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第十九章 終幕へと…… 1

 スナッフ・ポルノが流れ出す。

 スクリーンの数は計二十数個にも及んでいる。それぞれ全て違う作品を垂れ流し続けている、彼のコレクションだ。


 ミソギは口から煙を吐きながら、酩酊状態に陥っていた。

 彼の肉体はハード・ドラッグの後遺症でボロボロだった。いつだって、彼はドラッグと共に生きていた。戦場で人を殺す時に、売春相手に身体を売る時に。

 脳味噌も萎縮して、グズグズに腐っているのだろうが、それでも何故か事務作業などが可能だ。部下に命令する時も正確な指令を出せる。


 ……ドラッグの後遺症を和らげる為に、更にドラッグを使っている。

 記憶の残骸をサルベージしていく。

 いつだったか、あの女に奇妙な思い入れを持ったのは。


 AV女優だった。

 そして、彼にとっての天使だった。

 彼女はひたすらに逃げたいと言い続けていた。ミソギは彼女を殴りながら行為に及んだ。その女はクスリのやり過ぎで脳の中身が溶けていたのだが。妙に身体の相性が合った。

 爆ぜる体液に塗れながら、きっともしかすると何処かに自分を庇護してくれる神様なんて存在がいるんじゃないかと思った。その女の鼓膜を殴り潰し、鼻をへし折り、前歯を折って、ミソギはその女から赦された。もしかすると、聖母なんじゃないのかと思った。

 彼女は、ミソギの力がまだ無かった頃、相手側のマフィアの報復の為に捕まり、凌辱され尽くされて、殺された。その映像は、見せしめとして市場に出回った。

 自分と自分の部下達の力では見つけられなかったが、デス・ウィングの情報網を使って、何とか可能な限り、回収した。


 スナッフ・ポルノは延々と流され続けている。

 もう、感傷なんて何も無い。

 男達に犯されながら、彼女はナイフや糸ノコギリで生きながら切断されていく。


「ケルベロス……、少し遅いぜ?」

 ミソギは椅子から立ち上がる。

 そして煙草を踏み潰す。


「なあ、俺は神様なんてものがいるかもしれない、って今、バラバラにされている女の肌の中で思ったよ。でも、やはりいなかったらしい。なあ、いいサウンド・ミュージックだろ?」

 ケルベロスは黙視していた。

 解答なんて見い出せない。

 ミソギは愛を知らない。彼はこの世界は惰性の欲望のみで動いていると考えている。螺旋のように負の感情が下降していく。何処までも何処までもダウナーに感情は落下していく。

 ミソギはカービンを手にしていた。そして、引き金を引く。生きながら少しずつミンチにされていく女の映像の一つが砕け散る。


「ケルベロス、正義なんざ無くても、この世界は存続出来る。金が世界のルールになる。お前が俺の利益にならねぇんなら、俺がこの手で殺してやるよ。いずれ、アサイラムは俺の作った会社や組織の敵になるだろうからなぁ?」

 彼はカービンをいつの間にか両手に持っていた。

 そして、ケルベロスの顔面へと発砲する。

 筋骨逞しい男は身を翻して跳躍していた。そして空中で在り得ない体勢から、ハイキックをミソギの顔面へと向けていた。

 ミソギは草刈り鎌のように鋭い蹴りの一撃を、トンファーのように扱った銃身だけで受け流す。


「誰かを愛するだけ無駄か?」

「そうだな」

 ケルベロスの左脚には、いつの間にか手榴弾の束が絡み付いていた。そして、瞬く間も無く、部屋全体に爆破音が広がる。

 煙が上がっていく。

 ミソギは爆裂した手榴弾の破片を自らも食らっていた。


「なあ、武器商人……」

 ケルベロスはアケローンの能力で、全身をガードして負傷を最小限に留めていた。


「お前…………」

 ミソギの瞳は空ろだった。そして、何かを悟り切っていた。


「いいじゃねえか、此処は墓場なんだ。ダートとかいうのが暴れていてなぁ、デス・ウィングが俺に話を持ち掛けた時、少しだけ心が躍ったなぁ?」

 そう言うと。

 彼は口元を押さえ始める。手榴弾の破片が、拙い場所に刺さったのかもしれない。


「お前、……ドラッグのやり過ぎで、このままだと長く無いんだろ? ……なあ、俺達アサイラムなら、お前の症状も治療出来る。そう考えているのか……?」

「そうだなぁ……」

 ケルベロスは凛とした口調で言った。

「なら、治療してやる。対話しよう。この会戦は分かり合う為のコミュニケーションだ。それでいいじゃないか?」

「いいなぁ、偽善者。俺はお前のような奴のそういう部分が好きだな……しかし、俺は奪う事でしか生きられなかったし、そういう思考の下、生きてきた。かつて俺は神様ってのを見出せなかった。今もだ。これからも、ずっとな。神様ってのは何だ? 愛か? 救いか? 善性、って奴か? 人間らしい感情か? 何なんだろうなぁ?」

 ミソギの眼は空ろだ。おそらく、泣く事も怒り出す事も出来ない。マシーンのようだ。


「もう……癒えないんだろうなぁ。二度とな。人間ってのは、見なくてもいいものがあるんだろうなぁ。一生な。……」

 ミソギは素早く、スクリーンの一枚をズラす。部屋中に設置されたスクリーン自体が、武器収納ケースだった。彼は対戦車擲弾発射器パンツァーファウストを取り出して、ケルベロスに向けて発射する。部屋中に響き渡るスクリーンの女の悲鳴が消えていく。

 狭い室内が黒焦げになっていた。


 ケルベロスは至近距離から受けた対戦車砲の攻撃を物ともしていなかった。所詮、兵器程度では、アケローンで全身の骨格を強化させた彼の肉体にまともに傷を付ける事が出来なかった。せいぜい、皮膚をそれなりに焼く程度だった。


 ミソギは兵器を収納していたシェルターの中に、退避していた。そして、両手には既にフルリロードを済ませたマシンガンを手にしていた。引き金が引かれ続ける。ケルベロスは撃ち込まれた弾丸を両腕から生やした刃で弾き飛ばし続けた。

 スクリーンの殆どが破壊されて、唯一残った二つの画面の中にいる女が肉塊になり、男達はそれに存分にべたべたなおぞましい体液を擦り付けている。そして、女の損壊された顔面がアップされて、映像が終わる。


 ケルベロスは横目で、その映像を眺めていた。

 ミソギにとって。

 愛は御伽噺だった。

 優しく甘い夢物語、生涯、知る事が出来ないもの。

 ミソギはランチャーとマシンガンを撃ち続けながら、即座にシェルターに篭って、反撃の隙を与えないようにしてくる。ケルベロスの肉体に、徐々にダメージが蓄積されていく。ミソギの反応速度、移動速度は常人のそれを超えていた。身体能力のみに特化された能力者なのかもしれない。

 ケルベロスは腹に激痛を覚える。

 いつの間にか、サバイバル・ナイフの斬撃によって、彼の腹から出血している。そして、首の周りに、針金が巻かれていく。


 電流が、彼の全身に回っていく。

 確実に、そして着実に、ケルベロスは追い詰められていっている。

 ケルベロスは顎の辺りからナイフを出して、針金を切り裂く。そして、シェルターの一つ一つを破壊する事に決めた。

 面倒だが、ミソギの逃げ場を絶つしかない。


 いや…………。

 既に、ミソギは彼の背後へと回っていた。

 ケルベロスは肌で感じていた。

 おそらくは、一番、強力な兵器を携えて、背後に立ちはだかっているのだろう。それこそ、アケローンの骨格強化による防御を突破するくらいの。

 パイルバンカー。

 銛のような武器だった。


 ケルベロスの首の皮一枚が切り裂かれる。

 銛は深々と、壁に激突して、食い込んでいく。ミソギはその武器を手放して、新たにフルリロードの拳銃を手にしていた。そして、その軌道は、ケルベロスの眼球の辺りを狙っていた。そのまま目玉を撃ち抜いて、脳を破壊するつもりなのだろう。その程度の正確な射撃能力はある。0.01秒以下の世界だっただろうか。もはや二人の身体能力は、常人にはまるで理解出来ない領域にあった。

 ミソギは腹と胸に重い衝撃を受ける。アッパー・カット。彼は宙に浮く。


 そして。

 ケルベロスはひたすらに、滅多撃ちに彼の全身を殴り続けていた。ミソギは旋回しながら、壁に叩き付けられる。

 殴った瞬間に。

 ケルベロスの全身に糸が絡み付いていた。

 糸が切れ、四方八方から、いつの間にか、セッティングされていたナイフが、爆弾が、彼の下へと襲い掛かる。

 殴った感触から、骨が砕け散っていく音が聞こえた。彼はもはや、もうまともに動けない筈だった。

 ケルベロスはまともに、ナイフや爆弾の雨あられを受ける。


 そして…………。

 ミソギは一般市場に流通している、強力拳銃S&W M500の回転式リボルバーのような形をした“強力な何か”を手にしていた。そのハンドガンはどう考えても、彼の切り札のように、ケルベロスには映った。おそらくは折れているであろう腕で、彼はそれの引き金を引く。フルメタルジャケットの弾丸が正確に、ケルベロスの顔面へと襲い掛かっていた。火花が飛び散り、火炎を爆散していく。

 ケルベロスの頭蓋を掠め取っていく。照準が少しだけズレてしまったのだろう。ミソギはぐったりとした顔をしていた。ケルベロスは。

 ミソギの胸元に重たい回し蹴りを放っていた。

 肋骨がへし折れ、肺へと突き刺さる音がした。


 今度こそ、ケルベロスの勝利だった。…………。



 ……デス・ウィング、俺の勝ちだよ。


 親しい間柄なんかじゃ無かった。しかし、根幹においては少しだけ、ある部分において、理解し合っていたような気もする。

 いつか、彼女も此処に来るのだろうか。いや、別の場所なのかもしれない。向こう側に、何があるのだろうか。あるいは、彼女は本当に無限の時間を、此方側で過ごし、旅立てないかもしれない。何故か、勝ち誇った気分になる。


 彼は刹那の時間、記憶が幻影となって、奔流のように駆け巡る。

 地雷で四散したかつての友人、売春宿へと送り込まれていく抱いた女、媚びへつらう部下の顔、上等なワインの香りと味、焚いた白い粉、珍味として食べたフォアグラのソテー、豚のような顔の男の下半身、あのどうしようもなくねっとりとした味……。

 幾つもの記憶が混雑しては、脳内に流れて消えていく。


 ……旅立つんだ。なあ、誰だっていつかは旅立つんだ。当たり前の事だろ? 俺は今が、そうなんだ。しかしそれにしても、随分、遅かったよなぁ? 船賃だとか必要なのかなぁ? 今、手持ちがねぇからな。しかし、向こうには何も持っていけねぇよな。地位も財産もなぁ?

 ミソギは最後の引き金を引いていた。

 冷たい感触がする。

 目の前にいる男は驚愕の表情を浮かべていた。


 ……まぁ、お前もいつか行くんだろ? 早いか遅いかだけだ。

 彼の意識は途切れていく。おそらくは、ずっと絶望していたのだろう。だから、それが当たり前になってしまっていた。だから、今、幸せになれる。

 ずっと、彼は待ち望んでいたのだろう。この時をだ。

 頭蓋骨が、脳が、顔面が粉々になっていく。全ては終わる。


 ミソギの頭は、咲き誇っていた。

 多分、この瞬間の為に、生まれてきたのだろう……。




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