9.中間試験
今日から中間試験ということだ。
しかし、試験は軍事教練とは関係ない。
今日も、いつものように5時に起き、戦闘服を着て、事務所を出発した。
昨日訓練を行った徳島中央公園は、眉山と異なって米兵はおらず、邪魔されずに訓練ができた。
このため、八千代は今日も徳島中央公園に向かった。
中央公園に着いた八千代は、昨日のように徳島城を一気に駆け上がると、・・・奴らがいた。
数人の米兵たちが写真機を構えて待ち伏せをしていたのだ。
八千代は敵の索敵能力を甘く見ていたことを思い知らされた。
八千代は彼らの姿をみるや、一目散に逃げだしたが、あろうことか連中は写真機を構えたまま、八千代を追跡し始めた。
八千代としては、彼らを一気に撃退したいところであるが、彼らに手出しすることは大日本帝国の戦術を敵に開示するという利敵行為につながる。
このため、八千代には逃げるという手段しか許されないのだ。
そう、米兵たちは威力偵察に来ているので、彼らの挑発にのってはならないのである。
徳島城をかけおりて、徳島城博物館の前まで逃げてくると、なんとそこには伏兵がいた。
さらに数人の米兵が、写真機を構えて待ち伏せていたのだ。
ぐぬぬ、なんと巧妙な敵の戦術。
あわてて方向を変えて逃げ続ける八千代の後を、合流した米兵たちが追ってきた。
十数人の敵に追い立てられ、八千代は必死に逃げることしかできなかった。
公園に散歩に来ていた市民たちは、多数のカメラマンを引き連れて走るペンギンを不思議そうに見送っていた。
その時、インターネットの旅行サイト徳島板でさかんに情報が飛び交っていた。
「ペンギン娘、博物館の前を南へ逃走中」
「あさひ食堂の前で激写できた。写真をあぷする」
「JR上の歩道橋を渡っていった。市内に入るものと思われ」
「諒解、寺島東公園にて待機中」
八千代がいくら逃げても米兵たちはつきまとってきた。
それどころか、先回りして待ち伏せているようなのだ。
八千代の心の中には徐々に恐怖が広がっていった。
先日、眉山で進駐軍と戦うつもりの時には、覚悟ができており、恐怖感はなかった。
しかし、追い立てられているばかりの今は、子供のころ村で教えられていた米兵の恐ろしさがよみがえり、恐怖感が増幅されていった。
恐ろしい米兵につかまってしまうと、自分はどうなってしまうのだろう。
「いやああああああ」
八千代は恐怖にとらわれて冷静な判断を失い、敵を撒くためにジグザグ行動をとることも忘れ、ひたすらまっすぐに家に向かって走っていった。
しかし、今回はこれが幸いした。
基礎体力がある八千代がまっすぐに移動したため、連絡を取り合って八千代の先回りをしようにも、そもそも八千代に追いつけず、結局は八千代を見失うことになったのだ。
なんとか家に戻った時は、6時を過ぎであった。
今日は走っただけでちゃんとした訓練ができなかった。
これも、八千代に軍事教練をさせまいとする米兵の卑劣な作戦だったのかもしれない。くやしい。
しかし、今日は試験なので、気を取り直して頑張らないといけない。
そういえば、試験は午後もあるため、弁当を持ってくるようにと言われていた。
急いで厨房に行って、昨夜の残りご飯を弁当箱に詰め込んだ。
白米が残るなんて信じられないことだったが、八千代の弁当箱を満たすには充分なご飯が残っていた。
しかも、棚には梅干しもあった。
贅沢なお弁当になり、お昼の時間が楽しみである。
教室に着くと、すでに洋子は席についていた。
「洋子、おはようございます」
「あっ、おはよう八千代。
試験勉強はできた?」
「はい、英語ばっかりやってました」
「あっ、私もそうだよ」
洋子も英語は底辺クラスにいるだけあってダメなのである。
それでも2組にいるということは、意外と他の成績はいい。八千代ほど極端ではないのだが。
午前の試験は国語、物理I、数学IIだった。
どれも八千代にとっては簡単な試験だった。
ただ、数学では1問だけ手こずる問題があった。
生徒の力試しに入れられた、いわゆる難問奇問という類の難関大学の入試問題である。
八千代は基礎をしっかりと叩き込まれてきたが、この手の問題を解いたことはなかった。
幸い、他の問題が簡単に解けて、時間が充分にあったため、じっくりと考え、なんとか正解にたどり着くことができた。
問題が解けたときは幸せな気分だった。やっぱり勉強は楽しい。
数学試験の後は昼休みである。
八千代と洋子は向かい合い、弁当の準備をしながら談笑していた。
「八千代、できはどうだった?」
「はい、だいたいできたと思います」
「すっごーい、私数学の最後の問題、全然分かんなかった」
「あれは難しかったですね。sin x + cos xを、aと置けばいいことに気づくのに、ずいぶんかかってしまいました」
「へー、なんだそうだったのか」
などと言いながら、二人は弁当を開けた。
「あっ、八千代、それ日の丸弁当だ。私、初めて見たよ」
「すごく豪華でしょ。白米がぎっしり詰まっているのよ」
「そっ、そうだね・・」
一方、洋子の弁当は、卵焼きやらプチトマトやらと、色彩に富んでいた。
「洋子のお弁当は色鮮やかね」
「八千代・・何も言わないでこれ受け取って」
洋子は自分の弁当から卵焼きとアスパラの豚肉巻を、八千代の弁当に放り込んだ。
「えっ、こんな高価そうなものを、いいのですか」
「いいよ、いいよ。ちゃんとタンパク質も食べてよ」
「ありがとうございます。
あの、私の白米も差し上げましょうか」
「いや、私の弁当にも入ってるって」
洋子のくれたおかずはとてもおいしかった。
弁当にこんなおかずが入っているなんて、洋子のうちは大金持ちなのかもしれない。
とにかく八千代にとって、とても贅沢な昼食だった。
「次はいよいよ英語だね」
「はい、お勉強の成果が出るといいのですが」
「がんばろうね」
午後は英語の試験から始まった。
編入試験の際の英語は、八千代には全く分からず、手が付けられなかった。
しかし、今回の試験は基本的に教科書から出題されていたため、教科書を丸暗記していた八千代が回答できる部分がそこそこあった。
特に穴埋め問題や、日本語訳についてはだいたいできた。
しかし、八千代に全く理解できな問題もあった。
問: 次の単語のうち、矢印の部分の発音がほかの三つと異なるものを選べ。
1 commit 2 convince 3 insist 4 precise
印がついている部分は全てiである。
iは『イ』と発音すると習った。
また、アルファベットは発音を表す表音文字である、と先生は言っていた。
それなら全て同じとしかいいようがない。
なぜ、異なるものが存在しうるのだろう。
八千代には出題の意図がまるで理解できなかった。
やはり敵性語はわけがわからない。
午後からは英語だけで初日の試験は終わった。
翌日の試験は化学I、日本史、地理だった。
化学についてはそれほど難しくはなかった。
ただ、問題中に「水酸化ナトリウム」という名称が出てきたのにはすこし戸惑った。
化学式があったので何なのかは分かったが、これならちゃんと苛性曹達と書いてほしいものだ。
歴史は問題なく解けた。鎌倉から室町にかけての範囲は得意である。たぶん満点がとれただろう。
地理は世界の自然環境、地殻、資源に関するものであったが、出題に間違いが多く、かなり戸惑ってしまった。
例えば、満州の位置に油田の印が入っていたりした。もしそんなものがあるなら、大日本帝国軍は南方に進出する必要がないではないか。
特に国名の間違いが多い。
ソビエト連邦のことをロシアと書いてあった。これは100年以上前の十月革命以前の名称であり、その後はソ連になったはずだ。先生はそのことをしらないのか?
スリランカ?セイロンの間違いだ。
特にアフリカの国名が間違いだらけだ。
リビア?コートジボアール?ちゃんと、トリポリや象牙海岸共和国と書いてもらわないと困る。
この学校の地理の教師は質が低いのかもしれない。
とにかく中間試験が全て終わり、生徒たちは皆解放された様子で、教室内はうかれた雰囲気になっていた。
すると、クラス委員長である麻上雪が教壇に立って話し始めた。
「みなさーん、今からホームルームを始めまーす。
もうすぐ学園祭なので、クラスの出し物を決めたいと思います」
八千代は小さな声で洋子に尋ねた。
「ねえ、学園祭ってなんですか」
「学校のお祭りだよ」
「えっ、学校で盆踊りをするのですか」
「違うわよ。クラスや部活ごとにいろいろと出し物をするのよ」
こそこそ話す二人をよそに、委員長は話を進めていた。
「なんか希望する出し物があったら言ってみて」
「メイド喫茶」
「寸劇」
「占い」
「お化け屋敷」
・・・次々と定番の出し物が挙がっていったが、八千代には見当がつかないものが多かった。
「ねえ洋子、お・お化け屋敷ってなに?」
「皆でお化けの格好をして、教室を真っ暗にして、入ってくる人を脅かすのよ」
これを聞いた八千代は真っ蒼になった。
八千代はその手の話にとても弱いのだ。
村の夜は真っ暗であり、妖怪やお化けは身近な存在だった。
暗い夜に動物や風が屋外で立てる物音は、全て妖怪のしわざと考えられていた。
そして、村の老人達は、恐ろしい話をいろいろとしてくれた。
八千代をしつけるための作り話もあったが、話し手自身が実際に信じている話も多かった。
墓に浮かぶ人魂、平家の落ち武者の呪い、子供をさらいに来る山姥、森でこちらを見つめる目目連などなど。
特に金長狸の本場である土地柄、狸に化かされた話はたくさん聞かされてきた。
迷信深い八千代にとって、わざわざ化け物と関わり合いになるような出し物をするなど、考えられないことだった。
おもわず、魔よけの光明真言を繰り返してつぶやいていた。
「おん あぼきゃ べい ろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
八千代の様子に気づいた周囲は、その鬼気迫る迫力から、これはお化け屋敷をすると当たると確信した。
それに、不良グループトップで組関係者の八千代がその気になっているのだ、逆らうとクラスにどんな報復があるか分からない。
結局、大多数の賛成をもって、お化け屋敷をすることに決定した。
八千代は目の前が真っ暗になる思いだったが、クラスのみんなで決めたことに反対できる八千代ではない。
ひたすら恐怖に耐えながら、なりゆきを見守っていた。
「それじゃあ、役割分担を挙げていきます。
思いつくものを挙げていってね」
委員長がそういうと、いろいろと役割が列挙された。
衣装係
小道具係
室内装飾
受付
お化け役
演出
総監督
これを見た八千代は、希望の光を見出した。
『そっか、衣装や道具を作る役目なら、怖い思いをしなくてもいいんだわ』
と思ったのも束の間、みんなの推薦により、八千代はお化け役に決定した。
八千代のお化け姿はきっと恐ろしいし、その正体は錦織組の孫娘だとなると、二重の意味で恐ろしい。
「あの、お化け役と言うと、お化けの格好をするのよね」
小声で洋子に尋ねると、当然といった答えがかえってきた。
「そうよ、それで暗い所で待ってて、人が通ったら脅かすのよ。おもしろいわよ」
いやいや、八千代にとっては面白くもなんともない。
人が通るまでは暗い所にじっと潜んでいなければならない。
その間は一人で怖い思いをしないといけないし、お化けの格好なんてしたら、お化けに呪われるかもしれない。
「はいみんな、それじゃそれぞれの役割別に来週の学園祭に向けて準備よろしくね」
「はーい」
委員長の明るい声と、それに応えるクラスメイト達の楽しげな声とは裏腹に、八千代の気は重かった。




