10.もうすぐ学園祭
試験が終わり、八千代は近所のトミさんと茶飲み話をしたり、じいさまの任侠小説を読んだりと、まずまず充実した日々を送っていた。
ただこの数日、八千代はツいていない。天中殺かもしれない。
朝の軍事教練は米兵にじゃまをされ、思うように訓練ができず、また、来る学園祭では、恐ろしい役目を負わされることになっている。
学園祭まであと一週間。早く過ぎてほしい一方、その日は来ないで欲しい。
米兵に邪魔されるからといって、日々の軍事教練を休むと、日本の戦闘力向上を妨害しようとする進駐軍の思うつぼとなるため、事務所の裏庭でいそいそと訓練を続けた。だれが進駐軍の思惑などにのってやるものか。
裏庭では、立ち木を敵に見立てて、棒術、格闘術の訓練を主に行っている。
裏庭で立ち木相手にぴょんぴょんと跳ね回る八千代を、窓から見つめる組の若衆たちの目が日々増えていった。
「姐さん、かわええのぉ」
「着ぐるみがよう似合うちょる」
「あんなによう動けるもんじゃ」
「わし、これが見とぉて、ここんとこ早起きしとるんじゃ」
「もっと色んな格好の姐さん見たいのぉ」
「!!、それじゃっ」
若衆たちは集まり、なにやら相談を始めた。
一方、八千代は訓練を終え、朝食を摂ってから登校した。
学校への足取りは重かった。
今日から放課後にお化け屋敷の衣装合わせがあるらしい。
昨日まで衣装班はなにやら盛り上がって作業をしていた。
どうやら衣装が完成し、八千代は幽霊の格好をさせられるのだ。
そんな怖くて縁起でもないことをしなければならないなんて・・。
でも、クラスのみんなで決めたことを、自分のわがままで拒否することはできない。
なんとか、頑張って乗り切らなければ、と悲壮な決意を固めていた。
学校に着くと、廊下の掲示板に人が集まっていた。
なんだろうと思い近寄ってみると、中間試験の上位10人の名前が張り出されていた。
その中に八千代の名前が3位として書かれていた。
洋子が八千代を見つけて駆け寄ってきた。
「八千代すごいじゃん。3位になってるよ」
「そうみたいですね」
「2組が10位以内に入るなんて初めてだよ」
「そうなんですか」
八千代が視線を感じて振り返ると、数人が敵意を込めた目でこちらを睨んでいたが、八千代の視線に気づくとあわてて目を逸らした。
八千代は心当たりのない者から睨らまれているので、とまどっていた。これも天中殺だからかもしれない。
そんな八千代に洋子が声をかけた。
「あっ、1組の人たちね。2組の八千代に抜かれたから、睨んでいるんだ」
「えっ、どうしてそれで睨まれるのですか」
「八千代は相変わらずお人よしね。
そうだっ、八千代がこのままいい成績でいると、今度のクラス替えで、八千代と別のクラスになっちゃうよ。
私も勉強がんばろうっと」
「お勉強をがんばるのはいいことだわ」
「いや、それは分かってるんだけどね」
その日の授業はあっという間に過ぎていった。
放課後の恐怖におびえていた八千代にとって、各授業ごとに試験の結果が返ってきたことぐらいしか覚えていなかった。
数学で満点なのは学年で八千代一人だったとのことである。
英語については100点満点中35点だった。
先生には、短期間でここまで伸びたことをほめられ、もっとかんばれば伸びると激励され、英語がこれで3位なのはすごいとほめられた。
しかし、英語が終わると放課後になることから、八千代にとっては先生の言葉は上の空であった。
そして、英語の授業が終わり、とうとう放課後のホームルームが始まった。
委員長の麻上は嬉々として壇上に立ち、指示を出していった。
「衣装ができたので、お化け役の10人は前にでてきてくださーい」
八千代は覚悟を決めて前に出ていった。
八千代に付き合ってお化け役に立候補した洋子も一緒である。
ここ数日の学園祭の準備の過程で、周りは八千代の人柄を理解し、八千代の立場は変化してきていた。
不良グループに取って代わったヤクザの孫娘は、実は穏やかで人当たりのいい子であることが分かってきた。
周りは少しスリルを感じながらも、八千代に親しげに接するようになっていた。
この天然娘は、多少いじっても、本人がいじられたことすら理解していないようなのだ。
また、皆が恐れる八千代と親しくしている私ってすごい、という心理もあり、少なくとも同じクラスの生徒たちは八千代をこわがることはなくなっていた。
八千代はお化け役をすること自体はいやいやながらも、周りが楽しそうに親しげに接してくるため、一生懸命恐怖を押し殺して自分の役割をこなそうとしていた。
衣装係の真田恵子が白い着物を八千代に持ってきた。
「國守さんは幽霊の役なので、これを着てね」
渡された白装束を見つめ、八千代は逃げ出したい気持ちになっていた。
村では多くの年寄りたちの葬儀を手伝わされ、白装束を作って死者に着せてきたが、まさか自分がこんなに早く着ることになるとは思わなかった。
こんなものを着て、幽霊をふりをするなんて、祟りがあったらどうしたらいいのだろう。
泣きたい気持ちで白装束をにぎったまま立ち尽くしていると、恵子に声をかけられた。
「どうしたの?着方がわからないなら手伝ってあげる」
八千代が返事する間もなく、恵子たち数人が、八千代の制服を脱がせ、着物を着せ始めた。
級友にここまでしてもらって、ようやく覚悟を決めた八千代だが、白装束を浴衣のように着せられようとしているのに気づいた。
「ちょっ、ちょっと待って。
これって死装束なんだから、左前にしないと」
「えっ、なにそれ?」
「死者の着物は、襟の袷を普段の逆にするのです」
「へー、そうなんだ」
八千代は自分で襟合わせを直そうとして、襟元を見てさらに気づいたことがあった。
「あれっ、これって・・」
「どうかした?國守さん」
「はい、死装束の縫い目は、糸留めも返し縫いもしないものなんですが、これはどちらも普通の縫い方になっています。
それに、生地を裁断するのにも鋏を使っていますが、死装束では布を裂いて作るものなんです」
しきたりや作法にうるさい村で育った八千代は、こういう細かな部分についても厳しくしつけられていた。
「わー、國守さんマニアッく」
「めちゃくちゃ気合が入ってるね」
「いえ、そういうわけでもないのですが」
「でもさ、糸留めしていないと、動いているうちに衣装がばらばらになっちゃうかもよ。
それにそんなとこまで観客には見えないしさ」
「それもそうですね」
そうだ、これは演技のためのただの白い着物で、本当の死装束ではないのだ、と思うと、八千代の心は少し軽くなった。
「國守さんは髪が長いので、後ろの髪留めを外したら鬘はいらないわね」
「ちょっと外して、髪をバサバサにしてみて」
「あと、おでこにこの三角巾をつけて」
「まあ、天冠も用意したのですね」
「ふーん、てんかんっていうのかー」
周りのみんながキャーキャーいいながら、楽しそうに準備をしているので、八千代もだんだんと楽しくなってきた。
そもそもお祭り自体は村で唯一の娯楽であり、とても楽しみなものなのだ。
学園祭というものもきっと、楽しいものなのだろう。
そこに、仮装の完了した洋子がやってきた。
「八千代、ねえ、見て、見て」
洋子は化け猫の役となっていたが、和風の衣装を着てネコミミをつけた洋子は、化け猫というよりも猫娘であった。
お化け屋敷なのに、人を怖がらせることを最初から放棄している格好である。
「きゃー、かわいい」
「森さん、ハマってるじゃん」
女生徒たちの黄色い声は、ますます熱を帯びてきた。
八千代も、洋子のかわいい姿を見て、明るい気持ちになっていた。
猫のいない一宇村では、化け猫の話は伝わっておらず、初めて化け猫と言う存在を知った八千代は思った。
『化け猫ってかわいい妖怪だったのね。
お化け屋敷の中でも、洋子と一緒だったらそんなに怖くないかもしれないわ』
そうこうしているうちに、お化け役の10人の準備が完了し、教壇に並ばされた。
幽霊、化け猫、河童、ゾンビ、死神、ジェイソン、・・・と、統一感のないお化けたちだったが、どれもそれなりに気合の入った仕上がりだ。
「んじゃ、宣伝ポスター用の写真を撮るから、皆ポーズをとって」
委員長の掛け声でお化けたちはそれぞれのポーズをとった。
八千代には「ポーズ」という言葉の意味が分からなかったが、他の皆がそれっぽい姿勢をとったので、幽霊になりきればいいのかと、上目遣いに悲しげな表情を作った。
他のお化け役はどちらかというとかわいいポーズをとっていたのに対して、八千代一人が真に迫った幽霊となっていたため、とても目立つ結果となっていた。
撮影の様子を見ながら、委員長の麻上はにやりとほくそえみ、燃えていた。
『おどかす役目は國守さん中心ね。
お化け屋敷内には、仕掛けを増やして、ギミックと國守さんで観客を脅かせばいいわね。
他のおばけは校内を回って宣伝してもらうことにしよう。
おちゃらけた宣伝部隊と本気のお化け屋敷のギャップで、観客を恐怖におののかせて見せるわ。
ほーっほほほほ』
と、マンガかアニメでしかありえない笑いを心の中で発していた。
そこに、クラスの文化祭実行委員の一人がかけこんできた
「委員長、ちょっとまずいことになったんよ」
「なに、どうしたの?」
「うちのクラスの企画書に生徒会がクレームをつけてきたんよ」
「うちのお化け屋敷のどこに文句があるっていうの」
「教室を真っ暗にして、迷路みたいにしてると、緊急時に避難できないから、消防法上の観点からだめだって」
「なんだって、なんで学園祭期間だけの出し物に消防法なんて持ち出すのよ」
「それが、きちんと法律を知って、これを守ることも教育の一環だなんて言ってるんよ。
今のレイアウトのままじゃ許可は出せないって」
「おのれ生徒会め、なんとか・・」
腕組みして頭をひねった麻上はすぐに悪だくみを思いついた。
「ちょっと、私、生徒会いってくる。
國守さん、ついてきてもらえる」
「はい?」
八千代は訳の分からないまま、麻上に引っ張られて生徒会室に向かった。
「ねえ、國守さん、あなた何も言わなくてもいいから、ひたすら生徒会長をにらんでいてちょうだいね」
「えっ、はい、なんだかよくわからないけど、そうします」
廊下にいた生徒たちは、幽霊を引き連れて歩く麻上をみて、くすくすと笑っていた。
生徒会室の前に来た麻上は、ノックをして中に入っていった。
生徒会室は、学園祭に向けて各クラスと出し物の内容について折衝するため、生徒会長と副会長とがクラス代表と向き合って座れる座席配置になっていた。
麻上は副会長の前にどかっと座り、八千代を会長の前に座らせた。
「失礼します、会長。2年2組の委員長の麻上雪です。
えーまず、國守さん、こちらが生徒会長の藩みおさん。
会長、こちらはうちのクラスの國守八千代さんです」
麻上は二人をそれぞれ強調して紹介した。
生徒会長は八千代の名前を聞くと、ぴくりと反応した。明らかに八千代の噂を知ってるものと思われた。
また、八千代は麻上のいいつけを律義に守り、一生懸命会長をにらみはじめた。
「それで会長、うちのクラスの企画が認められないと聞いたのですが」
「は・はい。おたくのクラスの実行委員の藤堂さんには伝えたのですが、
あ・あの、非常時のことを考えると、そ・その、あれでは許可が、で・できません」
会長はかなり動揺している様子だった。
それもそのはず、ヤクザの孫娘が幽霊の姿をして、すぐ目の前でメンチをきっているのだ。
「会長、一時的な学園祭に対してなにを四角四面なことを言っているのですか。
そもそも、うちのクラスは1階なので、いざとなったらいつでも窓を破って避難できます。
3階でやるメイド喫茶よりよっぽど安全じゃないですか」
「い・いえ、それはそうだとしても、ほ・法律は、法律ですので」
「ふーん、そんなめったにない災害の危険性を気にするより、もっと可能性の高い危険性を意識した方がいいんじゃないですか、会長」
「ど・ど・どういうことですか」
「いえ、あまり融通の利かないことを言って誰かを怒らせたら、もっと危険なことが起こるかもしれませんね」
「お・脅すつもりですか!」
麻上はちらちらと八千代を見ながら会長に言った。
「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。ただ、最近、日が暮れるのも早いし、会長も帰るのが遅いから、暗い帰り道には気を付けてくださいとご注意差し上げているだけですよ」
「・・・」
「で、企画書の話ですが、今のままで許可してもらえますよね」
「・・・勝手にしてください」
「ありがとうございます、勝手にします」
麻上は嬉々として八千代を連れて生徒会室を出た。
八千代は連れられてクラスに戻りながら、麻上に尋ねた。
「あの、麻上さん、融通の利かないことを言ったら誰が怒るのですか」
「誰なんだろうねー、まあ気にしないで」
「はあ・・。
でもそれにしても、会長さんの帰り道の心配までしてあげるって、麻上さんは優しいのですね」
「あはは、あんたがそんな子でよかったよ」
教室に帰った二人は、交渉がうまくいったことを伝え、歓喜の声で迎えられた。
その後、今日の準備が終わり、家に帰った時には9時近くになっていた。
八千代が一人食堂で遅い夕食を摂り終えた頃、何人かの若衆がやってきた。
「姐さん、いつも朝の修練、お疲れさんでございやす」
「まあトモさん、突然どうしたのですか」
「いや、姐さんの修練の時の服なんでやすが、毎日おんなじ服では汗臭くなってもいけやせんから、これも使ってやってもらえやせんか?」
「えっ、これってどうしたのですか?」
「わしらで小遣いを出し合って、姐さんに似合いそうなのを買ってきやしたから、よかったら着てくだせぇ」
「まあ、それはお気遣いありがとうございます。
皆さんとてもやさしいのですね、本当にうれしいです」
単に八千代のコスプレを見たい下心のトモたちは、八千代のまぶしい感謝の笑顔を直視できず、頭をかきながら早々に退散していった。
「結構大きな包ね」
とつぶやきながら、部屋に戻った八千代は、さっそくもらった包を開けてみた。
中には地の厚い戦闘服が入っていた。
まるで大きなトカゲのような服である。
尻尾もついていて、背中には複数のひだも並んでいた。
よくわからないが、包の説明文には『ゴジラ着ぐるみ』とあった。
ゴジラも着ぐるみも八千代の知らない言葉だ。
とにかく、八千代はそれを着てみることにした。
生地が厚手なので、着こむのもそこそこ大変だった。
着てしまうと、たしかに防空頭巾もついたちゃんとした戦闘服だった。
しかし、重い、動きにくい、尻尾が邪魔・・・、これは戦闘服としては向いていないのではと思ったが、さっきのトモの言葉をふと思い出した。
「そうだわ、トモさんは朝の修練の時の服って言っていたわ。
軍事教練の時には、重くて動きにくい服を着ておくことで、より訓練の効果が高まるということね。
米兵に邪魔されてちゃんと訓練ができないから、訓練効率を高めるためにトモさんたちはいろいろ考えてくれたのよ。
皆さん、本当にありがとう」
翌朝からは、事務所の裏庭で、どすどすとゴジラが跳ね回ることとなった。
もちろん、ギャラリーたちは満足げにそれを見つめ、次はどんな格好がいいかと思いを巡らせていた。
さて、とうとう文化祭の前日となり、準備は最終局面を迎えていた。
委員長の指示で、お化け屋敷の内部にはかなりの改造が加えられていた。
かなり複雑な通路となっており、窓も全面覆いをつけて、ほぼ手探りで歩く暗さになっていた。
足元は硬い床が突然柔らかくなる部分、段差により急に床が無くなる感覚にとらわれる部分などが追加された。
耳元に急に暖かい風が吹き寄せ、天井からつるしたビニールひもが顔に当たり、首筋にねこじゃらしが触れ、突然ゴムの虫や蜘蛛が目前に落ちて来るようになっていた。
特に幽霊出現周りの大道具には力が入っていた。
八千代が隠れる古井戸の中には薄明かりが差すようにし、その上には紙とヒモで作った柳の枝、周りは古い民家の壁になっている。
あくまで手作りのハリボテだが、暗がりで見れば充分それっぽかった。
みんなで実際に体験したり、気づいた点を修正したりと、きゃーきゃー騒ぎながら盛り上がっていた。
八千代も一通り体験したが、ギミックはお化けと別物であり、そもそも仕掛けを知っていることから、別に怖いものでもなく、横で騒ぐ洋子と一緒に回るのは楽しかった。
八千代にとって、同世代の仲間と一緒に一つの目的に向かってなにかをするのは初めての体験であり、とても楽しく幸せな時間であった。
凝り性な委員長の指示で、細かい所を修正し、仕掛けを追加していため、徹夜で作業することになったが、高揚しているせいか誰も文句も言わずに朝まで作業を続けていた。
空がようやく白みかけたころ、生徒たちはあちらこちらで居眠りをしていた。
いよいよ文化祭当日である。




