謀反
嫌な夢を見た。
乙巳の変から三月ほど経った日の、夜明け近くに見た夢だった。
寺社の間で海人様が男たちと向かい合っている。海人様の頭は剃髪されていた。御髪や被り物などなくても、形の良い頭部とうなじが美しい、などと馬鹿なことを考えていると、どたどたと騒がしい音がして、海人様は取り囲まれた。
下男に取り押さえられて、2人の貴人が海人様を刀で切りつけた。切られたところから鮮やかな赤い血がぼとぼと絶え間なく垂れてきて、あっという間に床の上が血の沼になる。血脈を切られたのだ。海人様は虫の息で、その隣には私ではない妃と皇子がへたり込んでいた。妃はすくと立つと隣の間に進み、お子を道連れにして、後を追うようにして果てた。
脂汗を流しながら、がばと飛び起きる。
政変の混乱は落ち着きを見せ、難波への遷都の準備でみな日々忙しく走り回っている頃だった。なのに、またあのような、粛清が?
嫌な予感がして、心細くなって、海人様の部屋を訪ねに行った。辺りは薄暗く、空の端のみが微かに白んでいた。このような夜とも朝ともわからぬ刻に、男の寝所を見舞うなどはしたないと思われるだろうか。
それでも夢見の不安のほうが勝って私はひたひたと廊を歩く。
途中の部屋の宮女が物音で目を覚ましたが、そのまま待っているように伝えた。
いくつか渡りを過ぎて、角を曲がると大海人皇子の寝殿が見えた。部屋の前に人影がある。冬に差し掛かり夜も長く物騒だから、仕えの者を見張りに置いているのだろうか。
すでに守りの者がいるのならと、下がろうとしたそのときだ。部屋の前の人影がこちらに気づく。目が合って、私は足が震え出した。暗がりを歩く間に暗さに目が慣れていたし、その顔立ちはひどく見覚えがある。
じっと大海人皇子の寝所の前でただずんでいたのは、皇太子様であった。
人影はこちらに向かって歩いてくる。およそ人の動きとは思えない滑らかさで、物音もしない。
数々の疑問が心に浮かぶが、それどころではない。私は踵を返して、まずは今しがた通り過ぎた曲がり角に身を隠す。それから元きた渡りを全力で走って戻り始める。しかし遅かった。音もなく近づいていた皇太子様は、もう私の背後にいた。すぐ後ろで声がする。
「待て」
観念して立ち止まると、すぐさま後ろから抱きしめられ、あっという間に抱え上げられた。私はその方の腕の中で両腕を重ね合わせて縮こまる。
「近くに空いている部屋はあるか」
「あいにく」
しかし話し声を訝しく思ったのか、先ほど物音で目を覚ましていた宮女が、敷居の簾をするすると上げて、様子見に顔を出した。皇太子様の腕の中にいる私とちょうど目があって宮女は顔が真っ青になる。
「ここでいい」
皇太子様の言葉を聞いて、私は宮女に声をかける。
「下がりなさい。そのまま表で待つように」
宮女は下を向き、私たちに目を合わせず、薄着のまますぐに廊下に出て平伏した。
部屋に入ると皇太子様は私を床に下ろして、自分の衣を脱いで広げると私の肩にふわりとかけた。それから肩に手を回し、私の背を倒して床にそっと横たわらせる。裾に手が伸びてきて、足首に触れた。皇太子様はその手を少しずつ体の中心に向かって滑らせる。
私はじっとしてその方の喉元のあたりをぼんやり見ている。
指先がゆっくり上ってきて膝まで触れたときに、その手が止まった。
「嫌がらないな」
皇太子様が淡々と感想を述べた。
「そちらがもし私を求めたら」
「ん?」
「受け入れるようにと言われております」
「大海人からか?」
「はい」
「そうかそうか」
皇太子様は私の膝頭に置いた手を離し、裾から引き抜いた。
「疑って悪かったな」
私の目を見ていたが、私にではなく海人様に言っているご様子だった。
私は少しずつ上体を起こす。何も言われないのでそのまま起き上がって床に座った。
「どうかされましたか」
「俺を討ちにきた者がいた」
「なっ」
目を丸くする私に皇太子様は半目で薄笑いをした。
「差し向けたのは、どちらかの、と思った」
この場合のどちらかとは、次の皇位を争う相手、大海人皇子か古人大兄皇子ということである。
「どちらでもないのではないですか」
「では誰だ」
「……」
「難波京からか?」
「そのような、畏れ多いことを、口に出されるなど」
まだ遷都はしていないが、難波といえば大王のことである。まごつく私に皇太子様はひとり頷く。
「どこからの者かはさして大事ではない。次の謀反を抑えることが肝要である。宮廷を戒めねばならん」
言って皇太子様は「やることがある」と腰を上げた。そしてさっさと寝所を後にする。
そのやたらあっさりとした去り際に、呆気に取られる私を尻目に、風の如き早さで皇太子様は暗闇に姿を消した。
謀反を企てたかどで、吉野の古人大兄皇子が討たれたのは、その日の午後のことであった。




