【血の狩猟04/鎮める刃】
シズハは、腹の底から湧きおこる衝動のままに、身体を動かしていた。
(動くのは左手一本、武器も蛮刀一本、それで充分!)
一瞬だけ深く息を吸い、息を肺の奥で押しとどめる。
重く分厚い刃を、腰だめに構えてぴたりと切先を止めた。その柄には、両手が添えられている。
焼けつくような痛みに支配されているというのに、右腕も自然と構えをとっていたのだ。
疲れ果て、傷ついているというのに、あらゆる動きが過不足なく意思の通りに動く。毛先のひとつにまで神経が通っているかのようだった。
血みどろヤギの右肩にツルハシを叩きつけたテンヌは、依然として渾身の力で押しこんでいたが、不意にシズハの方を見た。
「シズハ……?」
零下の怒りに満ちていた彼女は、驚きに目を見開いていた。
「そのまま抑えてるんだ!」
シズハは鋭く叫び、枯れ沢の砂地を蹴った。獣の顎から逃れたのもつかの間、今度は逆に刃を持ち、立ち向かう。
血みどろヤギは上下ひっくり返った頭で、またもシズハ目がけて大口を開けて迫る。血なまぐささと腐臭に、髭の焼け焦げた臭いが混ざっていた。テンヌの体重がかかってなお、巨体は眼前に肉を食らうべく突進した。
しかし――右前足が砂を踏むなり、つんのめるように動きが止まった。蹄が持ち上がらず、二歩目が踏み出せない。
肩に深々と刺さったツルハシが、関節の動きを封じているのだ。歯車の間に夾雑物が噛んだように、どれだけ動力があろうとも構造が破壊されては動くものも動かない。
「限界のようじゃな、怪獣」
テンヌは振り落とされぬよう、決死の想いで武器を握っていたのだ。彼女は歯を食いしばりながら、わずかに笑う。
「その歯、その舌……二度と届かせぬわ」
その時、シズハの手にする蛮刀はもう血みどろヤギの目の前だった。
文字通りに、目の前である。
ヤギが小さく呻くと同時に、突きこまれた切先が眼窩へと深々と刺さる。
狙った先と寸分たがわぬ位置であった。首がねじれて下向きになった眼は、腰だめに構えた刃を突き上げるに最適だった。
シズハの意識下にあったのは、テンヌが首長竜を仕留めた時の初撃だ。大敵を打ち崩すべく、急所たる眼を狙ったのである。
血みどろヤギのねじれた喉から、声にならない叫び声が上がる。
顎を開き、舌がシズハの血をすすろうとするが届かない。
普通ならば、この時点で決定打にもなりうる。だが、シズハは次の手によどみなく移っていた。
急所を潰した程度で死んでくれる、普通の相手ではないからだ。
刺した蛮刀とヤギの角とを、舵輪の把手のように握り、シズハは思い切り力を込めた。
かきょっ。
首が反転していたところから、さらに力を込めて回され、一周。
血みどろヤギの顔は、天地正しい向きへと戻った――首が捻じれ、頸椎が完全に壊れたことを除けば。
その時。頭上に絡みついていた同族の生首が、ごとりと落ちた。強い力がかかったことで、死して朽ちかけていた片方の角が折れたのだ。
血みどろヤギに残された片方の眼と、シズハの両目が正対していた。
「お前はもう、眠るんだ。飢えも痛みも知らずに」
不意に……血みどろヤギの獰猛な狂気が鎮まった。
喰らうこと以外のすべてを忘れた怪なる獣は、そのときやっと、飢えさえも忘れて眠りについた。
巨大な獣の胴体が、ゆっくりと横倒しになる。転がった首に松明の火の粉が燃え移り、煙があがりだす。
テンヌはシズハの傍らにきた。黒い三つ編みと白い長髪が並ぶ。
「ようやく……かの」
「うん。こいつはもう、動かない」
シズハはようやく、大きく息を吐いた。膝から崩れそうになり、辛うじてテンヌに支えられる。噛まれた右腕は、痛みの激しさが増して、もう力は入らない。
それでもなお、血に濡れる右手で辛うじて拳を作る。左手で包むように握って、胸の前まで持ち上げた。祈りの所作だ。
黙って目を閉じ、自分が命を絶った生き物に、せめて救いが訪れることを祈った。
シズハが顔を上げた時、テンヌが口を開く。
「それにしても……不可解じゃな。この獣、肉食に及んだうえに、異常極まる生命力……いや、生命力と呼べるのかも定かではないこの力……」
彼女は頬を伝う汗をぬぐい、不安に口を引き結んだ。
「なにをもって、こやつはこうなった?」
--
【次回予定】
10/30~31(仮)
10/24追記:再ログインできてます。




