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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第九章】ヤング・デイズ
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103話 暗くて静かで冷たくて

 業界の中でも注目度の高いマリッカのツアーに同行し、オープニングアクトを担当する。これによって、未だ無名に近い俺たちが得るメリットは計り知れない。

 このチャンスを大切にしなければならないなんて、小学生でもわかることだ。しっかりと役割を果たし、マリッカやその関係者からの信頼を固めておけば、メジャーデビューへの道のりは約束されたようなものなのだから。


 ゆったりとしたスローナンバーを奏でていると、頭の中で声が聞こえた。それがわかっているくせに、お前は何て馬鹿なことをしているんだ、と。


 川島さんからのオーダーは、スローな曲は無しで場を盛り上げることだった。オープニングアクトの役割を考えれば妥当な要求だ。しかもそれは、マリッカのことだけを考えての要求ではない。マリッカとcream eyesではバンドの色がかなり違うので、世界観が強く出る曲より単純に盛り上がれる曲の方が、観客のウケが良いと考えてくれていたのだ。

 初日はそれに従って、バンドの中では比較的アップテンポな曲を3曲選んだ。実際、観客の反応は悪くなかったし、持ち込んだCDも16枚売れた。このまま地道に続けていれば、きっと俺たちの評価もじわじわ上がっていっただろう。


 やっぱり、この決断は間違っていたんじゃないだろうか。


「自由があって 電気も法律もない

 二人だけの ママもいない国」


 そんな弱気な自分が出てくると、それを玲の歌声が優しく包み込んでくれた。蕩けてしまいそうな空気の中で、迷いは消えず、不安は常に寄り添っている。

 それでも、あぁ、そうだ。たとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 これが俺たちの、cream eyesの音楽だ。これが玲の歌だ。これが、俺の信じたものだ。


「もうすぐ冬が来るね」


 初めてこの曲を演奏したのは、まだ冬には遠い6月の終わりだったな。


「白くて 綺麗さ」


 大量のスモークに包まれ、白色のLEDライトがぼんやりと照らすステージは、まるで雪原に立っているみたいだ。


「もうすぐ星が出るよ」


 今日は晴れているから、実家の近くならきっと星がたくさん見えるだろう。


 不思議と言葉が溢れてきた。周りの音がよく聞こえる。視界がハッキリしている。何だか、とてもいい気分だった。

 事前に提出したセットリストとも違う、リハーサルでも演奏していない曲。それにも関わらず、PAや照明は上手く対応してくれていた。有難いことだ。これがプロの仕事なのかと感服する。きっと、現在進行形で多大な迷惑をかけているに違いない。


 川島さんはどんな顔をしているだろうか。頭を抱えているかもしれない。約束を守らなかった俺たちへの怒りに震えているかもしれない。


 日下部さんはどう思っているだろうか。


 マリッカは、どう見ているだろうか。


 土田さんがいたら何て言うだろうか。


 届いているだろうか。


 演奏の終わり、ライトが一瞬フロアの方に向き、観客の顔が見えた。笑っている人は誰もいなかった。


「こんばんは。cream eyesです。今はただ、私の歌を聴いて」


 これはマリッカのライブツアーで、俺たちの役割はオープニングアクトだ。こんなセリフ、場違いもいいところだし、勘違いも甚だしい。昨日と同じように、マリッカとスタッフに感謝するMCをしておけば角も立たないのに。


 でも、それでいい。普通のままではダメなんだと、そう決めたのだから。


 フロアは静まり返っていた。観客たちはただ茫然とこちらを見つめている。玲や京太郎がチューニングをする、エレキギターの生音がわずかに響くだけの空間。誰一人、言葉を発していなかった。

 その静寂が何を意味するのか、考えることはとてもとても恐ろしい。でも、それだって覚悟していたことだ。リスクは承知で、こうしているのだ。

 これはマリッカのライブツアーで、俺たちの役割はオープニングアクト。だけれども、今この瞬間、ステージに立って音を奏でているのは紛れもなく俺たちだ。誰も俺たちを見に来ていないと言うなら、無理やりにでも振り向かせなければいけない。


 だから、ねじ伏せる。


「月の無い夜に 僕らは進む

 冷たい風が思い出を揺らすけれど

 振り返らないと決めたんだ」


 暗闇に光を差すように、アルペジオと玲の歌が空間を満たしていく。今日が初披露となる新曲「ポラリス」だ。


「街角のシネマ 黄色い看板

 噴水枯れた公園の向こう

 シルクのスカートが汚れても」


 豊かな倍音を含んだレスポールジュニアの美しい音色と、優しくも力強い玲の歌声が絡み合う弾き語り。これは莉子が持たない玲の武器だ。ギターを始めて半年あまりで、よくぞここまでと唸らずにはいられない。


 琴さんが両手を振り上げ、そのスティックがクラッシュシンバルにぶつかる瞬間、俺と京太郎もお互いの弦を弾く。その時、視界に映る景色が変わった気がした。


「誰かが決めた答えはいらない

 優しさも悲しさも愛もいらない

 その声と指だけ すぐ傍に

 たとえ僕が孤独でも」


 残光に続いてスローテンポな曲。相も変わらず観客の表情は固いまま。体を揺らす人もいない。それでも、どこまでも広がって、どこへでも行けそうな気分だった。


「月の無い夜に 僕らは進む」


 二曲目が終わり、それで俺たちの持ち時間も終了した。


「ありがとうございました」


 玲の挨拶の後、まばらな拍手に見送られながら俺たちはステージを降りる。そして、全員がステージ袖で倒れ込んだ。


「やったな」


「やっちまった」


「やったなぁ」


「やりましたね」


 やがてフロアにBGMが戻り、観客たちが喧騒を取り戻す。それ以上誰も何も言わず、楽屋にも戻らず、俺たちはしばらくその場で雑音に耳を傾けていた。

 もしかしたら、何を見せられたのか理解していない観客もいたかもしれない。少なくとも、会場の熱気はまったくと言っていいほど上がっていない。


 俺たちは、与えられた役割を果たさなかった。


 怒られるかもしれない。失望されるかもしれない。この先のツアー同行を打ち切られるかもしれない。


 だけど、後悔は微塵も無い。


「あはははは」


 誰からということもなく、自然と笑いがこぼれていた。

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