5.会話
クサヴェルはナタリーの手を引いて走り続けた。
見通しのいい平原から森の中へと飛び込む。
薄暗いその中をまたひた走って。
「――はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
けもの道のただ中で、足が止まった。
「はぁっ、はぁっ、ゲホッ、ゲホッ」
口の中がカラカラに乾いて咳き込む。
ふと、ナタリーは大丈夫かと心配になった。
見ると、彼女も肩で息をしているが、クサヴェルほど消耗していなかった。
周りを見回して、追手らしい気配がないことも確認する。
風に揺られて木がさざめく。
鳥が忙しなく鳴きながら飛んでいく。
雪解け水を含んだ柔らかい土の匂い。
――生きている。
その実感に、クサヴェルの鼓動が少しずつ落ち着いていった。
「……おい」
ゆっくりと。
言葉を選ぶように、ナタリーが口を開いた。
「いつまで掴んでいるつもりだ?」
冷たい彼女の視線は、いまだに繋がれている二人の手に注がれていた。
「――――」
ああ、そうだったね。ごめん。
クサヴェルはそう言おうとしたが、喉が張り付いて言葉が出なかった。
代わりに手を離し、激しく頷く。
ナタリーは懐からハンカチを取り出して、握られていた手をしつこく拭いた。
「貴様、どういうつもりだ?」
続いて出た問いに、クサヴェルは首をかしげる。
「私は天授者だ。そして貴様は悪魔憑きだ。天授者と悪魔憑きは相容れない。貴様も拒絶反応が出ていたはずだ。それに耐えてまで、私を攫うとは一体どういう了見だ?」
ナタリーの問いかけに、クサヴェルは黙り込んだ。
ナタリーは斧を構えて待つ。
沈黙を森の音が遮る中で、クサヴェルはゆっくりと口を開いた。
「――、ごほん、おれは、教会は嫌いだよ」
斧を握るナタリーの手に力がこもる。
「でも、君が好きなのも本当」
クサヴェルは続けた。
「おれは幸せになりたいんだ。幸せになって死にたい。だから、好きになった君と結婚したいんだ」
「……悪魔憑きに身を落とし、世界を敵に回してもか」
「勝手に敵とか味方とか言っているのは教会だろう? おれは教会を倒したいわけじゃないんだ。ほっといてほしい」
「そうはいかない。悪魔憑きは世界の敵だ。ここで排除しなければ世界が滅ぶ」
「本当に?」
クサヴェルは問うた。
「じゃあ、さっき村で君たちが食糧をぜんぶ持って行ったのも、悪魔憑きであるおれのせい?」
「…………」
「おれは止められなかった。おれも食べ物や毛皮をぜんぶ持ってかれた。神様への供物として。……あの村はきっと滅ぶよ。食べ物がなくなったから。ねえ、それもおれのせいなの?」
ナタリーは答えなかった。
斧が震える。クサヴェルを睨んでいるはずなのに、なにかに耐えるように唇を引き結んでいた。
「……あの村は、教会への信心を示してくださった」
ナタリーが言葉を絞り出す。
「飢えや寒さの末に命を落としたとしても、その信心は神に届く。彼らは救われる」
クサヴェルはなにも言えなかった。
あの村に特別な思い入れがあるわけではない。でも、目の前でゆるやかな自殺を宣告された。
それを良いことと受け入れられない違和感を。うまく言葉にできなかった。
それを誤魔化すように、問いを重ねる。
「君は、それで幸せなの?」
「は?」
虚を突かれたような顔で、ナタリーはクサヴェルを見た。
「村から根こそぎ食料を持って行って、おれからも毛皮や干し肉をあるだけもらって。それで幸せ?」
「……そう言うなら、貴様もどうなんだ?」
ナタリーが静かに問い返す。
「貴様は自身の幸せのために、私を攫った。私の感情を無視して。それで貴様は幸せなのか?」
「まだ幸せじゃないよ」
クサヴェルは即答した。ナタリーが目を見開く。
「なら――」
「おれは、結婚相手にも幸せになってほしいんだ。だから、これから君を幸せにしていく」
クサヴェルが前に踏み出す。ナタリーの足が後ろに下がった。
「貴様……その幸せの下に、どれほどの屍を積むつもりだ?」
「誰も殺すつもりなんてない。でもおれは、幸せにならなきゃいけないんだ。それを邪魔されるなら、奪われるなら、俺はそいつを殺すよ。そして、おれは君と一緒に幸せになる」
ナタリーが引くよりも早く、クサヴェルは彼女の手を握り締めた。
ぞわりと嫌悪感が二人の体を貫く。クサヴェルの手の甲に再び痣が現れる。
痣が痛い。背骨を凍らされたように痺れる。
強く握られているわけではないのに、ナタリーはその手を振り払えなかった。
「……その幸せというのは、悪魔との取引か?」
「そう。幸せになって死なないと、俺は悪魔の奴隷にされる」
「…………」
ナタリーはクサヴェルを見つめる。その目はどこか怯えているような、呆れているような、複雑な感情を映していた。
「……悪魔憑きは本来、聖武具に耐えられない」
ナタリーはそんな言葉を呟いた。
「触れただけで皮膚がただれる。私もその現場を見た。なのに、貴様は聖武具の力が効かない」
「うん」
「だから、貴様を監視する。貴様を殺す方法が見つかれば、即座に処刑できるように」
「つまり、一緒にいてくれる?」
「勘違いするな。聖武具が効かない悪魔憑きなど前代未聞だ。貴様を野放しにするわけではない」
「……うん。それでいい」
クサヴェルはゆっくりと微笑んで、ナタリーの手を離した。
ナタリーはまた神経質そうにハンカチで手を拭いて、訊ねる。
「それで? どこへ行くつもりだ」
「まずは食料と水探し。ぜんぶ無くなっちゃったから」
「……食料か。どこかの村に辿り着けるといいのだが」
「え?」
クサヴェルが首をかしげる。
かさり、と茂みが動いた。
顔を覗かせたのは、灰色の毛並みの狼だった。
続々と、まるで囲むように狼の群れが茂みから現れる。
その目は闇よりも黒く、涙のように粘性の高い黒い液体を流している。
滴り落ちたそれが、地面をじゅうと焼いた。
「魔物の群れだ。監視していたようだな」
「やった」
警戒を解かないナタリーに対し、クサヴェルはガッツポーズをとる。
「狼なら毛皮も手に入る。寒さをしのげるよ」
「呑気だな、貴様は。というか、倒すだけの武器はあるのか?」
訊ねるナタリーの前で、クサヴェルは腰から二本の短剣を抜く。
「拾い物だけど、お気に入りなんだ」
「……そうか」
ツッコミを放棄して、ナタリーも斧を構える。
「せいぜい奮闘することだな」
アオーン
一匹の遠吠えを合図に、魔物の群れが襲い掛かった。
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