見えていない音の話
これは、特定の誰かや環境を責めるための文章ではありません。
吹奏楽の中で、自分が実際に経験した「音が存在しているのに、存在として扱われない感覚」についての記録です。
楽器そのものの優劣や、人の善悪を語るつもりはありません。
ただ、同じ場所に音があるのに、それが最初から含まれていないように進んでいく瞬間が確かにあったことを、そのまま書いています。
私は音楽が好きだ。
吹奏楽部に入ると決めていた。
最初に渡されたのはファゴットだった。
トランペットやサックスを想像していた。
それは叶わなかった。
ファゴットは目立つ楽器ではない。
音は中に溶ける。
そして中に溶けたまま扱われる。
合奏で言われる。
「ユーフォとテナー」
その中にファゴットはない。
最初から含まれていない。
音は鳴っている。
でも指示にはいない。
存在しているのに、扱いにはいない。
それが普通になる。
違和感は消えない。
ただ黙るだけになる。
呼ばれないことに慣れる。
慣れるというより、消える準備をする。
褒められることはある。
「上手い」と言われる。
でも必要とは言われない。
評価と存在は一致しない。
それが続く。
倍音を調べた。
音響も調べた。
理由を探したかった。
でも理由はそこじゃなかった。
技術の問題ではなかった。
問題は楽器でもない。
問題は人でもない。
「そこにある音を、いるものとして扱うかどうか」
それだけだった。
そして多くの場合、扱われない。
最初からいないことになっている。
ファゴットは消えているのではない。
最初から見られていないだけだ。
それでも音は鳴る。
そこにだけ残る。
私は部活を離れた。
理由は単純だった。
消えていくことが、普通として扱われていたからだ。
今もファゴットは吹いている。
そして思う。
「見えていない音楽は、本当に音楽なのか」




