第4話
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「お待たせしました」
そう言って扉を開けたファネリアを、布に包まれた聖剣を背負ったクオンが驚きの表情で見下ろす。何かを言いかけた口が小さく開いたままで止まり、表情の変化はほとんどなかったが、目が面白そうに笑っていた。
大きくうねった薄茶の髪を一つに纏め、日に焼けた肌、そばかすの浮いた顔は中性的で人懐っこそうなアメジストの瞳だけが変わらない。着ている物は庶民が纏うベージュのシャツに太股まである丈夫そうな紺の上着。ウエスト部分はベルトで絞られ、下は丈夫な綿のズボンに膝下までの編み上げのブーツを履いていた。ファネリアは弓を背に、肩掛けのバッグを持ち上げてクオンを見る。
「人の街に行くときは常にこの姿でしたが・・・ダメですか?」
凝視に首を傾げると、黒衣の剣士はしばらく考え込んでから口を開く。
「女と男。どっちで通すつもりだ」
クオンの質問にドアを閉めていたファネリアが振り返る。
「貴方の判断に任せようと思います。私はこの森からほとんど出たことがありませんし、知っているのは田舎町だけなので」
必要ならば魔法で声を低くすることが出来ると、後半は少年のような声で彼に判断を扇ぎ答えを待つ。女性だという先入観をなくせば、今のファネリアは綺麗な顔の成人前の少年にも見える。自分が今まで生活してきた環境を思い出し、余計なトラブルを起こさないのは少年の姿だろうと判断すると、クオンはファネリアが持ち出した医療道具の入った粗末な袋を持ち上げた。
「騙しきれるなら男の方が都合はいい」
野宿するにしても街に入るとしても、元の姿は目立ちすぎる。どこか現実離れしたその姿を思い出し、今の姿を見返してクオンは一つ肯いた。
「俺は傭兵だ。行く場所も治安のいい所とは限らない。俺以外を信用するな。それと敬語も止めろ」
「判ったよ。ところで僕の呼び名は何にする?」
切り替えの早いファネリアの質問にクオンが思案すること数秒。
「ネア・・・は、どうだ。親を亡くした山奥の木こりの息子で、怪我をした俺を助けた。治療師としての腕も確かだから従者として連れて歩いている」
「旅の目的は人捜し。義父を捜したい・・・変人だから人の街にはいないと思うけど」
半眼で呟く少年は諦めたように大きくため息を吐いた。
ファネリアの旅の目的は半年ほど前から行方知れずになっている養父を探すことだった。何も告げずにフラリといなくなり、どこかで死ぬような人物ではないが心配はしていた。クオンがいてもいなくても旅に出る準備は整えてあったのだ。
いつの間にか医療道具をどこかにしまったクオンは、頭上にある太陽を見上げて時間を確認すると、背に布で包まれた聖剣を背負って歩き出した。ファネリアもそれに続くが見送る影はない。だが視線は感じるから見張られているようだった。
「いくつか言っておくことがある」
力強い声は前を向いたまま、小走りで追いついたファネリアはクオンの端正な横顔を仰ぎ見る。
「俺は呪いで日付が変わってから日が出るまで、昨夜のように姿が変わる。呪いを解き、この忌々しい剣を捨てるために俺は旅をしてきた」
「鞘から抜いた時、声が聞こえたよ。『お前が抜くのか』と」
セリフを口にした途端、今は隠れて見えない透き通る紅が笑った気がして少年は嫌そうに眉をよせた。
「クオンに絡みつく呪いも見えてる。根源は聖剣じゃないよ。抜いた刀身の、その中から絡みついていたから」
「俺には『ようやく声が届いたな。聖剣に選ばれし者』と聞こえた」
鬱蒼と茂る森の中、道なき道を歩む2人の足に停滞はない。下草の整備などされていない森をクオンは力で、ファネリアは軽やかな身のこなしで進んでいく。
「コレを抜けるお前の力を借りたい」
向けられた深紅の目は聖剣と同じくらい力強い意志を秘めていた。
「聖剣が意志を持つなど聞いたことがない。コレがどれだけ伝説級の剣だとしても、何か秘密があるはずだ」
歩くスピードは自然と遅れ、やがて2人は森の中で立ち止まる。全てを飲み込むような黒髪と炎のような赤い目は彼の強靱な意志を感じさせ、むき出しの肩と筋肉の付いた腕がクオンの存在を際だたせる。
「僕の存在が役に立つなら、いくらでも手伝う」
嬉しくて全開の笑顔を向けると、硬い表情だったクオンは唇の端に笑みを乗せて再び歩き出した。
目視で確認できる距離に村がある。夕暮れに染まる空の下を歩いていた2人は立ち止まって顔を見合わせていた。正確にはクオンが1人で思案しているのだが。
「どうかした?僕も少しならお金の持ち合わせはあるけど」
宿代の心配だろうかと長身の影を見上げるが違うようだ。
「ああ・・・野宿でもかまわないよ。僕が貴方の夜の姿を見て騒ぎになるのが不安なんだろう?」
お金の問題でないならクオンの問題なのだろう。真夜中を過ぎてから黒い獣に変化するらしいので、普段は街や村に泊まらないのかもしれない。
「・・・いいのか?」
たっぷり間を置いた確認に、笑いながら肯く。
「僕の不安はあまり人里に出たことがないということだよ。野宿の方が気が楽な時もある。逆に街に出た途端、貴方には迷惑をかけるかもしれないな」
僕は田舎の、更に人里離れた木こりの息子だから。自分の役割を確認しながら笑うネアにクオンは呆れたような眼差しを送った。
「お前は・・・前向きだな」
「それって、褒めてるんだよな?」
声音と視線に反抗すると、黒衣の剣士は森に分け入った先で荷物を下ろしながら「さあな」と曖昧な答えを返す。そのとぼけた返事も面白くて小さく笑ったネアは、拾った薪をクオンが均した地面の上に置くと精霊に働きかけて火をつけた。
次は水くみだと立ち上がって目にしたのは、水の張った鍋を持ったクオンの姿。軽装の彼がそんなものを持っていた記憶がなかったから、謎の多い男性を恐る恐る見上げる。
「もしかして・・・空間魔導?」
魔族だけが使うことができる魔導の一種なのかと問えば、更に目の前の空間から肉や野菜を取りだしていたクオンは「ああ」と隠すことなく肯定した。
「知り合いの魔族に教えてもらった。時空と魔力の流れを把握できれば、人間にも可能だそうだ」
才能と努力が必要だといいながら、いとも簡単に目の前で行使する姿に感動を覚える。種族的に魔法が得意な妖精族にも使える者はいないだろう。養父辺りなら適当に使っていそうだが。いや、族長シヴィードも使えるかもしれない。
手際よく切った野菜と肉を鍋に入れ、乾燥させたハーブとスパイス、塩で味を調える。その間にパンを取りだしたクオンが2個の固まりを切り分けると木の枝に刺して温め始めた。程良く煮えた辺りで摘んでおいた野生のパセリを小さく千切って入れると、自分たちの器へと盛る。外側をカリッと、中が程良く暖まったパンが大きな葉の上に乗せられ、2人の夕食が始まった。
フォークで野菜と肉を口に運ぶクオンをジッと見つめる。味見はしたが、味付けの好みは聞かなかったために不安があったのだ。昼に用意していたサンドイッチの味に文句は来なかったから大丈夫だとは思うが。
「美味いな」
目の前の剣士が味の感想を口にするとは思わなかったネアは表情からそれを読み取ろうとしていたが、思いがけずクオンから零れた言葉に安堵する。自分も食べ始めて心の中で自画自賛していると、先に食事を終えたクオンがお茶を淹れた。
片づけを終え、お茶を手にたき火を囲む2人。辺りは闇に囲われ、火に照らされた木々が夜空に浮かんでいた。
「姿が変わる時って・・・苦しむの?」
確実に時を刻む月が頭上に差し掛かる。急激な容姿の変化は痛みを伴うのかと問えば、目を閉じ、微動だにしていなかった黒い影が深紅の目を闇夜に晒した。
「いや。だが見ていて気持ちいいものではないだろうな」
「気持ちの悪い現象は僕の目に映るモノで慣れてる。それなら平気だよ」
ネアがそう言いながら薪を放り込んでニヤリと笑うのと、クオンの厳しい視線が月に向けられたのは同時だった。一瞬にして強まる呪いの気配。見つめるネアの目には紅い靄がクオンを取り囲んでいるのが見える。渦巻くソレは強烈な吐き気と目眩を引き起こし、けれど数秒でその気配はあっけなく弱まった。
霧が晴れたそこにいたのは黒い狼。立ち上がり傍まで歩み寄った彼を見上げる。
座ったネアと四つ足で立ち上がった狼では、彼の方が大きかったのだ。人1人乗せるくらい造作もないほどに大きい体躯に太い足。鋭い牙と爪はクオンが持っていた剣に負けずとも劣らないくらい殺傷力がありそうだ。
「やっぱり綺麗な黒」
改めて見た獣型のクオンは、聡明な意志を持った紅い目と気高い気配を纏った人ならざるモノであることが確認できた。
恐れることなく首を撫でると、クオンはネアの脇に身体を横たえる。肩掛けバックを枕にすると、昨夜の小屋でそうしたように毛布にくるまりネアもクオンの傍で眠りについた。