【山林01/発揮】
「――まずは装備を整えることからはじめよう」
なんの準備もなく船を飛び出し、流されてきた現状。ふたりとも着の身着のまま――いや、テンヌにいたっては服の大きさが合わなくなったため、それより悪い。
「装備を整えるといっても、こればかりではないのか?」
テンヌが見せたのは、彼女が腰につけていた蛮刀だ。道具と呼べるものはたしかにこれ一本であった。頭領のために拵えられたそのひと振りは船員たちが扱うものよりさらに大ぶりで、シズハの肘から先より長い。
「いいや、それだけでも強い味方だ。僕がやろうとしてることにも、大いに役立つ」
「ほう?」
刃物さえあれば野外の行動はぐっと楽になる。もとより蛮刀は野外用の肉厚な刃物だ。植物の採取、藪払い、薪割りといった作業に広く対応できる。もちろん、外敵に対する自衛にも。
シズハは真下へと視線を促した。
「足元だ。まずは、君のはだしをなんとかしなくちゃ。脚絆を作ろうと思う」
先にも述べたがテンヌは履き物が合わなくなり素足で砂を踏んでいる。
「これから島を探索するのに、朽ち木や欠けた石ころのひとつも踏み抜けば刺さりかねない。足をやられれば歩くも踏ん張るも行動が制限されるし、傷が膿みだしたら命取りだ。手当の手段もないんだから」
言いながら、シズハは両手で上着の裾をまくって脱ぎかけた、が……それが借り物だったことを思い出す。自分の衣服であれば端を切り取るつもりだったのだが、もとはテンヌの服だ。
(今にして思えばサイズがぴったりの服を持ってたわけだ)
いずれにしても繊細で薄手の服であり、保護にするには強度が足りない。
「辺りを見てくるから少し待ってて。使える植物がないか探して――」
「布がいるか。ならばこれがある」
テンヌはもともと身に着けていた赤い袴を差し出した。
祝福を得ていた時の巨躯に合わせたものであり、巨大な布の集まりである。畳んであるが、薄手の毛布くらいの存在感がある。
「いいの?」
「無論。こんなときに惜しみはしない」
シズハは袴へ刃をいれた。分厚い布地に少々手間取ったが、裾のほうから帯状になるよう切り、巻きとってゆく。
「器用なものよ」
「ずいぶん教えこまれたからね」
テンヌは岩に座って足の裏から砂を払うと、「ん」と右のつま先を差し出した。
シズハはひざまずき、踵を自分の膝に乗せさせた。
彼女の白い足はずいぶんと柔らかかった。角質らしき手触りがない。
自らの足で歩いたことがないのかと思うほどだ。一応は令嬢として育てられてきて、積極的に外を出歩かない妹の足よりもよほどだ。
昨日、この足で胸を蹴られて死ぬ思いをしたのがなにかの間違いかのようだ。祝福を得た肉体と今の素態と、どういう類の変化なのかシズハには計り知れないことだった。
「それじゃ、しばらく動かさないで」
帯状に採った紅色の布を、固く巻きつけていく。手当で包帯を巻くのよりは、厚みを持つように。締まりすぎて鬱血を起こさせないように。
はじめのうち、テンヌはすこしくすぐったそうにしていたが、黙ってシズハの手つきを眺めていた。
つま先から足首、そして脛の辺りを覆い、最後に結ぶ。そつのない動きで、左右の足に施し終えた。
「はい、できあがり」
テンヌは立ち上がると、足首を動かしたり軽く跳ねたりして感触を確認した。
「ふふ、ふふふ……赤いくつしたのようだ!」
実に満足げで、新しい服を着た子供のように笑う。
大いに喜ばれているのがなにやら照れくさく、シズハはそっけなく言った。
「それじゃ、探索に向かおうか」
「うむ。いくらでも歩けそうじゃ!」
蛮刀をシズハが受け持ち、先立って森の中へ進む。テンヌは彼の三つ編みを追うようにしてそのすぐ後ろを歩いた。赤いくつしたが、乾いた土と落ち葉を踏んでいく。
ある程度を歩くごとに、蛮刀の切先で木の幹に目印をつけながら進んでいく。わりあい平坦で開けた方面に向かうが、それでも土地全体に傾斜や起伏があり、人道のようにはいかない。
シズハは注意深く視線を巡らせながら歩いていた。
「浜から一足飛びに、深山に迷いこんだみたいだ」
当初に予測した通り、植生としては海沿いよりも山林のそれに近い。
彼の眼が特に敏感に探していたのは、食べ物になる野草や、木の実の類だ。ものによってはキノコも選択肢に入るが、種類を同定できない場合は分の悪い賭けになる。
土地勘がないとはいえ、シズハの知るような植物がまったく見つからない。
手の届くようなところに木の枝葉や、背の低い野草を含め、ずいぶんとまばらだ。残っているのは筋張ったものや刺々しいものなど、とうてい食に向くものではない。また一見単なる草でも、なかには根に栄養を蓄えている種類もあるが、そういったものも見当たらない。
(思った以上に苦しい環境だぞ……環境が変わって塩害を受けた? いや、それにしては……)
森の環境が死んでいるのとも違うようだ。ところどころに、葉がなくなった若木や、土の掘り起こされた跡がある。なにか生き物がここに潜んでいることは間違いないのだ。
といっても、人間らしい痕跡ではないが。
そういえば、とシズハは思い至る。
山間というならテンヌの見知った地に近いものがあるのではないかと。
「ねえテンヌ、どう感じる?」
「見通しが悪い!」
「そんなに? ……いや、君はそうか。そうだよね」
森の光景がではなく、彼女自身の身体の問題ゆえだ。
港で腕に抱かれた時の視点をシズハは思い出す。ちょっとした梯子に上るくらいに見晴らしがよかった。
「と、そういうことじゃなくて、この森の様子をね」
問われたことで、テンヌは改めてあちこちへと顔を向ける。目線以上に、鼻先で方々を探るような仕草だ。それから眉根を寄せて、きっぱりと言う。
「鼻が利かない。どうもわからぬ」
形の良い鼻がわずかに動くが、詰まっているようだ。息は通らず、かといって洟をすすれもせず。
まさしく、うんともすんともいわない。
「普段だったら匂いで?」
「ある程度は、な。しかしここは、やけにそっけないのう」
(やっぱり休ませてた方がいいかも)とシズハは本気で心配になってきた。彼女は、普段からすればとんでもなく不利な中にいるのではないかと。
進んだものかと迷うシズハだが、テンヌは背を押した。
「そら、まだゆくぞ。いつうまそうな果実が見つかるとも知れぬのに、立ち止まってはおれぬわ」
慎重に歩いていくうちに、木々が急に開けて、下りの傾斜に行き当たった。
シズハが足を止めたのでテンヌは後ろから、肩ごしにのぞき込む。
前方には、無数の丸っこい石と砂が、左右に広く転がっている。あたりには丈の短い草が生えているが、まばらだった。そして砂礫たちのさらに先には、また木々が。
「枯れ沢だ」
シズハはため息交じりにいった。
かつて川が流れていたのだ。恐らくは天変地異で地形が変わり、水の流れがなくなったのだろう。
「川があったと思うとよけいに喉が渇くの。ともあれ、かつて水が流れていたということは、上流をたどれば湧き水があるということではないかな?」
「うん、その可能性はある。いい手がかりだ」
頷きながら、一方でシズハは思う。
(地盤ごと大変動が起きたと考えると、地下水が蓄えられる土壌が保たれているかはわからないな……水源ごと枯れていればその時は……)
悪い考えがどこまでもついて回る。それを振りほどくように、シズハは両手で自らの頬を叩き、深呼吸した。
(後ろ向きなことを考えてる場合じゃないぞ。ここで少しでも生きるために、なによりテンヌのために、真水を探し当てることは絶対に必要なんだ!)
その時。再び枯れ沢を見つめたシズハはふと、なにかを感じた。
うっすらと、肌にふれるというか、あるいは髪の毛先に触れるものがあるかのような。
テンヌがいつのまにか肩に寄りかかってきていたが、そのせいではないようだ。
またも深呼吸するとその感覚は、より強くなった。
しかしそれは呼気から嗅覚のように取り入れたのではなく、もっと聴覚や触覚に近いものだ。
川の水へと指先を突っ込むことで、温度と流れを感じるように。
後頭部からさがる三つ編みごしに、この土地で動くなにかを腹の奥に感じるのだ。
「どうした、シズハ?」
テンヌがくすぐるようにして、三つ編みを撫でてきた。
それにより、彼は確信した。触覚とはもっと別の何かを自分は感じていると。
シズハがテンヌへ振り向こうとしたその時――
首が動ききるよりも先に、なにかに顔に触れる。
柔らかく、火照った感触のそれにより、シズハの動きと思考は止まった。
「えっ……!?」
「ほおっ……!」
ふたりの頬同士が触れ合ったのだ。
テンヌが後ろからちょっかいをかけようと肩越しに身を乗り出した瞬間に、シズハが振り向こうとしたため、彼女にとっても不意打ちである。
ひと呼吸、ふた呼吸。ふたりとも完全に停止していた。
止まった時の中でも、互いの頬の火照りはこれでもかと感じられる。
それからゆっくりとそれぞれが元の姿勢に戻った。
互いに顔を見ることはできず、同じ方向を向いて空に眼を泳がす。
誰にごまかすともなく、シズハは上ずった声で言う。
「えぇと……疲れかな。やっぱり、熱っぽい……ね」
「う……うむ、やはり喉が乾く……な」
勢い任せにシズハは右手の方角を指さした。
「水源探しだ。沢をたどって、向こうに行こう……ね?」
次回予定:7/10(仮)
体調が崩れ気味なのでしばらく不安定ペースになります。




