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第1話 天才魔術師とその助手




「惚れ薬を作ることになった」



王太子に呼ばれたと不機嫌そうに出ていってから数十分後、ますます不機嫌になって戻ってきたユリウス・フローベルが扉を開けるなり、そう言い放った。


ユリウスが放り出していた書類に目を通していた助手のイザベラは渋々顔を上げる。


どこで道草をしてきたのかはわからないが、さっき整えたはずのユリウスの落ち着いた色の金髪が乱れている。


小さくため息を吐きながら、読みかけの書類に保留の付箋を貼り、イザベラは立ち上がる。


ユリウスは大股で部屋の中に入り、入り口の向かい側にある自身の席へと一直線に向かった。



「...まったく、急ぎの案件だからとほざくから、わざわざ赴いてやったのに、惚れ薬の作成依頼とは...。時間と体力の無駄だった」



荒々しく車輪付きの椅子に腰を落とし、ユリウスは足と腕を組む。


まるで自主的に王太子の呼び出しに赴いた言い方をしているが、絶対に行きたくないと駄々をこねたユリウスを宥め、身嗜みまで整えたイザベラは小さく肩を落とす。


労力のわりに、成果がまったく見られない業務にイザベラは意気消沈しながら、コーヒーポットに水を入れる。


ポットの裏にはコーヒー生成の魔術陣が刻まれており、水を入れるだけで湯気が立ちのぼり、香ばしい匂いと共にコーヒーが出来上がる。


ユリウスは猫舌のため、更にここから冷まさなければならない。しかし、ぬるすぎても文句を言ってくるため、イザベラは慎重に温度を見定める。



「...それで、なんで惚れ薬を作ることになったんです?」



ユリウス好みの丁度いい温度のコーヒーが入ったコップを机に置き、イザベラは首を傾げる。


コップを手にしたユリウスは、既にイザベラがほどよく冷ました後なのに、警戒するようにコーヒーに息を吹きかけ、ゆっくりと口に含む。



「あの馬鹿、適齢期をとうに過ぎていると言うのに結婚しないことを陛下に指摘されたらしい。このままだと政略結婚を企てられると泣きついてきたが、そんなこと知ったこっちゃない」


「...それじゃあ、なんで引き受けたんですか?」



こんなに悪態をつきながらも、ユリウスは戻ってきて開口一番に惚れ薬を作ると宣言したのだ。


話を聞いている限り、引き受ける流れにはなっていない。



「あの馬鹿の結婚などは心底どうでもいい。だが、惚れ薬。こいつには興味をそそられる。なにせ、まだ誰も作ったことのない代物だ」



ユリウスは頬杖をつき、得意げに口角を上げる。


この国に魔術が学問として扱われ始めたのはほんの百数年前、最近のことである。


魔術のおかげで医療技術が飛躍的に上がり、様々な薬が魔術により精製され、今では治せない病はないとまで言われている。


確かに、世に出されている薬の中で、惚れ薬なんてものは存在しない。


しかし、それは倫理観的に危ういものだと、一般的な常識がある魔術師が考えてみればすぐわかることだ。


ーーそう、常識がある魔術師ならばの話だ。



「まさか、先生。自身の好奇心を満たすために、引き受けたんですか?」


「当たり前だ。そうでなければ、あの馬鹿の依頼など誰が受けるか」


「他にもいっぱいやらなきゃいけないことあるんですから、そんな理由で引き受けないでください!!」



部屋中、山のように積まれた手つかずの書類を指差し、イザベラはユリウスに詰め寄る。


しかし、ユリウスはそんなこと知るかと言わんばかりに山積みの書類には目もくれず、また一口、コーヒーを口に含む。


そんなユリウスの態度に、イザベラは拳を握り、わなわなと震わせる。


この男、稀代の天才魔術師と謳われるユリウス・フローベルの助手になってから早1年。


いったい何度目かわからない怒りの衝動が、イザベラの体中を駆け巡る。


しかし、車輪付き椅子を器用に使いこなし、部屋中を移動するユリウスの姿を眺めているうちに、徐々に収まってくる。


いけない、先生は成人男性に見えて、中身は赤ちゃんなのだから、わたしが大人にならなければ。


気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をする。


ユリウスのわがままは今に始まったことではない、一時の興味で仕事が滞ることなんて今まで何度もあったはずだ。


まぁ、それが溜まりに溜まりまくって、今の書類だらけの研究室という現状になっているのだが。しかし、これでも少なくなったほうだ。


イザベラが助手として配属された時なんて、書類の山が雪崩を起こしていて、足の踏み場もない状態だった。


大きくため息を吐くと、部屋の奥で何かが盛大に落ちる音が聞こえてきた。


慌ててその場に駆け寄ると、膨大な魔術書の下敷きになっているユリウスを発見する。



「先生!?大丈夫ですか!?」



魔術書の山からユリウスを引っ張り出す。


大方、考え事をしながら椅子で移動していたため、目の前の障害物に気付かないまま突進したのだろう。


考え事に集中しすぎると、気付いたら命の危機にさらされていることなどしょっちゅうである。


イザベラの心配をよそに、ユリウスはすでに惚れ薬のことで頭がいっぱいなのか口元に手を当て、呪文のように小さく呟き続けている。


こんな状態になったらどんなに話しかけても返事が返ってこないので、イザベラはどうにかユリウスを起き上がらせ、上半身を壁にもたれかけさせる。


中身赤ちゃんのくせに、体は立派な大人なので毎回運ぶのに苦労するが、仕方がない。


この様子なら、そんな長い時間かけずとも惚れ薬を完成させるだろう。


なんせユリウスは魔術のことに関してだけは天才的なのだから。


イザベラは邪魔にならない程度にユリウスから距離を空け、しかし決して目を離さないように、中断していた書類作業を再開する。


そんなイザベラの予想に反し、数日経ってもユリウスが惚れ薬を完成させることはなかった。





自身の机に向き合い、あーでもないこーでもないと苛立った様子のユリウスを横目にイザベラは作業を進める。


いつもなら、常人では理解不能な理論を持ち出し、あっという間に解決させているのに、今回は思ったよりも長い。


その間も、書類がどんどん溜まっていくので、早く終わらせてほしいのだが、余計なことを言うとますます機嫌を損ねるので、静観することにしている。


しかし、ユリウスのほうが先に限界が来たのか、声にならないうめき声を上げながら、電池が切れたように机に顔を突っ伏す。


そんなユリウスを見て、イザベラはいつも通りユリウス好みの少し温度が下がったコーヒーを用意する。



「珍しく行き詰まってますね。何か問題でも?」



机にコーヒーを注いだコップを置きながら、さりげなく聞いてみる。


コーヒーの香りで顔を上げたユリウスはゆっくりと面倒くさそうに体を起き上がらせる。



「...薬を作ること自体は簡単だ。要は恋という感情を意図的に引き起こせばいいだけだ」


「...なら、もう出来上がってもいい頃合いでは?」



イザベラの純粋な質問に腹を立てたのか、ユリウスは不服そうに拳を机に叩きつける。



「その、恋、とやらが解明できないから、こんなことになっているのではないか!!」


「あー...」



不覚にもなるほどと、納得してしまった。


魔術以外ポンコツなユリウスは、当然人の感情を理解しようとする機能が壊滅的に弱い。


中身はコレで、行動も赤ちゃんだが、黙っていれば外見だけはそこそこよろしいので、今までも何人もの相手から好意を寄せられてきてはいた。


しかし、他人に興味が持てない上に、人に関わることは非効率的かつ時間の無駄だと相手の好意を受け入れる前の段階で拒否反応を見せるので、恋など繊細な感情がわかるはずないのだ。



「...それは、困りましたね」



しかし、イザベラも今まで誰かに好意を持ったことがないので、人のことをとやかく言える立場ではなかった。


今回の依頼、思ったよりユリウスと相性が悪そうだなと少しだけ頭を悩ませると、イザベラは思い出したかのようにひらめく。



「王太子殿下に、直接聞いてみればいいじゃないですか?」


「何を?」


「恋とはいったい、どんな感じなのかと」



心底嫌そうな顔を向けられたが、ユリウスのためを思ってのことなので引くつもりはない。



「政略結婚が嫌で、惚れ薬を所望したということは殿下は今、好いている女性がいる可能性が非常に高いです。殿下の依頼なんですから、惚れ薬を作るために必要だと言えば、無下に断られることはないでしょう」



言い訳する隙を与えまいと、距離を詰めながら一気に言葉にする。


ユリウスはイザベラの顔を一瞥すると、不服そうに顔を背ける。



「先生は天才ですから、殿下の話を聞いて、恋がわかれば、惚れ薬なんてすぐ出来ますって!!」


「......」



車輪付き椅子に深く体を預けたユリウスは、考え込む素振りを見せながら、クルクルとその場で回る。


よし、もう一押し。



「先生が、惚れ薬完成させるところ早く見たいです。きっと、素晴らしい出来のものが出来ると信じています」



子供をおだてるように、わざとらしく声を上げると、ユリウスの動きが止まる。



「...ふん、そこまで言うならあの馬鹿に話を聞いてやってもいいだろう」



まだ若干納得してはいないようだが、褒められて満更ではなさそうだ。



「それじゃあ、先生。善は急げです。今すぐ王太子殿下を訪ねに行きましょう!」



機嫌を損ねる前に行動あるのみということで、ユリウスの腕を引き、椅子から立ち上がらせる。


例のごとく、頭がボサボサなので、整えるために手を伸ばすと、いつものことなのでユリウスが少し身を屈める。


念のために衣服に乱れがないか確認し、特に目立った汚れはなかったため、そのまま部屋の入り口まで連れて行く。



「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい。寄り道しないでくださいね。道端の石ころに足を取られないでくださいね。ちゃんと前を見て歩いてくださいね」



およそ成人男性に言うべきではない言葉を連ね、ユリウスを見送る。


少し不服そうだったが、笑顔で手を振り続けていると、観念したかのように身を翻し、歩き始める。


ユリウスの姿が見えなくなると、イザベラはすぐに研究室の扉を閉める。


...子供の見送りかよ...。


まだ昼前だと言うのに疲労が一気にきたイザベラは扉に額をつけ、静かに息を吐いた。


少し早いけど、昼休憩にするか...。


ユリウスがいなくなり静かになった部屋で一人、イザベラはかなり温くなったコーヒーを一口飲み、一息ついたのであった。





数十分後、早めの昼休憩を終え、終わりが見えない書類作業に取りかかっていると、研究室の扉が勢いよく音を立てて開かれる。


顔を上げると、呼吸が乱れ、肩で息をするユリウスと目が合った。



「...何か、あったんですか?」


「...何か、あったではない!あの男、突然剣を振り回し、えらい剣幕で追い回してきたんだぞ!!」



信じられないことでも起こったかのように、眉をつり上げ、憤慨しているユリウスだが、イザベラはその様子でおおよその事態が把握できてしまった。



「王太子殿下に、何を言ったのですか?」



記憶の中の王太子殿下は無防備な相手に突然、剣を振り回すような野蛮な人間ではなかったはずだ。


そうなると十中八九、そうなる原因を作ったのは目の前で不機嫌そうに顔を顰めるユリウスに決まっている。



「何も特別なことは言っていない!話を聞いているうちに、あいつが意中の相手に衝動的に触れたくなるとかぬかすから、性行為がしたいんだったら、惚れ薬ではなく媚薬でも盛ってろと助言したら、顔を真っ赤にさせて突然追いかけ回してきたんだ!!意味がわからない!!」



本気で自分が原因だと思ってなさそうな態度を取るユリウスに、イザベラは呆れて何も言えなかった。



「...それで、惚れ薬は作れそうですか?」



書類の束をまとめながら何気なく聞くと、ユリウスは顔を引きつらせる。


そして、苛立ちを隠そうともせず、舌打ちをする。



「作るも何も、あの馬鹿、惚れ薬を完成させるまで、研究予算を凍結すると脅してきた」


「...は?」



聞き捨てならない言葉が聞こえてきて、手を止める。


イザベラは慌てて、ユリウスに駆け寄る。



「えっ、凍結って...どこまでですか?」


「ここの研究室に回される予算、全てだ」


「は、えっ、つまり、わたしのお給料も含まれたりなんかします?」


「......そうなる、はずだ」



さすがのユリウスもきまり悪そうに、視線を逸らしてくる。


......わたしの、生活費。


今まではユリウスが勝手に引き受けたことだから、なるべく関わらないようにしてきた。


しかし、給料が絡んでくるとなると、死活問題になり、話は別だ。



「先生!!」



ユリウスの両腕を力強く掴み、彼を見上げる。


紫水晶のような瞳が戸惑いで揺れている。



「頑張って、惚れ薬完成させましょう!!わたしも全力で協力しますので!!!」



突然の豹変ぶりに驚きを隠せないユリウスは、目を瞬かせながら、神妙な表情でイザベラを見下ろしている。


こうして、恋を知らない天才魔術師とその助手の、惚れ薬の研究が始まるのであった。




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