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第99話 完全燃焼


 赤コーナーに戻る。

 セコンドが用意した椅子に座ると深く息を吐いた。

 冷やしたエンスウェルを腫れた眉にあてがわれる。

 腫れ止め用の金属の器具だ。

 父が訊いてきた。

「視界は塞がってないか?」

 ヒナの肘打ちで眉のあたりが腫れてしまった。視界は狭くなっている。

 でも見えないほどじゃない。

「大丈夫」

 父は私の顔を見て不敵な笑みを浮かべた。

「笑っているな。試合は楽しいか?」

 私は頷いた。

「ものすごく消耗していて苦しい。でもそれ以上に楽しい」

 今日のヒナは遠慮がない。

 麗艶との試合前のガチスパーでも、彼女はどこか私に気を遣っていた。

 それがいまはまったくない。

 嬉しかった。

 一〇〇%のヒナを、この身で味わうことができている。

 父が急に真剣な顔つきになる。

「そうか。でもそれでは勝てん」

 思わず顔がこわばる。

「楽しい、胸のすくような試合ではなく、勝ちに徹する試合をしろ」

 続けて父は言う。

「KОは無理に狙わなくていい。打撃によるアウトボクシングだ。1ラウンドはあやしいが、2ラウンドはおそらく獲っている。3ラウンドは距離をとってアウトボクシング。そうすれば判定で勝てる。いいか、決してヒナを制空権に入れるな。ヒナの間合いの外からジャブを起点にして攻めるんだ」

 私は、押忍、とは言いたくなかった。

 判定は悪いわけじゃない。

 勝ちに徹することも悪いことじゃない。

 それでも……。

「お父さん、私、完全決着がいい。判定なんて嫌です」

 父の顔が険しくなる。

「だがもし負ければアルティメット……」

 言いかけて、父が止めた。

 アルティメットフォースに意識を向けすぎて序盤はヒナに獲られてしまった。

 珍しく私は父に反論した。

「これはアルティメットフォースじゃなくてRFC。それにいま闘っているのは、アメリカのトップレスラーでもなければ、ダゲスタンファイターでもない。山本ヒナ。目の前のヒナのことをおそろかにしたら、先はない」

 父は頷いた。

「わかった。お前がそこまでの覚悟を持っているなら、完全決着できるようお前を導こう」

 この身をこの試合に、そしてヒナに差し出す。

 その代わり、勝利は私がもらう。


**********


 青コーナーに戻るなり、沙世さんが声をかけてくれた。

「激闘ね。顔、ぼっこぼこに腫れてる」

「だろうね。何発もいいパンチをもらったから。正直きついよ」

 私は笑った。

 口の中を切っているけど、アドレナリンが出ているからか、痛みはない。

 ただ、踏み抜かれた膝への違和感はあった。

「相手もきつそうだぞ」

 武田先生の視線の先にはアスカちゃんがいた。


 彼女の綺麗な顔は痣だらけになっている。

 特に、私が肘で切った眉のあたりがボコッと腫れていて視界が狭くなっていた。

 いま必死にエンスウェルで冷やしてもらっているところだった。

 でもこれは私にすればチャンスだ。

 見えない打撃は効く。

 アスカちゃん相手に打撃戦で優位に立てるかもしれない。


 美香さんがペットボトルを差し出してくれた。

 礼を言い、水を少し含みつつ、ヒカリ先生のアドバイスを聞いた。

「新藤選手は、RFCのルールにあっという間に適応してしまったわね」

「はい。もう1ラウンド目みたいな圧倒の仕方はできないと思います」

 ヒカリ先生は厳しい表情を浮かべている。

「1ラウンド目はギリギリだけど、おそらくサッカーボールキックや蹴り上げでヒナさんが獲っているはず。でも2ラウンド目は寝技のポジショニングで新藤選手にポイントがついてると思う。最終ラウンドを獲ったほうが勝つわ」

 私は頷き、言った。

「私、勝ちたいです。判定じゃなくて、完全決着で」

 ヒカリ先生も頷き返した。

「打撃と組み技を織り交ぜて闘う。そして寝技に持ち込んで一本を狙うのよ」

「寝技、ですか?」

 不意にヒカリ先生が左膝に触れた。  

 

 思わず痛みで顔をしかめてしまった。

 美香さんも「大丈夫ですか?」と心配してくれた。

「大丈夫。へっちゃらだよ」

 するとヒカリ先生がもっと強めに触る。

「いだだっ!」

 叫んでしまった。

「ジャンプしてからの関節蹴りで痛めたのね」

 沙世さんが心配そうに見つめて言う。

 試合による興奮状態で、これだけの痛みがあるなんて、相当なダメージだったのだ。

「さすがに、さっきみたいな大技はもう食らわないと思うけど。もう1回、左の膝に関節蹴りをもらったら、障害が残る可能性があるわ」

 だから関節蹴りのおそれが少ない寝技で行けということだろう。

「ヒカリ、そろそろ時間だ」

 武田先生がセコンドのみんなに撤収するよう促す。

 去り際、ヒカリ先生が大きな声で呼びかけた。

「あなたなら絶対に神童に勝てる! 自分を信じるのよ!」

 私は目の前のアスカちゃんを見据えながら、押忍と叫んだ。


 アスカちゃんもゆっくり立ち上がる。

 リングの外から源治さんの叱咤激励が飛ぶ。

「いまは先のことを考えるな! 何が何でもヒナに勝て!」

 どうやらアスカちゃんのほうでも完全決着を望んでいるようだ。


 ちょうどいい。

 私は大きく深呼吸した。

 まだスタミナはある。

 お寺での石段ダッシュのおかげかもしれない。

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 私とアスカちゃんはほぼ同時に雄たけびをあげた。

 

 泣いても笑ってもこれが最後。

 完全燃焼してやる!

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