104話 ひとつの終わり
「お疲れ様」
楽屋に戻ろうとしていた俺たちに最初に声をかけてきたのはマシューだった。その表情はいつもと変わらない笑顔のように見える。
「マシューさん」
「何も言わなくていいよ。君たちが決めたことだ。それの是非を判断するのは僕たちじゃないしね」
それだけ言って、マシューはステージ袖へと向かっていった。莉子はこちらに視線を向けることも無く、無言でそれについて行く。牡丹はにやけ顔だったが、何も言わなかった。
「思い切ったことするね」
すれ違いざま、そう言ったのはダンボだ。レジェンドの目から見て、俺たちの挑戦はどう映ったのだろうか。
楽屋に戻ると、川島さんと日下部さんが俺たちを待ち受けていた。閉めた扉の向こうから歓声が聞こえてくる。おそらくマリッカのメンバーがステージに上がったのだろう。
「どういうつもりなのか、聞かせてもらえますか」
川島さんは毅然とした態度で、真っすぐにこちらを見据えてくる。その表情からは静かな、しかし強い怒りが感じられた。当然だ。俺たちは約束を破ったのだから。
日下部さんはその隣でバツの悪そうな顔をしていた。こちらに向けている視線は恨めしそうだ。それも仕方ないことだと思う。せめて、事前に相談していれば違ったのかもしれないが。
「何故セットリストを変更したんですか? スローな曲は無しで、とお願いしましたよね?」
心臓の鼓動が早まり、嫌な汗が滲み出る。わかっていたこととはいえ、やはり糾弾されると息苦しい。
重苦しく横たわる沈黙の中、漏れ聞こえてくるマリッカの演奏がやたらと耳に残った。
「それは……」
「いいよ、玲。俺から話す」
だが、俺たちには説明する責任がある。義務がある。自分勝手な承認欲求のために、たくさんの人に迷惑をかけたのだから。
「演奏する曲を変更したのは、お客さんに自分たちの音楽がどういうものかを知ってもらいたかった……いや、知らしめるためです」
言い訳はできただろう。でも、ここで嘘をついてはいけない。それをするくらいなら、最初から予定通りにこなせばよかったのだから。
「今日の主役はマリッカで、あなたたちの役割はオープニングアクトですよ? 立場、わかってますか?」
川島さんの語気が強くなっていく。冷静に話をしようとしてくれているのだろうが、怒りが滲み出ているようだった。
「わかっています。でも、こうしなきゃいけないと思ってしまったんです。どうしても、止められなかったんです」
「何を言っているのかわかりません。こうしなきゃいけないと思った? 止められなかった? 本当に、何を言っているんですか。仮にそう思ったとして、何故事前に相談してくれなかったんですか。観客の反応を見ましたか? 盛り上がるどころか、冷え切っていたじゃないですか。そんな、あなたたちのエゴのために……」
川島さんは拳を握りしめている。飛び入り参加のような形で同行している俺たちに好き勝手やられたのだから、その怒りは正当なものだ。改めて、俺たちのしでかしたことの罪深さを感じずにはいられない。
だが、その罪悪感からも逃げてはいけない。
「川島さん」
「……」
「話を聞いてくれて、ありがとうございます。問答無用で俺たちを切り捨てたって良いはずなのに。本当にありがとうございます」
「何を言って……」
「俺たち、本気で世界を征服するって決めたんです」
タイミングを見計らったかのように、フロアから大きな歓声が上がった。それがマリッカに向けられたものだとわかっていても、背中を押されたような気がした。
「世界……征服? 今そう言いましたか?」
「馬鹿げていると思いますか?」
「それは……」
自分でもズルい言い方をしたと思う。普通の人なら、音楽で世界征服をするなんて発言は一笑に付して終わりだろう。だけど、川島さんにはそれができない。俺はそう確信していた。
「昨日初めて同じステージに立ってみて、マリッカがどれだけすごいバンドなのかがわかりました。きっと、日本の音楽界を背負って立つバンドになるんだと思います。そう時間もかからないうちに」
「……それがわかっていながら、自分たちのエゴを通したと言うんですね」
「はい。もっと正直に言えば、マリッカのメンバーと川島さんなら理解ってくれると思ったから、というのもあります」
「それは甘えです」
「ぐうの音も出ません」
川島さんは大きな溜め息をついて、うつむきながら首を横に振った。
「あなたたちの言い分はわかりました。ただ、この先の処遇についてはマリッカのメンバーや土田とも協議させてもらいます。それでいいですね?」
「わかりました。ありがとうございます」
マリッカは俺たちから逃げるようなことはしない。土田さんならなおさらだ。ひとまず、難所は乗り切ったと考えていいだろう。
「え? 川島さん今ので許すんすか? 自分には何が何だかさっぱり……」
「許してなんていませんよ。次に同じことをしたら、誰が何と言おうと私の独断でcream eyesのツアー同行は中止しますから」
やっぱりめちゃくちゃ怒っている。もうちょっと柔らかい感じになるかと期待したけれど、そこまで甘くはなかったようだ。
「日下部さん、あとはよろしくお願いします」
「あ、はい! 任せてくださいっす!」
そう言って川島さんはドアノブに手を掛けた。一瞬動きが止まったが、こちらを振り返ることなく、そのまま部屋の外へと出ていった。
「はー、もー、焦ったっすよ~! 何してくれてんすかマジで~」
扉が閉じると同時に、日下部さんはその場にへたり込んだ。おそらく、この場面で一番心労を負ったのは彼だったのだろう。
「本当すいませんでした」
「いやいやいやいや、自分じゃなくて川島さんに謝って欲しかったっすよ」
自分たちは間違ったことをしたとは思っていない。信念を持ってやったことだから、それ自体を咎められても謝る気はなかった。
だけど、その俺たちの行動によってライブハウスのスタッフや日下部さんに迷惑をかけたことは事実。だから、そのことについては素直に謝ることができたのだ。
「朔さんって長い物には巻かれるタイプだと思ってたっすけど、案外意固地なんすね」
「そんなことないですよ。思いっきり巻かれるタイプです」
今回だって、自分一人ならこんな結論には至らなかったし、川島さんと言い合うことも無かっただろう。俺の本質は事なかれ主義のヘタレなのだ。多分、玲の影響が大きいのだと思う。
「で、結局どういうことなんすか? 世界征服するためーで、何で川島さん納得するんすか」
「納得したかはわかりませんけど……」
楽屋に入った瞬間から、川島さんは俺たちへの怒りを抑えきれていなかった。それはつまり、それだけマリッカというバンドの成功を願い、このツアーに強い意気込みを持っていたということだ。そんな川島さんの本気がわかったからこそ、俺は確信したのだ。
「本気で世界平和を目指すマリッカを本気で応援している人が、本気で世界征服を目指すと言った俺たちを否定できないってことだと思いますよ」
本気の度合い。本気度。以前、琴さんが俺に語ってくれたことだ。本気で取り組んでいるバンドは、例えその内容がコミックバンドでも惹かれるものがあると。
俺たちは奇をてらってセットリストを変えた訳じゃない。このツアーの成功に害為すつもりも毛頭ない。ただただ、本気で自分たちの音楽をぶつけようとしただけなのだ。
これは賭けだった。川島さんやマリッカには、俺たちを拒絶する権利があり、そうなった場合に抗う手段は無いからだ。
そして、俺たちの本気の音楽は伝わった。少なくとも、マリッカの面々と川島さんには。賭けに勝ったのだ。ひとまずは、という言葉が付くが。
「よくわかんないっすけど、次からは絶対事前に相談して欲しいっす。マジで」
「それは本当にごめんなさい」
それについては弁明の余地もない。後でPAや照明のスタッフにも謝りに行かなくては。
フロアから大きな歓声が聞こえてくる。俺たちが作った空気などお構いなしに、マリッカは、会場を大いに盛り上げていた。やはり、一筋縄ではいかない相手だ。
そんなバンドと、こんなにも近い場所にいられることを感謝しなければいけないだろう。
「それじゃ自分は一度フロアに戻るっすから。マリッカ終わったら、またちょっと話させて欲しいっす」
「了解しました」
何だかんだ言って日下部さんは働き者だ。最初はチャラくて頼りなくて心配だったけれど、今度からはもっと色々頼って見ても良いのかもしれない。
「はぁー、川島さん怖かった~。マジびびった~」
「師匠一言も喋りませんでしたもんね」
「今回ばかりは川島さんが怒るんもしゃあないわ。完全にウチらが悪いんやからな」
「でもまぁ、悪いことできなきゃ世界征服なんてできないですから」
「私は悪者になりたいわけじゃないんですけど……」
楽屋に四人になって、張り詰めていたものが一気に緩んでいくのがわかった。世界征服を目指すのなら、こんなことでいちいち気を揉んでいられないのかもしれないが、今は仲間との柔らかい空気に甘んじていよう。この先もきっと、戦わなければいけない場面はたくさんあるのだから。
一息ついてスマートホンを手に取ると、一件のメッセージが届いていた。
「ライブお疲れ様! かっこよかったよ。何だか私の知ってる朔ちゃんじゃないみたいだった」
送り主は早紀ちゃんだった。ステージからは姿を見つけられなかったが、ライブを見に来てくれていたようだ。
「来てくれてありがとう。今どこにいる?」
「タクシーで長野駅に向かってるとこ」
「出てくの早くない? ってかマリッカ見ていかなかったの?」
「んー。何か朔ちゃんたち見てたら描きたくなっちゃってさ」
「ありがと」
「何で朔ちゃんがありがとなのよ(笑)」
「何となく」
「変なの」
「帰り道気を付けて」
「お、そういうこと言えるようになったんだ」
「茶化すなし!」
「じゃあね」
「うん、また」
この日、cream eyesのCDは160枚売れた。そして、幼いころからの俺の初恋が、ようやく終わりを迎えた。




