさずにいられなかった。どんどん、どんどん熱量が上がっていく。
これが、抱擁なのだと、生まれて初めて理解した気分だった。
「ユーノス……、もう離さないで……!」
「勿論だ……一つになろう、イオン」
ユーノスは素早くイオンの足裏と腰に手を添え、抱きかかえた。まるで姫を攫う英雄のようだ。
そして、イオンはベッドに寝かされて、すぐさまユーノスが覆いかぶさって来た。
「イオン……お前から吸い上げた愛……、一体どれほどになるだろうか」
「数え切れません……私を逃がしてくれないほどに、激しく求められたことだってありました」
「そうだな……、今宵は、それをたっぷりと、返させてもらう」
ユーノスの右手が、そっとイオンの慎ましい箇所に添えられた。そこは熱く蕩けてしまっていて、何かを求めているようにひくついてもいた。
「壊されても構いません……ユーノスさま」
「あまり可愛いこと言うな、我慢ができなくなる」
ユーノスの男性が熱く強く存在を訴えていた。
二人が求めてやまなかった、本当の抱擁――。
固く、たくましいユーノスが、柔らかく蕩け切ったイオンにゆっくりと入っていった。
堪らない熱が膨れ上がって、吐息と心臓が激しく響きあっていく。イオンは幸福感が閃光となって、目を眩ませていくのを、必死に耐えていた。
この素晴らしい時を出来る限り長く、しっかりと感じていたかったからだ。
「イオン……くっ……、だめだ……堪らない……!」
ユーノスが感極まった様子で熱い吐息を零して、頬を紅潮させていた。悦びが堪えられずに、噴き出てしまうのを、必死に我慢している姿が、イオンの胸を更に焦がした。
イオンもユーノスの名を呼び続け、彼が繰り出す一突きに身体を跳ねさせていた。
やがて、ふたりは共に境地に至った。眩い世界が、二人を祝福してくれるかのように。
人生でこれ以上の多幸感に沈んだことはなかったといって過言ではないだろう。
熱いしぶきが自分の中に広がり満ちていくのを感じたイオンは、目くるめく波に連れ去られて高く鳴いた。
これが、ユーノスからの愛なのだ。なんと心地いいのだろう。
二人は繋がりあったまま、心地よい疲労感に互いの身体を重ね合わせた。
「イオン」
「はい……」
「命を続けていこう」
やがて、ミラファルカ島に、元気な赤子の鳴き声が響き渡る日がくる。
英雄の子孫を生み、聖母とまで呼ばれるようになったイオンは、その最期の瞬間まで、愛する人と共に、健やかに歳老いていく。
何十年と続く奇跡は、まるで『生命の樹』のように、伸びていき、未来を作っていくことだろう。
孤独を知った二人は、どうしたらそれを消していけるのか、分かっている。
波が砕ける音が遠くから響く、そんな島で過ごす二人は、逢えなかった時間を取り戻すように、愛を求めあう。
手を取り合った二人の足並みは、最後の最後まで揃っていたという――。
◆ 死人英雄の吸愛 終 ◆
最後まで読んでいただきありがとうございました。
宜しければ感想やポイント評価に代えて、読者様の反応をいただけますと、今後に活かせると思います。
それでは、また別の作品でお会いしましょう。




