第15話 ガチ恋の傷心と、後輩からの意外な一言
昨日のギャルゲー配信の衝撃的な結末から一夜明け。
俺、杉田智之は、朝からなんとも言えない憂鬱な気分に包まれていた。
頭の中で、神楽坂れんの笑顔や声、そしてあの最後のキスが、繰り返し再生される。
まるで、本当に失恋でもしたかのような、胸の奥が締め付けられるような痛み。
(やばいな、これ……)
ゲーム画面越しの恋愛ゲームとは、わけが違う。
実際に彼女と触れ合い、言葉を交わし、同じ時間を過ごして育まれた関係は、もはや現実の恋愛と何ら変わりない重みを持っていた。
ゲームの世界へのダイブは、もう少し慎重にならないと、本当に精神が持たないかもしれない。
あまりに深入りしすぎると、現実と虚構の区別がつかなくなって、本当に危険な領域に足を踏み入れてしまいそうだ。
俺は、ベッドの上で天井を見つめながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
ピロン♪
その時、枕元に置いていたスマホから、軽快なメッセージアプリの着信音が聞こえた。
手に取って画面を見ると、メッセージの送り主は「梶田龍一」。
高校時代、卓球部で一緒だった1つ年下の後輩だ。
卒業してからも、こうして時々連絡を取り合い、一緒に遊んだり飲みに行ったりする、気心の知れた友人でもある。
『先輩、今日の夜、遊びに行ってもいいっすか? ちょっと話したいこととかあって』
そんなメッセージだった。
ちょうどいいかもしれない。
ゲームキャラとの恋愛の末に強制的に引き離されたこの悲しみと虚無感を、誰かと話すことで少しでも紛らわしたい。
俺は「いつでも良いよ。酒でも買ってきてくれ」と返信し、重い腰を上げてバイトへ向かう準備を始めた。
その日の夜。
バイトから帰宅し、シャワーを浴びてくつろいでいると、インターホンが鳴った。
ドアを開けると、コンビニの袋をぶら下げた梶田が、ニカッと笑って立っていた。
「お邪魔しまーす! 先輩、酒、買ってきましたよ!」
「おっ、サンキュー! よく来たな、上がれよ」
梶田を部屋に招き入れ、買ってきた缶ビールや酎ハイ、そしてつまみをテーブルに広げる。
二人だけのささやかな飲み会が始まった。
しばらくは、お互いの近況報告や、昔の部活の思い出話など、とりとめのない会話が続く。
梶田は相変わらず明るくて、人懐っこい奴だ。
彼と話していると、少しだけ神楽坂れんのことを忘れられる気がした。
「そういえば先輩、最近、めちゃくちゃ凄い配信者見つけたんすよ!」
不意に、梶田がそんな話題を振ってきた。
「へえ、どんな奴? 有名なゲーム実況者とか?」
「いや、それがVTuberなんすけどね……キリス・コーツウェルっていう……」
ブフォッ!!
梶田の口からその名前が出た瞬間、俺は口に含んでいたビールを盛大に噴き出してしまった。
「うわっ! ちょ、先輩、汚ねえっすよ!」
梶田が顔をしかめて叫ぶ。
まさか、こんな身近な後輩の口から、自分のVチューバーとしての名前を聞くことになるなんて、夢にも思っていなかった。
完全に油断していた。
「わ、悪い悪い! ちょっとむせちまって……」
俺は慌てて謝りながら、近くにあったティッシュで口元を拭い、梶田にタオルを渡す。
自分も、テーブルや床に飛び散ったビールを急いで拭き取った。
心臓が、ありえないくらいバクバクと音を立てている。
なんとか平静を装い、俺は努めて冷静な声で尋ねた。
「……で、ど、どんなVチューバーなんだ? その、キリス……なんとかって子は」
「キリス・コーツウェルっすよ! 先輩、マジで知らないんすか!? 今、ネットでめちゃくちゃバズってるんすよ!」
梶田は、俺がキリスを知らないことに驚いた様子で、興奮気味に語り始めた。
「なんか、原理は全然わかんないんすけど、そのキリスちゃん、ゲームの世界に実際に入って配信してるんすよ! しかも、アバターの吸血鬼の能力とかも使えちゃって、ゾンビとか化け物とかバッタバッタなぎ倒しちゃったり、魔法使っちゃったり……もう、めちゃくちゃなんすけど、それが超面白いんす!」
「へ、へえ~……そ、それは凄いな……」
俺は、引きつった笑顔で相槌を打つことしかできない。
まさか、自分の配信が、こんな風に後輩に熱く語られることになるとは。
「でしょ!? 本当に凄いんすよ! CGとかじゃなくて、なんかもう、本当に異世界に行ってるみたいな臨場感で……! それに何より……!」
梶田は、そこで一旦言葉を切り、うっとりとした表情で続けた。
「キリスちゃんが、物凄く可愛いんすよぉぉぉ!!」
「……え?」
「あの青髪ロングとか、赤い瞳とか、ゴスロリっぽい衣装とか、もう完璧じゃないすか!? しかも、喋り方もお嬢様っぽくて可愛いし、時々出る素のリアクションとかもたまんないんすよ! 昨日のギャルゲー配信の時なんか、ガチ泣きしちゃってて、俺、マジでもらい泣きしそうになりましたもん!」
同性の、しかも気心の知れた後輩に、自分の女アバターの容姿や言動がいかに可愛いかを熱弁される。
なんとも言えない、非常に複雑な心境だ。
嬉しいような、恥ずかしいような、そしてちょっとだけ、むず痒いような……。
(とは言え……こうして、実際のファンの意見が聞けるのは、ありがたいし参考になるな)
俺は、そんなことを考えながら、梶田のキリス愛溢れるトークに耳を傾ける。
その後も、梶田はスマホで俺の初配信のアーカイブ動画を再生し、「ここのゾンビの倒し方が神!」「この時のセリフが最高にクール!」などと、熱心に語り続けていた。
俺は、適当に相槌を打ちながら、内心では冷や汗をかきっぱなしだったが。
やがて、酒も進み、梶田もだいぶ酔いが回ってきたところで、その日の飲み会はお開きとなった。
千鳥足で帰っていく後輩を見送り、一人になった部屋で、俺はゆっくりと息を吐く。
(……喜んでくれる人が、ちゃんといるんだな)
れんとの別れで沈んでいた心が、少しだけ軽くなったような気がした。
自分のやっていることが、誰かの楽しみになっている。
その事実を改めて実感し、俺の口元には、フフッと自然な笑みが浮かんでいた。
「……よし。これからも、頑張らなきゃな」
俺は、新たな決意を胸に、明日の配信のことを考え始めるのだった。
今度は、どんなゲームで、どんな驚きを視聴者に届けようか。
そして、俺自身は、どんな体験をすることになるのだろうか。




