20.沢を下る
夜が明けると、クサヴェルとナタリーは洞穴から出た。
そこから川に沿って下流へと進む。ナタリーはなにも言わなかった。
「ねえ、もし教会から逃げ切れたらなにがしたい?」
クサヴェルが唐突に訊ねる。
「……逃げ切れると思っているのか?」
「おれ、捕まりたくないもん。死にたくないもん。頑張って逃げたら、教会も諦めてくれるかもしれないじゃん」
「教会の執念深さを侮るな。それこそ地の果てまでも追ってくるぞ」
「地の果てってどこ?」
「もののたとえだ。どれだけ遠くまで逃げようと、決して諦めず追ってくるってことだ」
「えー。でもさ、逃げ続けて、追手も殺し続けたら、いい加減諦めてくれると思うよ?」
「…………。それができれば苦労はしないがな」
「そうかな?」
クサヴェルはナタリーを振り返った。
「ねえ、おれがいたら、世界はどうなるの? おれがただの人間だったら、教会は殺す? 異端者だったら? 悪魔憑きだから?」
両手を広げて訊ねる彼に、ナタリーは答えられない。
目を伏せ、絞り出すように答える。
「…………。考えたことも、なかった」
「そうなの? 今は?」
「…………。悪魔憑きも、異端者も、教会にとっては同じだ。自分たちに害をなす者。だから教会はそうした者たちの生存を許さない」
「だから、殺す?」
ナタリーは頷いた。ぎこちなく口元が歪み、吊り上がる。
「おかしいな。今の今まで、教会というのは世界に残ったたった一つの秩序だと思っていた。……だけど、これじゃあまるで、独裁者だ」
「君は嫌?」
クサヴェルの問いに、ナタリーは首を横に振った。
「嫌かどうかすら、わからない。なんだろう……いままで立っていた土台が崩れて、どうしたらいいかわからない」
「そっか」
クサヴェルが言う。
「じゃあ、一緒に探そう」
「え?」
ナタリーは顔を上げた。目の前でクサヴェルが笑う。
「教会がどうとか、そういうのは一回置いといてさ。君の好きなものも嫌いなものも、一緒に探そう?」
「…………」
ナタリーは呆然と彼を見た。
「……貴様は、本当に教会から逃げ切れると思っているのか?」
「うん」
即答される。
「おれは幸せに生きて死にたい。それ以外で死にたくない。絶対に。だから、おれの幸せのために、君の幸せを探したい」
荒唐無稽だ。
あまりにも馬鹿げた空論。少し前のナタリーなら、一笑に付していたはずのもの。
それを、眩しいと思った。
「……度し難いな」
ため息交じりに言う。
「えー!?」
「行くぞ。教会の追手を撒くのだろう」
「いたっ、待ってよ!」
腕を軽く殴ってやって、歩き出す。
隣に並んだクサヴェルが言った。
「ねえ、好きなものがわからなかったら、嫌いなものからまず探すのはどう?」
「そうだな……。まず魔物の肉は嫌いだ」
「なんで!? 美味しいのに」
「食うに困ったら、食べないでもない。が、平時から食べられる貴様の気が知れん」
「えー……。他には?」
「ゼルニケだな。私のことを喜色悪い目で見ていた聖騎士がいただろう?」
「ああ……。え、あれと同じレベルで嫌いなの?」
「そうだ」
「ショック……」
目に見えて落ち込むクサヴェルに、ナタリーは肩を震わせる。
「あとは……冷えた料理というのも苦手だったな。下賜されたものだから好き嫌いなんて言っていられなかったが、冷たい食べ物は体が芯まで冷えた」
「わかる。あったかいご飯の方がずっと美味しいよね」
「あとは寒いのも嫌だな。かといって暑すぎるのも嫌だ。寒いと体力を奪われるし、暑いと鎧が蒸れる」
「……脱いだりしないの?」
「変態か、貴様?」
「じゃなくて! 半袖とか、涼しい服装ってないの?」
「ないな。さすがに鎧の下は涼しい生地にさせてもらっているが、このマントは年中同じ素材だ」
「えー……。暑くない?」
「便利な言葉があるぞ。『これも試練の一つだ』」
「そんな試練いらない。ていうか、おれ、試練とか嫌だ」
「そうか。……そうだな」
ナタリーは頷いた。
「辛いのは、嫌だな」
嫌いや苦手といった感情とは無縁の生き方をしていたと思ったが、蓋を開けてみたら意外と多い。
教会で暮らしている間、楽しいことはあっただろうか。同世代の子どもと遊んだ記憶はあっただろうか。
歩きながら記憶を辿る。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと孤児院の頃の記憶をな……」
ある程度成長した子どもたちは、孤児院の隅の部屋でひたすら勉強をしていた。それは計算問題であったり、文字の勉強であった。
職員の目を盗んで部屋を抜け出し、遊んでいた子供は仕置き部屋に入れられていた。だからナタリーたちは日が出ている間、畑仕事と洗濯、掃除、勉強のいずれかしかしていなかった。
そのさらに前に、遊んでいた記憶があっただろうか。
「……ああ」
意外と簡単に思い出せた。
「あれは、少し楽しかった」
「お、どんなこと?」
クサヴェルが顔を覗き込む。それが気恥ずかしくてナタリーはフードを被り直した。
「まだまだ小さい頃だ。探検ごっこと称して、同い年くらいの子どもが先導して孤児院の周囲を歩き回ったんだ」
孤児院に来て間もない頃――もしかしたら物心がついた頃だったかもしれない。小さな子どもにとって、目に見えるすべてが新鮮で、想像力を掻き立てた。
「孤児院の裏に古い井戸を見つけてな。そこがどこか遠い場所に繋がっていると思って、全員で中に入ったんだ」
「どこに繋がっていたの?」
「いくつも分かれ道があったから、全貌は掴めていない。だが、辿り着いたのは隣にある教会の中だった」
「へー。不思議だね」
「ああ。おそらく有事の際の逃げ道だったのだろう。その後は全員で思いっきり叱られてな。その日は夕食なしだった。床に座らされて、他の子が食べているのを眺めているのはなかなかキツかったな」
「…………。楽しい思い出だったんだよね?」
「一応な」
それ以来、古井戸に近付いたことはない。おそらく埋められているだろう。
「楽しかったのはそれくらいだ」
「そっか……。じゃあ、これからもっと作っていこう」
「できるのならな」
「できるさ」
クサヴェルは断言した。ナタリーは思わず彼を見る。
「なぜ言い切れる?」
「え? だって、教会だと辛いことや嫌いなことの方が多かったんだろ? その教会から離れた今なら、楽しい思い出とか好きなことを見つけやすくならない?」
「理屈になっていないぞ」
そう反論するが、彼の言葉には妙な説得力があった。
確証なんてない。理論的でもない。だけど、相手を信じさせるなにかがあった。
「そうかな?」
クサヴェルは首をかしげる。
「少なくとも、おれはそう信じてるよ」
「楽天的だな、貴様は」
「ひどーい!」
クサヴェルが叫ぶ。ナタリーは無視して歩いた。
そのやり取りが心地よくなり始めている。けれど、決して悪い気はしなかった。
「みぃつけた」
第三者の声が降ってきたのは、その時だった。
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