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第十五章 死と絶望が行進していくのだから 3

 ペイガンは、逃げ続ける、救護班の中から抜け出して、道路を歩き続けていた。

 まるで、赤い天使に呼ばれているかのようだった。


「カシュー?」

 彼は、友人のケンタウロスの顔を見た。

 彼は右腕で、彼の右腕を握り締めている。


「お前、何処に行くんだ? 戻ってくるんだよ」

 カシューの眼は強かった。


「戻れなくなるぞ?」

 彼はペイガンに強く言う。


「カシュー、お前、どうして此処に……?」

「お前が、心配になったからさ。だから、わざわざ此処まで来たんだ」

 ペイガンは、息を飲む。

 ケンタウロスの身体が、バラバラになっていく。そして、さらさらと砂のように崩れていく。

 そこには、二人の黒髪の女がいた。

 一人は、漆黒のドレスを纏い、超然としていた。もう一人は、コサージュの付いた帽子を被り、肘や膝や腰から刃を生やしていた。


「貴方は逃げないのかしら?」

「お前、今、誰と話していたんだ?」

 二人から、同時に、訊ねられる。

 ペイガンは、放心した顔で、二人を見つめていた。


「貴方…………」

 真っ黒なドレスを纏った黒髪の女は、ペイガンに言う。

「ねえ、ダートに入らない? 面白そう。貴方、何ていうか、“此方側の人間”のような気がしてならないから」

 ペイガンは、まるで心臓を鷲掴みにされたような気分になった。


 ……戻れなくなるぞ、ペイガン。

 ペイガンは、地面を見つめていた。

 すると、顔だけのカシューが地面に張り付いている。彼は柔和な表情を浮かべていた。

 そして、やっと彼は理解する。

 このカシューというケンタウロスは、彼の“もう一つの人格の声”だったのだと。


 ……ペイガン、逃げろ。そいつらは、お前に悪魔の囁きを行っているだけだ。

「ふん、私達の側に入らないのなら。貴方はその……危険過ぎるから、今、始末しようと思っているんだけれど」

 ペイガンは、選ぶ事は出来なかった。

 ケンタウロスの男の顔が、砂へと変わっていく。

 ペイガンは、自分の精神が、本当はとっくの昔に壊れてしまっていて、このカシューという男の存在を作り出す事によって、自分は正気の世界を保っていた事に気付いたのだった。



 討伐隊は、やはり、敗北して帰ったのだった。


 スロープは、項垂れながら、憔悴した顔でアサイラムにある、レウケーの部屋を訪れる。

 六十名近くにいた中で、生き残って帰ってきたのは、救護班の数名。他は、死んだか、行方不明になった者達ばかりだ。


 やはり、駄目だったのだ。

 これをちゃんと知らせるべきかどうか、スロープは悩んでいた。

 レウケーは、知らせるべきだろうと告げる。

 怒りや憎しみをどれ程、ぶつけても、決して、ダートには届かない。相手側の思うツボなのだ。



 世界を壊そう。

 不条理な現実が赦せないから。

 ペイガンは、淀みの淵の中へと沈んでいくかのような感覚を覚えた。


「こんにちは、貴方の名前はペイガン、って言うのね」

 黒い魔女は唇を歪めている。

「今、私の思念を送り続ける。私の精神世界を感じ取れる筈。ヴェルゼにも、ニーズヘッグにも、他の者達にも見せて上げた。私の心の中を、渦巻いているものを。ねえ、貴方は、どんな言葉で答えるのかしら? 知りたいなあ」

 さあ、この世界を壊そう。みんな殺してしまおう。彼に語り掛けてくる無数の声があった。腕達が、彼に掴み掛かってきているかのようだった。

 まるで、それは合唱のようだった。

 一つのオペラのようだった。


「私はルブル、宜しくね? 処で、貴方は、何を“視ている”のかしら?」

 彼女は、せせら笑っていた。

 痛みを感じない。他人に対する共感を持つ事が出来ない。それは、あの瞬間以来、起こってしまった出来事だ。自分は何処に行ってしまうのか分からない。もしかすると、もうとっくに、自分は死んでいるのかもしれない。死者の世界の中にいるのかもしれない。


「ルブルって言うんだよな?」

 ペイガンは確認するように、聞き返す。


「ええ、そうよ。ペイガン、貴方は、どんな力があるのかしら?」

 そう言えば、自分達は言葉が通じ合っている。

 自分の住んでいた地域の言語は、少数民族の物で、広い地域で使われている共通言語を使う者達と、まともに会話出来ないにも関わらずにもだ。

 もしかすると、魂だとか、精神世界の中で語り合っているのかもしれない。


「ルブル、何となく、俺はあんたの感情が見えるかのようだった。あんたは……お前は、他人の……人間の罪を追及するような事を宣言しておきながら、自分自身を完全に棚に上げているよな。

「ふふっ、そうね。貴方はそれを糾弾したい?」

「いや、俺は事実を聞いているんだ? そうなんだろう、って」

 今、自分を支配している感情が何なのか、ペイガンは慄く。

 何となく、懐かしささえもあった。

 経験などした事無い筈なのに。


「ルブル、お前は卑怯な立場に居続けるんだろ?」

 ペイガンは、皮肉っぽく笑い、何か韜晦があるような口調で訊ねた。


「ええ、そうね。だって、私は人間の感情なんてよく分からないから。何で、戦争って起こる? 何で、人間は分かり合えない? みな、生まれた瞬間から居場所を取り合っているのかしら? ダートの侵略と破壊が始まる前から、人々はみな不幸だった。戦争や格差が広がっていった。ねえ、人間ってのは何なのかしら? 私はメスを入れようとしただけ。大きな破壊によって、全てが露になるんじゃないかって思って」

「お前は自分が悪だ、って何処までも何処までも、自覚しているんだろ? 他人を踏み潰す正当化がしたいだけ。違うか?」

「ふふっ、何も違わないわね?」

 ルブルは、ペイガンの顔を覗き込む。


「私の事、憎く無いんでしょう?」

「そうだな。……憎く無い。お前の仲間に、俺は大切な人をみんな殺されたけれどな……」

 底無しの空虚さが、心の中へと広がっていく。

 きっと、あの日に、自分は人間を止めてしまったのだ。痛みに対しての共感だとか、愛する者達を失う悲しみだとか、そういった人間らしい感情を喪失してしまったのだろう。

 そう。

 この先は、暗闇ばかりだ。闇のクレバスが大口を開いているのだ。

 人間を解体していった先に、何があるのか。まるで、誰もが分からない。


 幼い頃に夢見ていた、漠然と、この世界には唯一の絶対的な悪人がいて、そいつを倒せば、この世界は救われるのだと思った。自分は“正義になれる”のだと思った。

 ペイガンは、まるで共振のように、似たような感情に触れている。もしかすると、此れが自分の力なのか? 澄んだものは、消え去っていく。

 ルブルの両眼が、確かにペイガンを見つめている。


「私を殺す? 貴方はメンバーに加入したけれど、それもいいかもしれない」

 よく分からない事を彼女は言っている。

 自分自身の命さえも、何かの担保にしているかのような口調だった。


「最初は、アサイラムを襲撃した。そこは、沢山の犯罪者達が守られて平穏に暮らしているから。アサイラムは、能力者の犯罪者という存在を守ろうとした。収容されている能力者達を憎悪している市民達も多い、って聞いているわ。何故、死刑にせずに放置しているのかって。散々、そんな事が言われているらしいわね」

 その声音は、強く皮肉めいていた。


「アサイラムは、正しい事をしようと思って。犯罪者達を死刑にせず、その異能を人類の役に立てようとした…………」

 彼女は軽く両腕を広げた後、戻す。

「ふふふっ、ペイガン。悪って何だと思う?」

「ああ……? さあ、俺にはまだ答えを出せずにいる。正義も悪なのかもしれないから、俺がずっと信じていた正義も…………」

「メアリーは、誰もが悪の感情を抱えている、って言うわ。そして、イゾルダは、全ては人類は個人個人の利益で物事を動かしているだけだろう、って言っていた。だから、みんな、悪っていうものの幻影を追っているだけ。ドーンは、人類は、私を殺して終わらせるのもいいかもしれない。でも、それで解決して満足して、本当に当たり前の平和な日常を唯々諾々と続けていくのかしら?」

「俺のあんまり良くない頭で考えるけどさ。……、善と悪の二項対立は在り得ないんだろ。それくらい分かっているよ、俺はずっと、どうすればいいか分からない。未だ、夢の世界を彷徨っているようで。正義が何なのか分からない。お前に納得されるつもりも無い」

 強く、剣呑な口調で彼は言う。


「でも、多分、何となく、お前は俺の大切な人達を殺した。だから、いつか復讐しなければならないっては思っているぜ」

 それが、今じゃないだけ。


「いつでも、向かってくるといいわ。グリーン・ドレスとアイーシャがそうしたように。私に対しての、復讐心を抱える貴方を、私は肯定する」

 そう。

 どんなに激昂していても、力の差異なんて埋められない。

 か弱い人間一人が出来る事なんて限られている。

 自分もそんな人間の一人でしかない。この広大な世界に大きな影響なんて与える事なんて出来はしない。


 ルブルはきっと、試しているのだ。

 人間は善なのか悪なのか。

 何の為に、この世界は存続しているのか。

 全てがおぞましく、全てが素晴らしい。

 そんな世界も、素晴らしいのかもしれない。

 卑賤にして、崇高。

 全てを裏返しにした世界。


 その中で、時間が永遠に止まってしまえばいいと思った。自分は卑小な人間でしかない。だから、立ち上がって、敵に剣を向ける事が出来ないのだから。



 レウケーは、ケルベロスの見舞いへと向かっていた。


 彼は、イゾルダから受けた傷の回復が遅いのだと言っている。

 ケルベロスは、シーツの中へと包まっていた。


「やあ、レウケー」

 彼は、少しだけ元気そうな顔をしていた。


「ケルベロス…………」

 レウケーは溜め息を吐く。


「お前は何で、そんなに自分が正しいと思えるんだ? 何がお前を支えているんだ?」

 そう言いながら、レウケーは、ケルベロスのシーツを開く。

 傷口が化膿したまま、化膿が、胸や腹に広まっていっている。

 普通の人間なら、とっくに死んでいるのだろう。


「病原菌かな?」

 ケルベロスは、ははっ、と笑う。


「治療を行える、色々な能力者達を集めてやらせてみたんだけれども、駄目だった。エートルの実験の一環で生まれたイゾルダの毒を治す事が出来ない……」

「お前……」

 レウケーは、彼の両脚を見て、何とも言えない感情に襲われる。

 彼が以前、イゾルダとの戦いにおいて、バキバキにへし折れた両脚は、見事に、奇怪な再生を遂げており。彼の両脚は、まるで樹木のような形状をしていた。そして、その樹木には、無数の顔が生まれていた。


 人面疽だ…………。

 これは、呪いだった。

「俺が、切り落としてやる。大丈夫だ。義足の用意ならしてやる。それから、俺達、能力者の力ならば、両脚くらい復元させてやる」

 この程度の事しか、自分には出来ない。

 もし、これが汚れ役だとするのならば、望んで引き受けようと思う。

 アサイラムの所長の、人類の希望の手足を斬り落とすのだ。

 何らかの呪いによって発動しているものならば、二度と復元出来ないかもしれない。それでも、ケルベロスには覚悟を決めて貰わなければならなかった。


「やるぞ。俺が切り落とす。代えの脚は、すぐに用意させる。お前を死なせるわけにはいかない。みんなお前を必要としているからなっ!」

 ケルベロスは奥歯を硬く噛み締めていた。

 レウケーは、帯刀していた刀を引き抜いた。

 刀が滑る、嫌な音が鳴り響く。


「左腕は、回復を始めているんだろ? なら、それ一本でしばらくは生活出来るな? 次は、右腕も落とすぞ。このまま、麻酔無しだが、いいか?」

「ああ……。脚の感触が無いんだ。…………」

 彼は一応ながら、達人並の剣豪でもあった。

 しかし、役に立たない。

 執刀医紛いの事しか出来ない。


 レウケーは、再び、一閃を振るう。

 ケルベロスは、今度は苦悶の表情を浮かべ、思わず小さな悲鳴を上げていた。



 メビウスは、此処しばらくの間、アサイラム内に待機しているみたいだった。

 敵の動向を探りたいのだが、中々、動けずにいるみたいだった。


 ホーリー・ドラゴン。

 そして、ニーズヘッグ。

 そいつらの動きを警戒しているみたいだった。

 ルブルは、更に、新たな脅威を増やそうとしているかもしれない。結局の処、動かしているのは、ルブルと、そしてメアリーの二人だろう。

 明るく、前向きな状況も存在する。

 イゾルダの生体兵器の駆除は、少しずつ終わりが見え始め、グリーン・ドレスに焼かれた街の復興も、何十年も掛けて行うんじゃないかという目処も立っている。移民達が、住める場所を求めて、逃げ続けている。

 レウケーは、メビウスと会う。


「デス・ウィングとかいう奴の居場所を教えろ。ケルベロスの両脚と右腕の代えも用意させる。俺がその女と取引に向かう。メビウス、この俺を暗黒の地とやらへ連れていけっ!」

 守りたい。

 そんな事を、切実なまでに思った。

 自分には、責任があるのだと思った。

 その責任を背負って、ケルベロスに答えようと思った。

 自分はダートとの戦いで負けたが、自分自身の信念が敗北したわけなんかじゃない。


 彼は、ケルベロスとずっと対話してきたような気がする。何が浅はかなのか、何が善なのか、誰にも分からない。

 何を倒せばいいのか、何を守ればいいのか。悪とは、つまり誰なのか、何なのか。もはや、自分は正義という信念を持ち続けられるのだろうか?

 討伐隊を行かせるべきでは無かった。スロープが、そう思い悩んでいた。レウケーは知っている。彼が決して、心が弱い男では無いという事を。


 ただ、実力が足りなかった。

 そして、その差異は激情や、努力や精神論では埋めようが無かった。

 ただ、それだけの事なのだ。

 そこは、砂漠地帯にあった廃屋だった。

 メビウスは、此処から向かえるのだと言う。

 そこには、壁に幾つもの魔方陣が描かれていた。

 廃屋の奥にまで来ると、頑なに閉ざされた扉があった。

 メビウスはそれをこじ開けるように、開いていく。

 レウケーは息を飲む。

 地獄の風が吹き荒れているかのようだった。

 そこは、闇の大地が広がっていた。


「どうした、行かないのか?」

 レウケーは、帯刀している剣の柄を強く握り締める。

「ああ、行くぜ……」




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