8.食事
クサヴェルとナタリーは黙って森を進んだ。鳥たちも怯えているのか、鳴き声や羽ばたきが聞こえない。
「ねえ、そろそろ放してもらってもいい?」
クサヴェルが言った。
「服が伸びちゃう」
ナタリーは立ち止まると、ゆっくりと彼の服から手を離した。
顎をしゃくって指示する。
「貴様が前を歩け」
クサヴェルは頷いて前に出た。
それからまた、沈黙。日陰にうっすらと雪が残る道を、二人はただ歩いた。
やがて、少し開けた場所にあるものを見てナタリーは顔をしかめた。
「……まさか貴様、それを持っていくつもりか?」
「え? だってお肉食べないと元気出ないよ?」
きょとんとした顔で振り向いたクサヴェルに、ナタリーは盛大な溜息をついた。
「はぁ~……。私は食べないぞ」
「えー? 美味しいのに」
「それは貴様の感想だろう。私はなにがあってもそんな穢れた肉を食べないぞ」
ナタリーが睨むと、クサヴェルはしおれた植物のように肩を落とした。
「そっか……。残念」
大量の肉を肩に担いだクサヴェルは、彼女を見て訊ねる。
「ええと、じゃあ……教会に行く?」
「……なぜ疑問形なんだ?」
「いや、教会のある場所なんておれ、知らないから。どこにあるの?」
ナタリーはまた盛大な溜息をつくと、懐からなにかを取り出した。
それはコンパスだった。本来北を指す赤い指針が、ある方向で止まる。
「それ、なに?」
クサヴェルがコンパスを覗き込む。
「教会専用のコンパスだ。これも聖武具の一種だな。天使様の加護が教会と結びついているから、どこへ行こうとも教会の方角はわかる」
ナタリーはそう答えてから、じろりとクサヴェルを見た。
「……貴様、教会で自分がどんな目に遭うかわかっているのか?」
「殺されるんだろ?」
「そう簡単に貴様を殺せていれば問題はない。悪魔憑きにはまだわからないことがある。その原因究明の実験台にされるだろうな」
「えー……。痛そう」
「痛いで済めばいいがな」
「そんなのやだ。じゃあ逆方向に行けば、教会からもっと離れられるってことだ」
クサヴェルはもう一度コンパスの向きを確認すると、それとは逆方向に歩き出した。
ナタリーが慌てて捕まえる。
「待て! そう簡単に逃がして……おいちょっと待て! 止まれ!」
「止まらないよ。止まったら教会の方向に行くんだろ?」
「当たり前だ! というかそのつもりで言ったんじゃないのか!?」
「教会は悪魔憑きを殺したいんだろ? わざわざ死にに行くようなこと、したくない」
「貴様にそれを決める権利などない! というか本当に止まれ! 強いな貴様!?」
クサヴェルの腕を掴んでいるナタリーだが、引き留めるどころか逆に引きずられている。四苦八苦する彼女に対して、クサヴェルは涼しい顔だ。ぞわぞわと全身を這う拒絶反応もなんのそのだ。
「止まりませーん。あんな怖い武器を振り回す人たちのところに行きたくない」
「私の仲間が今も私を探している! 見つかるのも時間の問題だぞ!?」
「そしたらもう一回、君を人質にして逃げる。教会に俺の幸せを壊されたくなんかないしー」
「悪魔憑きの貴様が幸せになれるわけないだろう! ああもう、止まれったら止まれー!!」
クサヴェルは止まらなかったし、ナタリーは引きずられ続けた。
◆ ◆ ◆
森をさらに進み続けていると、次第に辺りが暗くなってきた。
「ねえ、野宿するけど大丈夫?」
「聖騎士を舐めるな。巡礼の途中で野宿など数え切れないほどしてきた」
腕を掴んだままぐったりしたナタリーが答える。
「うん、わかった。じゃあおれ、枝を集めてくるよ」
背負っていた魔物の肉やリュックを置いて、クサヴェルは落ちた枝を拾い集める。
ナタリーはその間、斧を大きくして雑草を土ごと掘り起こした。スコップの要領で小さく円形に穴を掘れば、焚き火用の穴ができる。風が吹いても簡単には消えない仕様だ。
「わっ、穴掘っててくれたの? ありがとう、助かる!」
枝を拾い集めてきたクサヴェルが顔を明るくする。
「野営中の火は大事だ。特にこの時期は、寒くなるからな」
「そう。指先から凍るから大変なんだよね」
と言いながら、クサヴェルは穴の中に枝を入れ、リュックの中から火打石を取り出す。慣れているのか、二、三回も打ったら火花が枝に燃え移った。
「君は休んでて。おれは肉を解体するから」
ナタリーの傍に枝の山を置くと、クサヴェルは魔物の死体の前に座った。
ナタリーはその言葉に甘えて、焚火の傍に腰を下ろす。
火を育てながら、クサヴェルが魔物の肉を解体する様を観察した。
足を縛っていたロープをすべて解き、一体ずつ並べる。リュックの中から出した手袋をはめ、大量の水筒を置いておく。腰の短剣でお腹を撫でるように切ると、手際よく内臓を出した。手袋はおそらく魔物の毛皮で作ったのだろう。残っていた血に触れても焼かれなかった。
内臓を処理したら肉と皮の間に短剣を入れて切り離す。どれだけ場数を積んだのか、その動きは迷いがなく見ていて惚れ惚れとするほど鮮やかだった。
一体を済ませたら、もう一体。それを何度も繰り返して、クサヴェルの両側に内臓と肉、毛皮の山が積み上がった。
「よし、つーぎーはー……」
クサヴェルは立ち上がり、ロープを木と木に結んで、その間に毛皮を引っかける。
(残った肉や脂に虫がたからないか?)
とナタリーは思ったが、それで困るのはクサヴェルだからと言わなかった。
「ちょっとごめん、入れさせて」
なにかを両手で持ってクサヴェルが言う。
ツッコミどころ満載の言葉にどう返すか迷っているうちに、彼は手にしていた物――魔物の内臓を焚火に放り込んだ。
ごう、と炎が高く上がる。薄暗かった周りが昼間のように明るくなった。
「わっ、貴様、せっかく育てた火を!」
「大丈夫、大丈夫。これ、いい燃料になるんだよ」
「いいのか、これ!?」
くべた枝がすべて燃えて灰になっているはずだ。だが熱風が強くて近付けない。
その間にクサヴェルは、何事もなかったかのように肉の前にしゃがんでいた。
水筒を開けて、少量の水を振りかけて肉の表面についた血を洗い流す。その作業が終わる頃には、ようやく火の勢いも弱まってきた。
「よーし、焼くぞー」
クサヴェルがうきうきと肉を持って戻ってくる。手の平にずっしりと重みを感じそうな大きさのそれに、太い枝を突き刺して焚火にかざす。
それがしれっと二つあることに気付いて、ナタリーは言った。
「私は食べないぞ」
「今日、水以外なにも食べてないじゃないか。それじゃあ体が持たないよ?」
「穢れた魔物の肉を食べる聖騎士がどこにいる。貴様から頂戴した干し肉や毛皮だって、火や聖水を用いた禊を行わねば御前に捧げられないというのに」
「お腹が減ってたらなにもできないだろ? おれは君を死なせたくない。それに、神様も飢えて困っている人がなんの肉を食べていても怒らないと思うよ?」
「貴様が神を語るな」
ナタリーは睨んだ。立ち上がる。
「食べるなら貴様一人で食べろ。私は食べない」
そう言って焚火から離れた場所にある木の根元に腰を下ろした。
クサヴェルは追わなかった。ただ心配そうにナタリーを見ながら、目の前の肉を焼く。
香ばしい匂いが辺りに立ち込めた。肉の脂が溶けて、透明な雫が地面に落ちる。地面は焼かれなかった。
ナタリーは膝を立てて、そこに顔をうずめた。自分を守るように膝を抱える。
なにも知らなければ、美味しそうな肉だと思ったことだろう。あの量の肉で、何人の飢えを満たせるだろうか。
頭に浮かんだ考えを慌てて振り払う。余計なことを考えないように、祈りを唱えた。
「……万物は清浄なる光のもとに生まれいづる。その光、あまねくを照らし……」
――毎日お祈りしてたよ? 食べ物、今日のご飯もぜんぶ渡したのに。なんで? ねえ、なんで?
不意に誰かの声が頭の中で響いた。祈りが途切れる。すぐに、今日出会った少女の言葉だと気付いた。
(あの子は信徒だ。でも、父親は異端者だった)
よくある話だ。
あの少女も、異端者になる一歩手前だった。ナタリーのおかげで、彼女はなんとか踏み止まれた。
ぐぅ、とお腹の中が縮こまった。
クサヴェルの言うとおり、昼間からなにも食べていない。さすがにこの寒さでは、なにかを食べなければ体が危ない。
(……だが、魔物の肉ではあってはならない)
ちらと焚火の方を見る。
焼けた肉をクサヴェルが美味しそうに頬張っているところだった。
枝に刺したものを、行儀悪くそのままかぶりついている。うめー、なんて声が聞こえた気がした。おそらく幻聴だろう。
見てしまったことで胃がまた刺激されたらしい。先ほどよりもぐうぅ、と大きな音で訴えてくる。
ナタリーは近くの雑草を引き抜いた。根と土を取り、できるだけ葉の汚れも拭って、食事の前の聖句を唱える。
葉を一枚一枚、味わうように噛み締める。苦い汁が口の中を満たしたが、構わず飲み込んだ。すり潰しきれなかった葉が喉に張り付いて、ちくちくと痛い。
「ちょ、ちょっと、なに食べてるの?」
それが見えたのだろう。慌てたようにクサヴェルが駆け寄ってきた。
両手には枝に刺した肉がある。
「ほら、食べて。こっちの方が美味しいから」
「いらない」
差し出された肉から顔を背ける。美味しそうな匂いが鼻をついた。
「でもこのままじゃ倒れちゃう」
「死んでほしくないなら、ちゃんとしたものを寄こせ」
無理なことはナタリーもわかっていた。
あの少女の村は近くにあるだろうが、別の旅団が食料を譲り受けている。かといって、野生の動物は警戒心が高い。鳥だろうとネズミだろうと、捕まえていたら朝になる。
仮にこのまま飢えて死んだとしても、それは教会の教えを守った証だ。神はナタリーの魂を拾い上げ、その末席に加えてくれる。
救われるのだ、自分は。
それは聖騎士としてとても幸運で、幸福なことのはずだ。
不意に水音が聞こえた。
ナタリーがそちらを見ると、クサヴェルが泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「……は?」
「お願い、食べて。……ひどいことなのはわかってる。でも……おれ、君に死んでほしくない」
涙声でクサヴェルは言う。瞬きの拍子に涙が一筋落ちた。
「…………」
なんで泣くんだ、とか。泣くほどのことか、とか。
言いたいことはあったが、どれも言葉にならなかった。
ただ、焚火に照らされる彼の黒い瞳が、まっすぐにナタリーを見ていた。
「…………。水筒、まだあるか」
「え……?」
ナタリーは立ち上がる。
「禊をする。急ごしらえだが、やらないよりはマシだ」
フードを被っていてよかった。
自分がどんな顔をしているのか、ナタリーはわからなかったから。




