第69話『未確定領域』
【5月22日(金)昼休み/日向高校・屋上/越智隆之】
「そういえば、明日じゃない?」
犬神がパンを片手に、こちらを見る。
「何がだ」
「ゲームの大会!」
「ああ」
開催時刻も受付時間も確認済みだ。
移動に必要な時間も、多少の余裕を持たせてある。
「準備とか、もう終わってるの?」
「当然だ」
「さすが越智くん!」
「どうせ電車が遅れた場合のルートまで調べてあるんだろ」
隣で神田が弁当を食べながら言う。
「当然だ。通常ルートのほかに二通り確保してある。十五分以内の遅延なら問題ない。三十分を超えた場合は――」
「待て」
神田に止められた。
「そこまで聞いてない」
「まだ説明の途中だが」
「もう十分だ」
「そうか」
向かいで河田が小さく笑っている。
「ふふっ、越智くんらしいね」
「ねっ!」
なぜ犬神まで嬉しそうなんだ。
「でも、ゲームの大会ってどんな感じなんだろ」
犬神が首を傾げる。
「犬神、そもそもルール分かるのか?」
神田が聞く。
「…………」
犬神の動きが止まった。
「だいたい!」
「分かってないだろ」
「分かるもん! なんかこう……魔法で、ばーんって!」
「分かってないな」
少なくとも、ルール説明として有効な情報は一つもなかった。
「むぅ〜!」
河田が堪えきれなくなったように笑った。
「でもさ」
犬神がもう一度、こちらを見る。
「ルールはよく分かんないけど――」
「分かってないのは認めるんだな」
「もうっ、神田くんは黙ってて!」
神田を軽く睨んでから、犬神は俺に向き直った。
「越智くん、頑張ってね! わたし、応援してるから!」
「……ああ」
声にも表情にも、迷いはない。
こういうとき、犬神はいつも真っ直ぐだ。
「まあ、普段通りやればいいだろ」
神田が何でもないことのように言う。
「随分簡単に言うな」
「お前、こういうときのために準備するタイプだろ」
「それはそうだが」
「なら、あとはやるだけだ」
それだけ言って、神田はまた弁当へ箸を伸ばした。
相変わらず簡単に言ってくれる。
「私も応援してるよ」
河田がこちらを見て、小さく笑う。
「越智くんなら、きっと大丈夫」
「……根拠は?」
「ふふっ。そういうところ、越智くんらしいね」
「何がだ」
「応援するのに、根拠って必要?」
「…………」
返す言葉がなかった。
根拠のない言葉は、普段ならあまり信用しない。
それでも、今はそれで十分な気がした。
「そうだ!」
犬神が何か思いついたように顔を上げる。
「勝ったら、また打ち上げしよーっ!」
勢いよく手まで上げた。
「この前やったばかりだろ」
「だってこの前、めっちゃ楽しかったじゃん!」
「……それは否定しないが」
「でしょ!」
犬神は分かりやすく表情を明るくした。
「じゃあ、また四人でどっか行こうよ!」
「もう打ち上げですらないな」
「細かいことは気にしない!」
……相変わらずだ。
大会が終わったあとの予定まで、もう決めるつもりらしい。
けれど――
それも悪くないと思った。
*
放課後の科学部室。
窓から差し込む西日が、机の上に長い影を落としていた。
部活はいつも通りの時間に終わり、神田たちはすでに帰っている。
最後まで香料の調整を続けていた笹倉先輩も、九条先輩に止められて渋々片づけていった。
今、部室に残っているのは俺と神堂だけだ。
少し離れた机では、神堂が今日使った資料を整理している。
俺も帰るつもりだったが――その前に、もう一度確かめておきたいことがあった。
ノートパソコンを開き、ここ数日で集めた資料へ目を通す。
犬神神社の旧境内図。
過去の航空写真。
町史に残された記録。
そして――夢の中で見た、あの景色。
記憶に残っている範囲で書き起こし、資料と照合する。
「……まだ調べてるの?」
声とともに、神堂がこちらへ歩いてくる。
俺の机まで来ると、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「犬神神社?」
「それもある」
神堂の眉がわずかに動く。
「それも?」
一瞬、言葉を選ぶ。
「神堂。同じ夢を、複数の人間が共有することはあり得ると思うか?」
「その質問、科学部の部長にする?」
「だから聞いてる」
「なら答えは簡単よ。夢は本人の記憶に依存する主観データ。同じだったと言われても、再現性も検証性もない」
「……そうなるな」
「証明できないものを“共有した”とは呼ばないわ」
「俺もそう思う」
「なら、質問を変えなさい。越智くんが知りたいのは何?」
ノートパソコンを神堂の方へ向ける。
「説明できないことがある」
神堂の視線が画面へ落ちた。
これまでの経緯を、順を追って説明する。
Lunariaと触れたあとから、妙に現実感のある夢を見るようになった。
夢の中にはLunariaがいて、見覚えのない神社もあった。
それを後から資料と照合したところ、過去の犬神神社と一致する可能性が高い。
そして――。
「Lunaria本人は、その夢を見た記憶がない」
神堂はすぐには答えなかった。
資料へ視線を落としたまま、しばらく考えている。
「……なるほどね。なら、共有夢かどうかは、ひとまず置いておいた方がいいんじゃない?」
「なぜだ?」
「隆之。この場所のこと、夢を見る前から知ってた?」
「いや」
「旧境内の配置も?」
「調べたのは夢を見たあとだ」
「なら、問題は共有夢かどうかじゃないわね」
神堂の指先が、旧境内図の一点で止まる。
「知らなかったはずの場所を、どうして夢の中で見られたの?」
答えは出なかった。
それは、俺自身が何度も考えた疑問だった。
神堂に改めて指摘されると、曖昧だった違和感の輪郭がはっきりする。
「……確かにな」
神堂はしばらく画面を見つめていた。
「少し前の隆之なら、ここまで追わなかったでしょうね」
「どういう意味だ」
「再現性がない。客観的な証拠も足りない。夢なんて観測条件としては最悪」
淡々と条件を並べていく。
「少なくとも、前の隆之ならそう言ってた」
「……否定はしない」
「でしょうね」
神堂の口元が、ほんの少しだけ緩む。
「私がそう教えたんだもの」
「…………」
その言葉には、返せなかった。
神堂の考え方に影響を受けてきたことは、否定できない。
曖昧さより数値。
感覚より根拠。
説明できないものは、判断材料から外す。
少なくとも、以前の俺ならそうしていた。
「それなのに今は、夢の記録を取って、古い地図まで引っ張り出してる」
神堂が画面を示す。
「ずいぶん検証対象が広がったものね」
「悪いことか?」
「いいえ」
その目が、わずかに細められる。
「少なくとも、前より取りこぼしは減ったんじゃない?」
「それは褒めてるのか?」
「事実を言っただけよ」
相変わらずだ。
「ただ――」
神堂の指がタッチパッドを滑る。
旧境内図と、俺が残した夢の記録が画面に並ぶ。
「一致しているものまで、夢だからって理由だけで無視するのは違うでしょ」
「神堂がそれを言うのか」
「夢を共有したって話なら、今のところ否定的よ」
即答だった。
「説明できない事実があるなら調べる。結論を出すのはそのあと」
いかにも神堂らしい答えだった。
「それで」
「何だ?」
「そのLunariaって、どんな子なの?」
思わず神堂を見る。
「それは検証に必要な情報か?」
「夢に出てきた人物なんでしょう。対象について情報を増やすのは当然よ」
「本人には夢の記憶がない」
「だから何?」
「共有夢については検証対象から外したばかりだろ」
「…………」
神堂の視線がわずかに逸れた。
「参考情報よ」
「そうか」
「何、その返事」
「少し意外だっただけだ」
「何が?」
「神堂がそこまで聞くとは思わなかった」
「……いいから答えなさい」
少し考える。
「常盤高校の一年。クランでは魔法職。判断が速くて、プレイヤースキルも高い」
「そういうプロフィールを聞いてるんじゃないんだけど」
「どんな子かと聞いただろ」
「……性格よ」
「最初からそう言え」
神堂が一瞬、黙った。
「あなたって、こういうところ本当に変わらないわね」
「何がだ」
「もういいから、続けて」
「……言い方は少しきつい」
「最初に挙げるのがそこなの?」
「事実だ」
「他には?」
「無駄な会話はあまり好まない。ボイスチャットでも必要なことだけ話すことが多い」
「ふぅん」
「ただ、実際に会ったときは少し印象が違った」
神堂の視線がこちらへ向く。
「どう違ったの?」
「ゲームの中より、反応が分かりやすい」
PCショップで会ったときのことを思い出す。
声だけでは拾えなかった表情や視線、返事をするまでのわずかな間。
「……といっても、実際に会ったのは二回だけだ。そこまで分かるわけじゃない」
「そう」
神堂は小さく頷いた。
それで話は終わるかと思った。
「でも」
「まだあるのか?」
「二回しか会ってない割には、よく見てるのね」
「観察はしている」
「そういう意味じゃないんだけど」
「じゃあ、どういう意味だ」
「…………」
「別に」
神堂は手元の資料へ視線を落とし、指先で角を揃えた。
一度。
それから、もう一度。
「……まあ、納得するまで調べればいいんじゃない?」
「最初からそのつもりだ」
「そう言うと思った」
神堂は資料を抱え、俺の机から離れかけて――ふと足を止めた。
「……共有夢のこと、私も少し調べてみるわ」
「興味があるのか?」
「オカルトにはないわよ」
即答だった。
「でも、夢そのものだって、すべて解明されてるわけじゃないでしょ。似たような事例がないかくらいは調べられる」
「そうだな」
「何か分かったら教える」
「助かる」
「……別に。私も少し気になっただけ」
神堂はそのまま、自分の席へ戻っていく。
妙だな。
Lunariaについて聞き始めてから、神堂の反応がわずかに変わった。
何が気になったのかは分からない。
ただの参考情報――というには、少し引っかかる。
ノートパソコンへ視線を戻す。
過去の犬神神社。
夢の記録。
そして――その中にいたLunaria。
まだ説明はつかない。
再現性も、十分な証拠もない。
以前の俺なら、それだけで検証対象から外していたはずだ。
今は、それだけで切り捨てる理由にはならない。
*
科学部室を出ると、廊下の向こうから見覚えのある二人が歩いてきた。
「お、越智くんやん」
先に気づいた森川が、軽く片手を上げる。
その隣には月城もいた。
「あ、越智さん。お疲れさまですぅ」
「二人とも生徒会の仕事か?」
「そそ。ちょうど終わったとこやで〜」
森川の腕には、書類の入ったファイル。
月城も同じものを抱えている。
「越智くんも部活終わり?」
「ああ」
「そっか。お疲れさま」
「森川たちもだろ」
森川が抱えたファイルへ目を落とす。
「これはまあ……生徒会の仕事やけん」
「部活も似たようなものだ」
「部活を仕事みたいに言う人、初めて見たわ」
「そうか?」
「褒めてないよ?」
「なら何なんだ」
森川が楽しそうに笑った。
「そういや――明日やったよな。大会」
「ああ」
「配信あるんやろ? うちも見るで〜」
「好きにしろ」
「反応薄っ!」
「見ると言われて、どう反応しろと?」
「そこはほら、『応援よろしく』とかあるやん?」
「もう見るんだろ」
「可愛げないなぁ、ほんま」
隣で月城が、ふふっと笑った。
「大会って、ゲームのですかぁ?」
「ああ、クランフィールドな。越智くん、明日の大会に出るんよ」
「わぁ、そうなんですねぇ」
月城がこちらを見る。
「じゃあ、愛衣も応援してますねぇ」
「ああ。ありがとう」
「ちょっ、愛衣ちゃんには素直やん!」
森川がすかさず割って入る。
「何がだ」
「うちとの扱いの差よ!」
「気のせいだ」
「絶対ちゃうやろ!」
「ふふっ……」
月城が口元を押さえて笑う。
「天音ちゃんも、ちゃんと応援してあげてくださいねぇ」
「しとるって! 最初からその話しよったやん!」
「そうでしたぁ」
「愛衣ちゃーん!?」
月城は楽しそうに笑っている。
森川は納得がいかないらしい。
「……ほな越智くん、また夜な」
「ああ」
森川が軽く手を上げる。
「愛衣ちゃん、帰ろか〜」
「はい。越智さん、明日頑張ってくださいねぇ」
「ああ」
二人はそのまま廊下を歩いていく。
少し離れてからも、森川の声が聞こえてきた。
「愛衣ちゃん、さっきの絶対わざとやろ〜」
「なんのことでしょう〜?」
……案外、月城もいい性格をしている。
* * *
【5月22日(金)夜/越智家・自室/越智隆之】
CLANFIELDへログインすると、すでにクランチャットが動いていた。
『あまちゃん:お、もう一人の出場者きたで〜』
『KanDa00:遅い』
『ひよこ:たかちゃん待ちだったよ〜』
『C0c0r0n:これで全員そろったね♪』
『あまちゃん:明日大会やのに、二人ともレイドしててええん?』
『Lunaria:一周くらいなら平気でしょ』
『たかちゃん:俺も問題ない』
『C0c0r0n:じゃあ一周だけね♪』
『あまちゃん:一周だけならセーフ理論きたな』
『ひよこ:さんせーい』
『KanDa00:決まりだな』
結局、いつものメンバーでレイドへ向かうことになった。
大会前夜だからといって、ゲームの中まで特別になるわけじゃない。
敵を引きつける神田。
後方から回復を飛ばすこころ。
好き勝手に動いているようで、要所では確実に合わせてくる森川と星乃。
そして――俺より半歩先に敵の動きを読み、魔法を放つLunaria。
何度も組んできたからこそ分かる。
明日戦うことになれば、簡単な相手じゃない。
それでも不思議と緊張はなかった。
むしろ――楽しみだった。
一周を終える頃には、時刻は午後十時を回っていた。
『C0c0r0n:はい、今日はここまで!』
『あまちゃん:保護者がおる』
『C0c0r0n:誰が保護者かな〜?』
『KanDa00:否定はしないんだな』
『ひよこ:www』
チャット欄が一気に流れる。
『C0c0r0n:たかちゃん、明日は寝坊しちゃダメだからね♪』
『たかちゃん:誰に言ってる』
『C0c0r0n:現地でちゃんと応援するからね〜!』
『Lunaria:私も出るんだけど』
『C0c0r0n:もちろんLunariaちゃんも応援するよ〜♪』
『Lunaria:……ありがと。じゃあ、また明日』
一瞬、指が止まった。
明日は、画面の中ではなく現実で会う。
『たかちゃん:ああ。また明日』
送信すると、ほどなくしてLunariaの表示がオフラインへ切り替わった。
CLANFIELDを終了し、しばらくデスクトップを眺める。
そのまま、久しぶりに一つのファイルを開いた。
『日常観測ログ.xlsx』
最後に更新したのは、いつだったか。
新しい行を追加する。
【2026/05/22】
▶ 犬神神社に関する夢
過去資料との一致を再確認。
原因:不明。
▶ 《ロジカルリンク》
Lunariaとの接触後、夢の発生を確認。
因果関係:未確定。
▶ CLANFIELD 中四国エリア大会
明日開催。
そこまで入力したところで、手が止まった。
もう一つ。
【Lunaria】
セルを選択する。
何を書けばいい。
強いプレイヤー。
クランメンバー。
夢に現れた人物。
明日、戦う可能性のある相手。
どれも間違ってはいないのに、どれもしっくりこない。
しばらく考えてから、セルへ文字を入力する。
【分類:未確定】
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――5月23日。
結論の出ないまま、明日を迎える。




