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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ仇桜【改訂版】  作者: 一ノ瀬 星羅
第1章
9/37

遭遇(1)

寒い。


それが意識の中最初に浮かび上がった言葉だった。


雨が降っているのだろうか。


霧のように細やかな水滴がしっとりと肌を濡らしていた。喘ぎながら吸い込んだ空気が焼け付いた喉を冷やして潤す。


顔を濡らす雫が閉じた瞼に入り込んだ。それを潤滑油にしてゆっくりと瞬きをする。


雨雲を通して白く光る空。雨粒に飾られた枝葉。ベットのように体を包み込むシダの葉。


美しかった。優しく景色を彩る光も、微風で揺らぐ木の葉が奏でる音も、肌をくすぐるシダの葉の感触も、全てが美しく、愛おしかった。


もう一度大きく息を吸う。今度は含まれる水分に咽て何度も咳が出た。やっと落ち着くと体がシダの中に沈み込む。


「生きてる……。」


掠れた声でそんな言葉が零れ出ていた。可笑しなことだ、私はもうとっくの前に死んでいるのに。


しかし今はその言葉が相応しい気がした。つんと鼻奥が痛み、口元が戦慄く。


私はそのまま寝ころびながら空を見上げ、雨粒が混じった涙を流していた。


暫くの時が経ち、雨が上がる。雲間から差し込み始めた陽光に応えるかのように、鳥は囀り、虫は騒めき、生物の営みの気配が現れだした。


本当に森の中みたいだ。


私は未だに靄が掛かった頭でそう思った。


ここは一体どこなんだろうか。


地獄ではない事は分かる。あそこにはこんな穏やかな景色は無かった。生き物らしい生き物なんていなかった。あそこは罪人を苦しめる為だけに存在した世界だったのだ。


雨で冷えたのだろう、金縛りのように固い体に鞭を打ち、腕を持ち上げて脇腹を摩る。


地獄で負っていた傷が治っていた。無くした左足もきちんと感覚がある。


地獄での負傷は死ぬとリセットされる。だが、私はあの時まだ死んではいなかった。


いったいどういう事なのだろう?それともあの地割れに呑み込まれた際に死んでこちらに来たのだろうか。


何も分からない。けれど、ずっとこのままの状態ではいられないだろう。


私は呻きながら腕に力を入れて体を起こした。途端に目眩で視界が回り地面に倒れ込む。


体が動かない。想像以上に長く倒れていたようだ。


その時、がさりと草を踏み締める音が届く。


何か来る。そう思った瞬間に脳裏に過ったのは地獄で追い掛け回された野犬。


恐怖で体が震え出した。


駄目だ、動いては。音で気付かれる。それにこのまま動かなければシダの葉が体を隠してくれるだろう。しかし匂いは?雨で誤魔化せているだろうか?


不安の鼓動を耳にしながら息を殺して強く目を閉じた。


どうか、どうかこのまま通り過ぎて……!!


だが願いは虚しく、音はどんどん近づいてくる。しかし同時に違和感を覚えた。


聞こえてくる音は一定のリズムで草を踏み締めているのである。まるで人間が歩くように。


「こちらから音がしたような気がしたのだが……。」


その予感に応えるかのように人の声が聞こえた。低い、男性の声。次いで駆け寄ってくる足音。


「なんと……!生きておるのか?意識はあるのか、おい!!」


焦った様子で私の側に膝を付いた人は、壮年の僧侶だった。


黒い着物の上に袈裟を纏い、更に雨除けの蓑を着込んでいる。被った編み笠からのぞく面は気難しそうな顔つきで、私を見下ろしながら深刻そうに寄せた眉がそれに拍車を掛けていた。


なんでこんな所に人が?


呆気に取られ目を瞬く私の様子に、意識はあると判断した彼は、おっかなびっくり指先で私の頬に触れた。


「冷え切っているではないか。このままでは死んでしまうぞ。動けるか?」

「あ、え……?」


未だに状況に対して脳みそが追っつかない私はまともな言葉すら喋れず、彼はそれをじれったく思ったのか着ていた蓑を脱いで荒っぽく私に被せた。


「すまんな、ここにいては体力を消耗するだけだ。年頃の娘が男に触られるのは思うところがあろうが、今は目を瞑ってくれ。」


そう言うと彼は私を蓑ごと抱え上げた。体が思うように動かない人間を軽々と抱える膂力に驚く。


「少し歩けば川辺がある。そこまでの辛抱だ。」


彼はそう話し掛けると歩き出し、私はその揺れに誘われるように瞼を閉じた。

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